現行学習指導要領では,校種,教科・科目を越えて「探究」が重視される.高等学校では,科目名に「探究」の入った「地理探究」が設置され,そこでは世界地誌も多く取り上げられる.高等学校の「総合的な探究の時間」の学習指導要領解説をみると,「探究」の定義は「物事の本質を自己との関わりで探り見極めようとする一連の知的営み」とされている.かつては「地名・物産の地理」と暗記科目の象徴のようにいわれたこともあった地誌学習であるが,表面的な地域理解にとどまらない探究的な地誌学習は,どのように実現できるのか.地誌学習の目的は「地域的特色の理解を通じて学習者の世界像の形成に寄与する」(竹内2015)ことといえるが,地域的特色のより深い理解のための探究的な学習過程とは,どのようなものなのか.社会問題を社会科教育でどのように取り扱うかを論じた坂井編(2016)は,学習者の思考や学習者に迫る授業の論理の枠組みとして,「自己の内側からの思考」と「自己の外側からの思考」の両者の必要性を主張した.前者は,当事者(地誌学習においては,地域の人々と置き換えられよう)に対して人間的な共感をもとにストレートに心情に迫ろうとすることによって,自己の感じている社会的な価値観や個人の見方を問い直す契機となり,自己と当事者を結びつけた深い思考を促すものである.後者は,社会認識を育む立場から重視されてきた視点で,より合理的に問題を捉え,原因,内容,社会的な影響などの分析をもとに社会問題の全体や社会的意味を追究することを重んじるものである.この枠組みは,地誌学習における探究の方向性としても援用が可能であろう.「自己の内側からの思考」は,空間的・社会的に遠く離れた他者に対する想像力を働かせ,共感を伴う理解を重視する熊谷(2022)にも通じる.地誌は,「対象となる全体地域について,全体地域を構成している複数の部分地域(諸地域)のそれぞれの特色を捉えるとともに,それら部分地域が集結した全体地域地誌的空間的パターンを捉える地理」(山口編著2011)といえる.この全体地域-部分地域の関係は,様々な空間スケールにおいて成り立つ重層的なものである.ただし,ある部分地域の特色を捉えようとする場合に,その下位スケールの部分地域の個別の特色は,一定程度捨象される面もある.地域内における多様性や,地域で暮らす人々の生活のあり様は,マクロスケールになればなるほど具体的に捉えにくくなり,地域の景観や人々の暮らしなどへの想像力が働きにくくなる.その結果として記述された文字情報だけによる地域像の理解が進んでしまうと,「地名物産の地理」になりかねない.総体的な地域理解の中で,多様な人々の生活のあり様を想像できるような授業開発が必要である.なお,スケールの話と関わって,どのような地域区分で地域像を描くかという問題もある.世界像を認識する上で特に,「東南アジア・オセアニア」を総合して捉える意義についても,今回の公開講座の重要な論点となるだろう.一方,「自己の外側からの思考」は,地理学習においては,「地理的な見方・考え方」を働かせて事象を考察するという過程として提示されてきた部分に重なる.「地理的な見方・考え方」は多様な対象に対して援用できる汎用性があるが,世界地誌学習(地理学習,あるいは社会科学習)の目的により近づくために,どのような事象を教材化し,学習課題をどのように設定するかが重要である.これまで,地理を学ぶ意義として,SDGsとの関わり,国際理解や防災において有用な知見や視点を提供し,社会問題の解決に向けた貢献が可能であることが主張されてきた.こうした目的意識に応じた内容は,主に高等学校の「地理総合」で具現化されたが,持続可能な社会の構想に向かう探究活動の実現には,地域についての具体的な知見や視点も欠かせない.ここに,地理の枠組みで探究を進める地誌的な学習の意義が認められる.もっとも,そうした応用的な面だけでなく,「自己の内側からの思考」から学習者の世界像の形成につながるような地誌学習も望まれる.現行指導要領における探究の重視は,予測困難な未来を生きる子どもたちが,困難に立ち向かい,より良い社会を切り拓いていく必要性から提起された面もある.現実の世界を知り,人々が直面する様々な課題を見出し,解決していくのに有益な思考力や行動力の育成につながる授業が求められている.そこにつながるような探究的な世界地誌学習の在り方について,議論していく必要がある.
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