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クエリ検索: "在日朝鮮人"
1,465件中 1-20の結果を表示しています
  • -闇市から問屋街、そしてアートの街へ-
    島村 恭則
    関西学院大学先端社会研究所紀要
    2013年 9 巻 21-31
    発行日: 2013年
    公開日: 2021/05/15
    ジャーナル フリー
    本稿は、日本の地方都市の一つである熊本市をフィールドに、地方の
    在日朝鮮人
    の生活世界をめぐる社会史について記述・分析するものである。熊本市においては、敗戦直後に形成された闇市起源の市場街に比較的多くの
    在日朝鮮人
    の居住が見られた。ただし、そこでは、大阪や東京、あるいは川崎や京都などに見られるような
    在日朝鮮人
    中心のコミュニティは形成されず、
    在日朝鮮人
    、華僑、沖縄出身者、引揚者を含む日本人等からなる「国際市場」という地域社会が形成されていた。また、この市場街は、ある時期から繊維問屋街に特化したものとなっており、おそらくそうしたこともあって、
    在日朝鮮人
    の存在が焼肉店の出現やコリアタウンの形成に結びつくことはなかった。このような事例をふまえると、日本列島には、大阪や東京、川崎や京都といった都市で展開されてきた
    在日朝鮮人
    の生活世界とは異なる、もう一つの(いくつもの)
    在日朝鮮人
    の生活世界が存在することが理解できよう。今後は、他の地方都市の状況も視野に入れながら、「複数の
    在日朝鮮人
    史/誌」を描き出すことが課題となる。
  • ――「解放」後の濁酒闘争からみるジェンダー――
    李 杏理
    ジェンダー史学
    2017年 13 巻 37-53
    発行日: 2017/10/20
    公開日: 2018/11/01
    ジャーナル フリー

    本稿は、

    在日朝鮮人
    による濁酒闘争について、1930-40年代の史的・政策的背景を踏まえてそのジェンダー要因を探る。

    在日朝鮮人
    女性の存在形態は、植民地期から6割を超える不就学と9割を超える非識字により底辺の労働にしか就けない条件下にあった。日本の協和会体制下では日常にも帝国権力が入り込み濁酒を含む生活文化が否定された。それでも朝鮮人女性が濁酒を「密造」したという個別の記録があり、小さな抵抗は積み重ねられてきた。

    「解放」を迎えた朝鮮人女性たちは、いち早く女性運動を組織し、ドメスティック・バイオレンスの解決や識字学級、脱皇民化・脱植民地の新たな生を歩み始めた。ようやく自由に朝鮮語や歴史を学び、自分たちが置かれてきた境遇を知ることが可能となった。

    しかし、日本の敗戦と「解放」は

    在日朝鮮人
    にとって失職を意味し、恒常的な食糧難と貧困をもたらした。日本の民衆だれもがヤミに関わって生きるなか朝鮮人に対していっそう取り締まりが強化された。

    在日朝鮮人
    が濁酒をつくる背景には、①朝鮮人の貧窮と生計手段の少なさ、②朝鮮人にとっての酒造文化と植民地「解放」のインパクト、③検察・警察による朝鮮人の標的化、④ジェンダー要因があった。

    在日朝鮮人
    運動の男性リーダーは、「解放民族として」濁酒をやめるべきだとした。それでも女性たちは濁酒をつくり続け、生きる術とした。女性たちが濁酒闘争の先頭にたち、女性運動団体は交渉現場にともに立った。地域によって警察に謝罪を表明させたり、職場を要求し斡旋の約束を取り付けたりもした。

    濁酒闘争は、植民地「解放」のインパクトの中で、民族差別とジェンダー差別を生み出す旧帝国日本の権力に異議申し立てをし、生活の現実とジェンダー差を明るみにしたという意味で、「脱帝国のフェミニズム」を思考/ 志向する上での重要な参照項となりうる。

  • 具 珉婀
    映像学
    2025年 113 巻 46-67
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    韓国において

    在日朝鮮人
    は同じ民族でありながらも本国の人々とは一線を画す存在として認識されてきた。新聞、漫画、映画などのメディアに表れた
    在日朝鮮人
    のステレオタイプはこのことをよく示している。ところがそもそも
    在日朝鮮人
    がこのように宙ぶらりんの状態を強いられ、「表象の重荷」を負わされてきたのはなぜだろうか。その答えを探るべく、本稿では
    在日朝鮮人
    が映画に登場するまでの空白の期間中に量産された朝鮮戦争映画に見られる変化を調査し、その上で
    在日朝鮮人
    が登場する最初期の作品『望郷』(金洙容、1966年)を分析する。

    1960年代の戦争映画は「国連軍の不可視化」、「死の国民化」を通して朝鮮戦争の記憶を国民国家の起源に関する神話に変換することで、休戦ラインを国境とする限られたものとしての国民を想像させた。

    在日朝鮮人
    は朝鮮半島が排他的な国境線によって区切られ、分断体制が固着化するなかで韓国映画に登場した。北朝鮮帰国事業を題材として取り上げた『望郷』には
    在日朝鮮人
    が国境を越える越境的な存在として登場する。ところが反共のフィルターがかかり、コロニアルからポストコロニアルへの歴史性が捨象されることで、
    在日朝鮮人
    は敵としての北朝鮮を前景化する過剰冷戦の論理に取り込まれる。以上の分析を通して、韓国映画における
    在日朝鮮人
    の表象に植民地期から朝鮮戦争後に至る韓国の近現代史の桎梏が集約されていることを明らかにする。

  • ―徳島県名西郡下分上山村・神領村を事例に―
    鄭 栄桓
    歴史と経済
    2022年 64 巻 4 号 41-52
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/07/30
    ジャーナル フリー
  • 金 正根
    民族衛生
    1971年 37 巻 4 号 131-157
    発行日: 1971年
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
     日本に在住する朝鮮人の人口に関する資料は乏しい. 韓国を含めたアジアの多くの開発途上の国々が,その経済開発や社会開発の一環として人口増加率を緩和しようと努力している現在,
    在日朝鮮人
    の人口の動向と特にその出生力の変動は,これらの国々における特異な社会環境での人口問題として真の問題がどこにあり,その解決策はなんであるかを示す一つの手掛りを提供するものしとて期待される. このような観点から,
    在日朝鮮人
    の人口分析と評価は重大な意義をもつているものと考えられる. 本稿では,
    在日朝鮮人
    の人口に関する一連の研究の第一報として,その人口の動向を概説することにした. ここでの
    在日朝鮮人
    とは,韓国系の,いわゆる民団系のみならず北朝鮮系をも含めた全在日,朝鮮人人口をさすものである.
  • 加藤 千尋, 畔柳 昭雄, 菅原 遼
    日本建築学会計画系論文集
    2017年 82 巻 734 号 987-997
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル フリー
     Koreans who visited Tokyo in employment purposes before the war, the majority of which has been a poor and needy. Therefore, their residence slum of other, some were also present who live in homemade barracks in the land that was illegally occupied. This is, housing shortage, low economic strength, is due to discrimination by the Japanese.
     Koreans of the barracks, went continues to grow with the increase of the Korean population. In the lawn areas and Shenzhen-ku, it has been a Tour of land owners and fight the eviction. However, barracks were those that occurred in the unavoidable situation. Therefore eviction does not proceed, barracks and illegal occupation of the neighboring land also been successful in eviction was built again.
     Badness of these Koreans of the housing situation was a phenomenon that has been seen in Japan as well as Tokyo. Administration was judged to be an obstacle when advancing the assimilation policy this. Therefore be a challenge is improve the lives of the Koreans, the city of Tokyo was planning the supply of public housing intended for the Korean people in the 1930s.
     In 1939, for clearance of the barracks of the illegal occupation state in Shenzhen District and lawn area, to determine the supply of temporary housing. It was built first in Edagawa the town in Shenzhen District. Temporary housing named "Edagawa the town house, " began the move of Koreans in 1941. Thereafter, the expanded 2 times, was composed of 272 units. Others, such as the assembly hall and baths are provided.
     Tokyo City, but have supplied the public housing in addition to this, temporary housing was a completely new standard housing.
  • ――内発的で普遍主義的な文化の研究――
    山口 健一
    ソシオロジ
    2017年 61 巻 2 号 21-39
    発行日: 2017/02/01
    公開日: 2020/06/27
    ジャーナル フリー

    本稿は、「民族文化牌ハンマダン」の事例に着目し、

    在日朝鮮人
    の民衆文化運動の思想と民族まつり実践との継承関係の一形態を考察する。その分析にはA・ストラウスの相互行為論と質的調査法を用いた。 ハンマダンの社会的世界は、韓国籍や朝鮮籍の
    在日朝鮮人
    のみならず、日本籍やダブルの
    在日朝鮮人
    、労働者階級出身者や被差別部落出身者、琉球民族、障碍者の日本人のメンバーからも構成されていた。それゆえその世界は、民族的な同質性を強調する共同体主義的な
    在日朝鮮人
    の民衆文化運動の思想と相反していた。しかし考察の結果、その世界は、
    在日朝鮮人
    の民衆文化運動の普遍主義的な観点を継承・展開し、抑圧され差別された個々の民衆の共生を実践する、個人主義的な民衆文化運動であることが明らかになった。
    在日朝鮮人
    の民族まつりの先行研究では、社会的承認を求める共同体主義的な
    在日朝鮮人
    の民衆文化運動から多様な人びとの共生への質的な変化が指摘されている。これに対し本稿の知見は、共生と相反すると評されてきた
    在日朝鮮人
    の民衆文化運動の新たな展開可能性を拓くものである。加えて本稿は、その事例分析から浮かび上がる、民衆の問題解決行動に着目し、普遍的な価値とローカルな文化実践との接合プロセスを探究する、内発的で普遍主義的な文化の研究の方向性を述べる。

  • 木下 佳人
    西日本社会学会年報
    2020年 18 巻 103-111
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は

    在日朝鮮人
    の親族葛藤が生じる要因を示すことである。長い間、差別や貧困は
    在日朝鮮人
    が抱える問題であり、これらの問題が広くみられる時代には、親族の相互扶助は彼らが生活する上で不可欠であった。一方、親族間に葛藤が生じることもあり、同居親族間の葛藤がこれまでも指摘されてきた。しかし、非同居親族間の葛藤を扱った研究は少ない。そこで、本稿では、ある
    在日朝鮮人
    家族の家族員が先祖祭祀から離脱する過程を分析し、非同居親族間の葛藤が生じる要因を示す。

    調査の結果、親族葛藤が生じる背景には親族の経済格差が存在していたことが明らかとなった。また、親族葛藤によって経済格差が温存される側面もあり、親族葛藤と経済格差は相互規定関係にあることが分かった。この知見は、各親族の経済状況という着眼点が、

    在日朝鮮人
    の親族関係を分析する上で有益であることを示唆している。

  • 「在日朝鮮人教育」の変容
    孫・片田 晶
    社会学評論
    2016年 67 巻 3 号 285-301
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/12/31
    ジャーナル フリー

    戦後の公立学校では, 法的に「外国人」とされた

    在日朝鮮人
    の二世・三世に対し, どのような「問題」が見出されてきたのだろうか.
    在日朝鮮人
    教育の運動・言説は, 1970年代以降全国的な発展を見せるが, そこでは「民族」としての人間形成を剝奪されているとされた児童生徒の意識やありようの「問題」 (教師が想定するところの民族性や民族的自覚の欠如) に専ら関心が注がれてきた. こうした教育言説をその起源へ遡ると, 1960年代までの日教組全国教研集会 (教研) での議論がその原型となっている.

    1950年代後半から60年代の教研では,

    在日朝鮮人
    教育への視角に大きな変容が生じた. その背景には帰国運動など一連の日朝友好運動と日本民族・国民教育運動の政治が存在していた. この時期の教育論には, 親や子どもの声に耳を傾け, 学校・地域での疎外, 進路差別, 貧困などの逆境に配慮し, その社会環境を問題化する教育保障の立場と, 学校外の政治運動が要請する課題と連動した, 民族・国民としての主体形成の欠落を問題化する立場が存在していた. 当初両者は並存関係にあったが, 上記の政治の影響下で60年代初頭には後者が圧倒的に優勢となった. その結果, 「日本人教師」が最も重視すべきは「同化」の問題とされ, 「日本人」とは本質的に異質な民族・国民としての意識・内実の “回復” を中核的な課題とする
    在日朝鮮人
    教育言説が成立した.

  • ―「多文化共生」論への接続に向けた在日朝鮮人教育言説の再読―
    孫・片田 晶
    フォーラム現代社会学
    2018年 17 巻 33-47
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/11
    ジャーナル フリー

    本稿は、今日の「多文化共生」をめぐる議論において、政府の「上からの」外国人住民統治策に対置される形で、その先進性を高く評価されている「下から」の「共生」の運動・実践の中に潜む問題点を明らかにすることを試みる。具体的には、公立学校の日本人教師による、

    在日朝鮮人
    の子ども達に関わる教育実践(
    在日朝鮮人
    教育)の先進的な取組みに内包された問題点を、その支配的な言説の立ち上げの時点に遡って検証していく。
    在日朝鮮人
    教育の主流の実践は、マイノリティ側のありようを変革の対象としてきた―文化的(民族的)差異の不在を「問題」とみなし、その差異の回復を志向してきた。それは同時にマイノリティ側の社会の不公正や不平等を問題化しようとする声を隠蔽してしまうものでもあった。

    1970年代以降の大阪市の

    在日朝鮮人
    教育運動の「指標」となり、全国的にもこの教育の支配的な言説の原型となった、大阪市立長橋小学校の運動は従来、朝鮮人の「生活現実」からの声に耳を傾け、その要求に応える教育をうちたてた動きとされてきた。しかし、朝鮮人の子ども・親の「現実」をまなざし、教育が取組むべき「問題」を語るのは日本人教師であるという権力関係に注目すると、異なる側面が見えてくる。本稿では、「ウリマルを返せ!の要求に応えて」というフレーズで知られるこの運動の語りの背後に存在した、問題の所在をめぐってすれ違う認識の行方に注目する。

  • 沈 念
    映像学
    2020年 103 巻 113-133
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    本論はポストコロニアル理論を踏まえ、小栗康平の『伽倻子のために』翻案をめぐる従来の言説を分析し、これまで酷評されてきたこの作品における「美化」の問題が、実は欠点ではなく、あえて新しい表現を試みている証しであることを主張する。

    第1節では、従来の日本映画における

    在日朝鮮人
    に対する美化は、日本人/
    在日朝鮮人
    という二項対立を強調し、
    在日朝鮮人
    の受ける差別を批判しながら、
    在日朝鮮人
    のイメージを一般化している現象を考察する。さらに、このような傾向を風刺する大島渚の3作を例として、二項の概念を抹消しようとしても、自らの優位に立つ日本人としての立場を認識しなければ、本質的に二項対立を打破できないと指摘する。

    それに対して、『伽倻子のために』の美化はそれほど単純なものではないと主張する。映画は原作におけるハイブリディティの人物設定を敷衍し、男女主人公の人物像と人物関係を美化することによって、「不純な」二人の恋が持つ象徴的な意味を増幅し、従来の二項対立に対抗していると、第2節では論証する。

    そして第3節で、李恢成の文学世界を翻案する手法は、本作の主人公相俊を李恢成の他作における人物たちと緩やかな結びでつなげていることを考察する。この緩やかな結びは

    在日朝鮮人全体を少数の在日朝鮮人
    で代表するような表象を回避していると主張する。

    最後に、『伽倻子のために』における子供時代の挿入シーンを分析し、これは

    在日朝鮮人
    を代弁するのではなく、彼らに語らせる手法であると、第4節で論証する。さらに、この手法は内部と外部の異質を受け入れ、その共存をはかる試みともいえると結論づける。

  • 第1報: 民族差からみた食習慣との関連について
    赤坂 裕三, 林 恭平, 佐々木 善二, 木本 邦彦, 山口 希, 多田 正大, 宮岡 孝幸, 青池 晟, 中島 正継, 三崎 文夫, 川井 啓市, 島本 和彦, 吉本 信次郎
    日本消化器病学会雑誌
    1978年 75 巻 4 号 429-436
    発行日: 1978年
    公開日: 2007/12/26
    ジャーナル フリー
    日本人,
    在日朝鮮人
    , 西独人の3 Group に内視鏡検査を行い, 消化性潰瘍の局在ならびに疾患の背景にある胃粘膜の慢性変化, すなわち萎縮性胃炎の拡がりに各民族間で差があることを, 色素内視鏡 Congo Red法による機能的腺境界の位置から確認した. さらに各民族における慢性萎縮性胃炎の発現及び進展には年齢による差があり, 対象例の50%以上に慢性萎縮性胃炎をみる年齢は日本人で30歳台,
    在日朝鮮人
    で40歳台, 西独人で60歳台であつた. この慢性萎縮性胃炎の発現と進展に関与する疫学的諸因子のうち, 特に食品や嗜好について疫学的検討を行い, 日本人と
    在日朝鮮人
    では高濃度塩分含有食品にのみ有意の差を認め,
    在日朝鮮人
    では高濃度塩分摂取量が多かつた.
  • 広瀬 義徳
    日本教育政策学会年報
    1998年 5 巻 183-199
    発行日: 1998/06/15
    公開日: 2017/12/25
    ジャーナル フリー
    First, this article for the most part presents a methodological critique on the aspects of the conceptual understanding of "minzoku" in the Study of Japanese Educational Policy with respect to the Koreans residing in Japan for the period after the World War II. The objectives of the article are to clarify the Study's results and tasks and to propose an alternative framework for the Study. In the first place, a historical review of the main treatises is presented by focusing on analytic concepts such as nation, ethnicity, critical mind, and logical characteristics of discourse. Following this review, epistemological problems and an alternative theoretical perspective which includes the limitation of substantialism, effectiveness of cultural politics, and concepts of globalization are discussed. The article concludes with a description of an outline for future research agenda. The composition of this paper is as follows: I. On the conceptual understanding of "minzoku" in the Study of Japanese Educational Policy for the post-World War II period. II. Limitations on the understanding of "minzoku" in the Study an dissues to be addressed in the future. III. Outline on an alternative framework for the Study.
  • ―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として―
    韓 東賢
    教育社会学研究
    2015年 96 巻 109-129
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。
     本稿ではこうした流れを,朝鮮学校の制度的位置づけ,処遇問題からあとづけていく。そこから見えてきたものは次の3 点であると言える。①仮に戦後の日本がヤングのいう意味での包摂型社会だったとしても,その基調は同化と結合ではなく,「排除/同化」――排除と同化の二者択一を迫るもの――であった。②2000年代には,このような「排除/同化」の基調を引き継ぎながら,にもかかわらず,「多文化主義へのバックラッシュ」としての排除を露骨化,先鋭化させた排除型社会になった。③そのような「排除/同化」,また2000年代以降の排除の露骨化,先鋭化において,朝鮮学校の処遇はつねにその先鞭,象徴だった。
  • 東成・生野地区における河川改修と耕地整理の意味
    吉田 友彦, リム ボン, 安藤 元夫, 三村 浩史
    都市計画論文集
    1995年 30 巻 145-150
    発行日: 1995/10/25
    公開日: 2018/12/01
    ジャーナル フリー
    THIS PAPER AIMS TO CLARIFY CHARACTERS OF THE RESIDENTIAL AREA IN WHICH KOREAN PEOPLE HAVE DENSELY SETTLED DOWN IN JAPAN. MANY KOREANS KEEP TO LIVE IN HIGASHINARI AND IKUNO WARDS IN OSAKA CITY FROM PRE-WAR TIME. WE ANALYZED THE IMPROVEMENT PROCESS OF SOCIAL OVERHEAD CAPITAL AND FOUND THAT THE ASSOCIATION OF LAND OWNERS HAD CONSIDERABLY CONTRIBUTED TO THE IMPROVEMENT OF THE RESIDENTIAL ENVIRONMENT BY THE PRIVATE INVESTMENT. AT LAST WE CONCLUDED THAT KOREAN PEOPLE DENSELY SETTLED DOWN ESPECIALLY IN THE AREA OF THE ARABLE LAND READJUSTMENT PROGRAM EXCUTED BY THE TSURUHASHI ASSOCIATION
  • 岸田 由美
    教育学研究
    2003年 70 巻 3 号 348-359
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    In recent years, the culture of public schools has been criticized for that it reflects only the culture of the dominant group and devalues the cultures of the minority groups through privatizing them. Public schools have been challenged to become more multicultural based on the idea of such. Focusing on the education of Korean children since the 1950's, the purpose of this paper is to clarify the limits and the transformation of the public and its discussion to justify a group's culture to be publicly valued or devalued in the context of Japanese public schooling. In recent trends, more than sixty local govemments announced official educational policies referring to the importance and the responsibility of promoting the ethnic culture and identity of children despite the denials of the national government on the issue. As such, the education of Korean children has been politically very problematic and the review will give us a beneficial sight on the politics of justice, common good and public values. To achieve the purpose, this paper actually examines governmental opinions shown at the Diet and the notifications, policies of the local govemment and the ideas and opinions of the educators on the relationship between the education of Korean children and public schooling, and analyzes them into three divisional patterns. First, it clarifies the nature of the idea and logic that indicates that the education of Korean children is not a task for Japan. Second, it clarifies the nature of the idea and logic that indicates that the education of Korean children is a public task for Japan but not a task for Japanese public schools: it is the task for Korean separate schools. Lastly, it clarifies the nature of the idea and logic that indicates that the education of Korean children is a public task for Japan and its public schools as well as for Korean separate schools. In conclusion, three main justifying logical reasons putting the education of Korean children within the scope of the public in Japanese schooling were found: 1) to compensate Japan and the people's guilt for Korean colonization; 2) to eliminate discrimination against Korean and guarantee their human rights; 3) to globalize Japanese education. The first logic is the distinctive feature of the case from that of the foreign children of late immigrants. Three points justifying this were classified: 1) the change of the idea and principle of unit of and the right to education; 2) the change in society and social recognition; 3) the change in educational task and expectation as a result of the former two changes.
  • 在日朝鮮人家族のなかの日本人妻たち
    康 陽球
    文化人類学
    2017年 81 巻 4 号 586-603
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
    近年のエスニシティ研究において、国家やアクティビズム、メディアによって創出される言説や表象が、「エスニックな現実」の構成と変容において重要な役割を果たすことが指摘されてきた。とくに
    在日朝鮮人
    研究では、
    在日朝鮮人
    の民族的現実の変容における公共圏の役割が強調され、親密圏は社会や公共圏に従属的な領域であるととらえられてきた。そのため、
    在日朝鮮人
    研究をはじめとした近年のエスニシティ研究において、日常的な生活空間は、人々のエスニックな現実に変容をもたらす重要な拠点になるとみなされてこなかった。このような議論に対し本論文では、親密圏の政治性を主張する政治学者、齋藤純一の議論に依拠し、エスニックな現実の変容に対して日常的な共在関係が果たす役割を検討する。そのために本論文では、関西地方在住の、
    在日朝鮮人
    二世~四世と結婚した日本人女性14名(20代~60代)に行ったインタビューのなかから、公的な言説に親和的な民族認識をもっていた二人の日本人妻の事例を取り上げる。1970年代以降、日本の社会運動のなかで、
    在日朝鮮人
    の社会的排除に対する日本人の責任が問われてきた。二人の日本人妻はともに、「日本人の責任」を認識し、その認識を、
    在日朝鮮人
    である夫や夫の家族との関係のなかで実践してきた。多くのインフォーマントが、嫁や母として求められる役割を遂行することで、
    在日朝鮮人
    の家族やネットワークに包摂され、民族的差異に関する意識を希薄化させていたのに対し、二人にとって嫁や母の役割を遂行することは、
    在日朝鮮人
    と日本人の境界を家庭内で再生産することにつながっていた。しかし、このような二人の民族認識は徐々に変化する。本論文では、二人の民族認識の変容に、親密圏における具体的な他者との間に築かれる、共感や受容の関係が関わっていることを論じ、民族認識の変容における親密圏の重要性を主張する。
  • 李 洪章
    社会学評論
    2010年 61 巻 2 号 168-185
    発行日: 2010/09/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,朝鮮籍を有する若い世代の
    在日朝鮮人
    の語りから,彼らのナショナル・アイデンティティについて考察し,さらには彼らが政治的/社会的に不利な状況を打破するために打ち立てる生存と連携のための戦略のあり方を明らかにするものである。
    朝鮮籍者は,
    在日朝鮮人
    の法的地位が変遷していくなかで,一貫して管理対象として取り扱われ,「無国籍者」あるいは「北朝鮮国民」として一方的に規定されてきた.ただし,こうした管理体制のもとで,朝鮮籍者が一貫して受動的な生を営んでいるわけではない.朝鮮籍者はみずからが維持している朝鮮籍を,あらゆる眼差しを受けながら解釈しなおし,朝鮮籍に積極的な意味づけを行おうとする.また,こうした実践は,つねに日本人/日本籍者/「ダブル」など,異なる他者との日常的なコミュニケーションのなかで行われる.それゆえ,朝鮮籍問題をめぐる連帯構築に向けた模索からは,日常生活に根ざした「権力性を伴わない開かれた連帯」の可能性をうかがい知ることができる.
  • 藤田 裕司
    犯罪心理学研究
    1982年 19 巻 1.2 号 31-37
    発行日: 1982年
    公開日: 2020/01/18
    ジャーナル フリー

    ここ約2年間に大阪少年鑑別所に入所した少年を対象として,22項目からなる調査を行い,同世代の日本人非行少年と比較した場合,

    在日朝鮮人
    三世非行少年にどのような特徴が見られるかを統計的に検討した。その結果,貧困・多子・低文化家庭に代表される環境負因を中核とした早発非行という点に,その特徴が集約され,かつ,それは二世非行について調査した新田(1966)の結論と基本的には全く一致するものであった。

  • 梁仁實『朝鮮映画の時代 帝国日本が創造した植民地表象』法政大学出版局、2022年
    丁 智恵
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2023年 11 巻 187-192
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/09/11
    ジャーナル フリー
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