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クエリ検索: "全国青い芝の会"
14件中 1-14の結果を表示しています
  • 遡航
    2022年 2022 巻 2 号 2-21
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2023/04/23
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では 1970 年代後半に青い芝の会が主張した「健全者手足論」と呼ばれる言説について、会の障害者らがそれをどのように議論していたのかを一次資料を用いて検討した。「健全者手足論」とは、青い芝の会の活動への健全者組織による介入を完全に退けるために、健全者(組織)の口出しを一切禁じようとしたものである。  健全者手足論を巡る主たる争点は2つあった。第一に、健全者をどのように位置づけるのかという点であった。これには告発糾弾型の闘争か、そうではない別のあり方かという運動の方向性の違いが背景にあったと考えられる。第二に、「運動」と「生活」をどのように位置づけるのかということである。健全者手足論の肯定派は「運動」と「生活」を切り分けて考えようとしたが、それをどのように位置づけているのかという質問やそれはそもそも切り分け得ないものだとする主張が懐疑派によってなされた。
  • 田中 雄一郎
    聖マリアンナ医科大学雑誌
    2023年 51 巻 1 号 23-27
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿では1975年の日本精神神経学会による精神外科否定決議以降に発生したロボトミーに纏わる社会事象に触れる。マンガの神様と言われた手塚治虫がなぜ全国主要5紙に謝罪文を掲載することになったのか,その背景を探る。衝動的暴力抑制の目的で行われたチングレクトミーの15年後に元患者が起こした,いわゆるロボトミー殺人事件の経緯を解説する。最後に精医連の活動が真相解明に大きく寄与した宇都宮病院事件に触れる。

  • 髙阪 悌雄
    社会福祉学
    2017年 57 巻 4 号 28-42
    発行日: 2017/02/28
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    1985年,幼い頃からの障害者に給付されていた障害福祉年金が障害基礎年金に統合され,無拠出と拠出に同額の障害年金が支給されることとなった.財政支出削減の目的で積極的な行政改革が行われていた時期,保険の原則を超えた障害福祉年金の増額が行われた背景を,東京青い芝の会の機関誌,当事者運動活動家の白石清春への聞き取り,国会議事録,年金局長山口新一郎の評伝などに基づき明らかにすることが本稿の目的である.結論として,本稿では4点のことが明らかになった.(1)当事者参加の研究会や障害者団体の要求が障害者所得保障改善の内容を含む障害者計画策定につながった.(2)障害者団体の政府・行政への柔軟な対応により,行政と共同で所得保障に関わる政策を作り上げることができた.(3)年金局長であった山口新一郎の貢献があった.(4)家と施設から離れ所得保障を求めた脳性マヒ者達の主張に強い説得力があった.保険の原則を超えた新たな所得保障制度誕生の背景には,国際障害者年という時代の下,障害者団体と行政官僚の力強い動きがあった.

  • 廣野 俊輔
    社会福祉学
    2015年 55 巻 4 号 43-55
    発行日: 2015/02/28
    公開日: 2018/07/20
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,川崎バス闘争の背景を先行研究よりも幅広い社会的文脈から検討したうえで,障害者が直面した困難はいかなる価値の対立によって生起したかを明らかにすることである.川崎バス闘争とは,1976〜1978年,川崎市と周辺で生起した車いすのままバスに乗ろうとする障害者とそれを制限しようとする関係者の闘争である.本稿では闘争をもたらした価値の相克を,障害者の立場から検討する.検討の結果は以下のとおりである.第1に,当時の地域社会においては,障害者の世話=在宅か施設で行うものという認識が強く,そもそも障害者の主張が受け止められるまでに至らなかった.第2に,障害者による「あらゆる人が障害者を介護すべき」という主張は特に理解されず,単なる「わがまま」として対立が鋭くなった.第3に,労働環境の悪化を懸念する労働者やそもそも市民や労働者に不信感をもっていた障害者の立場が,闘争をより複雑で困難なものにした.
  • 優生思想の本質を再考し、新たな視点から
    二宮雅人
    社会臨床雑誌
    2019年 27 巻 1 号 37-
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/01/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 先天性四肢障害児父母の会の1970/80年代
    堀 智久
    社会学評論
    2007年 58 巻 1 号 57-75
    発行日: 2007/06/30
    公開日: 2010/03/25
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,先天性四肢障害児父母の会の運動の展開を追い,そのなかで親たちが,いかにしてその主張の有り様を転換させてきたのかを明らかにすることである.
    先天性四肢障害児父母の会は,1975年に設立され,環境汚染がさまざまに問題にされた時代にあって,子どもの障害の原因究明を訴える運動として始められた.親たちは自らを被害者家族として位置づけ,一方では国・厚生省に催奇形性物質の特定・除去を求め,他方ではシンポジウムや写真展の活動を通じて,障害をもった子どもが二度と生まれないように社会啓発を展開していく.こうした訴えはそれ自体,親たちにとって,解放の効果をもつものであった.
    だが,1980年代に入ると,この原因究明の訴えは次第に行き詰まりを見せるようになる.とりわけ,障害者本人による原因究明活動への違和感の表明や「障害をもっていても不自由ではない」という主張は,この運動の質の転換を決定的なものにした.親たちはその後,親と子どもの当事者性の相違を認識し,親子の日常生活に立脚した活動を展開していく.子どもが主役のシンポジウムや子どもの生き生きとした姿の写真が並べられた写真展の活動を通じて,「障害をもった子どものいる暮らしはけっして不幸ではない」ということを示していく.
    本稿では,こうした先天性四肢障害児父母の会の運動の展開から,1970年代および80年代における運動の質の相違を明らかにしていく.
  • 児玉 正幸
    医学哲学 医学倫理
    2018年 36 巻 10-20
    発行日: 2018年
    公開日: 2022/07/20
    ジャーナル オープンアクセス
  • 震災と障害者病者関連・中間報告
    立岩 真也
    福祉社会学研究
    2012年 9 巻 81-97
    発行日: 2012/05/30
    公開日: 2019/10/10
    ジャーナル フリー

    まず,被災地の後方において私たち(研究者)が何ができるのか,でき

    るはずのことの中でどれほどのことをしているのか(していないのか)を

    報告する.次に,障害や病を伴って生きるのに必要なものを確保し使い勝

    手よく使っていくための準備と知恵があり,知識は共有されるべき範囲に

    共有され,取れる策は取られるべきであるという言うまでもないことを述

    べ,それに関わる活動をいくらか紹介する.さらに, とくに「個人情報保

    護」のもとに所在がつかめない人たちが,知られないままに「移送」され,

    そのままにされている可能性と現実があることを述べ,その不当性を強く

    訴える必要があり,実際その訴えがなされていることを報告する.そして,

    原発の近くから逃亡し新しい生活の場所を作ろうとする動きがあることも

    紹介する.そしてこれらの活動が, この約40年の,さらに阪神淡路震災

    後の障害者運動の継承・展開によって支えられていることを示し,その意

    義を再確認する.

  • ―青い芝の会神奈川県連合会「婦人部」をめぐって
    二階堂 祐子
    女性学
    2012年 19 巻 89-107
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2021/11/25
    ジャーナル フリー
  • 1970 年代の「わっぱの会」の活動を事例に
    伊藤 綾香
    福祉社会学研究
    2016年 13 巻 82-105
    発行日: 2016/05/31
    公開日: 2019/06/20
    ジャーナル フリー

    これまでの日本の障害者運動研究は,1970 年代以降の障害者解放運動を主

    な対象としてきた.それは当事者が健常者の抑圧から単独で自立して勝ち取る

    という物語とは異なる,健常者と障害者の関係や連帯という論点を置き去りに

    してきた.そこで,本稿は,「わっぱの会」を取り上げた.障害者と健常者双

    方が利害関係者として当事者性を主張し,一緒に活動を行った(=「連帯」).

    そこで,「わっぱの会」の1970 年代の活動に着目し,なぜ障害者と健常者と

    の「連帯」的な活動が行われたのかを明らかにした.

     「わっぱの会」は,ワークキャンプという学生ボランティア活動に始まった.

    それは,異なる他者同士が,出会いを媒介にその関係性を変容させていくとと

    もに社会問題を発見していくという特徴を持つ.「わっぱの会」のメンバーは,

    障害者入所施設でのワークキャンプで「モラル・ショック」を受けた.その後

    共同生活・労働の場を立ち上げた「わっぱの会」は,ワークキャンプの特質を

    引き継ぎ,共同生活・労働の中から社会問題を発見し,実践での困難から障害

    者と健常者の関係形成を自省的に捉え変革していく試みを行なった.共同生活・

    共同労働という,ボランティアの域を超えた日常的な活動は,障害者と健常者

    双方に「生活者・労働者としての当事者性」を与えた.これにより,「連帯」

    的な活動が可能となった.

  • 増田 洋介
    遡航
    2022年 2022 巻 5 号 63-83
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/06/10
    ジャーナル オープンアクセス
    八木下浩一(1941/09/18~2020/02/10)は、1970 年に 28 歳で小学校に入学した脳性マヒ者である。障害児・者の普通学級就学運動の先駆者とされており、また、大人になってから小学校に入学した障害者という点でも特徴的な存在である。本稿は前号掲載の「その 1」に続き、1981年までの略歴とそれに関して記された文献からの引用をまとめたものである。
  • ――自発的優生学の系譜
    横山 尊
    日本健康学会誌
    2021年 87 巻 4 号 139-160
    発行日: 2021/07/31
    公開日: 2021/08/31
    ジャーナル フリー

    This paper tries to provide precise understanding of the historical background and current status of prenatal diagnosis from the standpoint of historical studies of Japanese eugenics. SectionⅠargues that the prototype of the prenatal diagnosis and genetic counseling in the modern era were not sterilization laws such as the 1940 National Eugenic Law and the 1948 Eugenic Protection Law, but rather eugenic marriage and genetic counseling in the prewar era. SectionⅡdiscusses the status of the argument about abortion for fetal abnormality, amniotic diagnosis, and genetic counseling. Especially, this paper relativizes the stereotypes generated by the disability rights and women’s liberation movements, and tries to understand trends in prenatal diagnosis by utilizing oral histories from the Fukuoka area. Moreover, this paper stresses that the existence of voluntary eugenics has been wrongfully neglected in the historical studies of eugenics in Japan, and that the introduction of amniotic diagnosis in the 1970s should be included in that consideration. Taking cognizance of the above factors, this paper tries to situate prenatal diagnosis and genetic counseling within the history of eugenics, while at the same time looking ahead to a better understanding of the history and current state of prenatal diagnosis and eugenics.

  • 「川口に障害者の生きる場をつくる会」の軌跡
    増田 洋介
    遡航
    2022年 2022 巻 1 号 76-99
    発行日: 2022/03/24
    公開日: 2023/04/17
    ジャーナル オープンアクセス
    1960 年代の終わりから身体障害者のケア付き住宅建設運動が全国各地で一定の広がりをみせ、1980 年代には各運動間で連携や情報共有が行われた。一方で 1970 年代半ば、埼玉県川口市で展開された「川口に障害者の生きる場をつくる会(以下、生きる場をつくる会)」の運動は、それを待たずして失敗に終わったと認識されている。本稿では、生きる場をつくる会の運動について推移を追ったうえで、なぜこの運動が失敗に終わったとされたのかについて考察した。考察にあたっては当時作成された冊子、関係者による書籍や雑誌記事などを用いた。それまで地元で地道に築いてきた人間関係をもとに、従来の施設よりも小規模なものを完成させた事実を踏まえれば、運動は部分的ではあれ成功したといってもよかった。しかし、生きる場をつくる会によって要望された、障害者と健常者の協働による自主運営を行うことと公的責任を明確化した公立公営にすることの 2 点は、行政にはまったく受け入れられなかった。生きる場をつくる会の運動の事例は、現在の障害者福祉において今なお続く課題を示している。
  • 天野 誠一郎, 古賀 典夫, 篠原 睦治
    社会臨床雑誌
    2019年 26 巻 3 号 2-
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/07/07
    ジャーナル オープンアクセス
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