本稿は,中国最初の
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法となる筈だった「
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註冊試〓章程」の制定施行が無期延期になってから,第一次世界大戦終了期まで,在華外国企業と華商・華人企業の間で外国製輸入商品の
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権をめぐって何が起きていたかを,日本企業を中心に考察した論文である。華商・華人企業が日本企業保有の
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をその模造の対象とするようになったのは,1909年の鐘淵紡績の藍魚綿糸
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侵害事件がきっかけだった。この事件以来日本企業は,華商・華人企業による
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権侵害に悩まされることになった。だが,これは当時の中外間
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権侵害紛争の一面に過ぎない。日本企業は,華商・華人企業によって一方的に
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権を侵害されてばかりいたのではなかった。彼らは,西洋企業製品の模造品を製造販売する時は,華商・華人企業と提携した。両者の提携は,当初華商・華人企業が日本人製造業者を利用する形で始まっていたらしい。しかし,第一次世界大戦期になると,今度は日本人製造業者が,華商・華人企業を利用するようになっていた。それは,中国全土に広かっていた日貨排斥運動への対策として,欧米企業製品の模造品を製造販売するためであった。
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