詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "多梅稚"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 山口 幸男
    新地理
    1994年 41 巻 4 号 27-36
    発行日: 1994/03/25
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • ―その構造的特殊性と生成に至る教育的背景―
    嶋田 由美
    音楽教育学
    2009年 39 巻 1 号 1-12
    発行日: 2009年
    公開日: 2017/08/08
    ジャーナル フリー

     本稿は, 1900年前後に作られた唱歌の基本拍内同音反復のリズムを持つ特徴, いわゆる「唱歌調」の構造的特殊性と, それを生み出すに至った教育的背景について明らかにするものである。

     1882年発刊の『新体詩抄』で提唱された七五調による詩形は, その後の唱歌歌詞の基本構造となり, この七五調を唱えることから, 次第に今日「唱歌調」と言われる同音反復のリズムを持つ楽曲構造が生み出された。この背景には, 1890年の「教育勅語」渙発以降, 教育内容が徳育に特化され, 七五調の唱歌歌詞にもさまざまな徳目が詠い込まれる必要性があったこと, そして唱歌が地理や歴史等の他教科教育の補助的手段となり, 他教科の教育内容を歌詞に持つ唱歌を教授することによって, 唱歌科としての位置づけを得ようとしたことが挙げられる。即ち, この期の「唱歌調」と言われる唱歌は, 基本拍内同音反復のリズムに七五調の教科的, 或いは教訓的な歌詞内容を入れ込んで徳育に資すことを目的としたものであった。

  • 師範学校におけるオルガン・ピアノ指導の変遷
    鈴木 慎一朗
    音楽表現学
    2004年 2 巻 35-50
    発行日: 2004/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     本稿は,1931(昭和6)年から1945(昭和20)年までの師範学校におけるオルガン・ビアノ指導の実態について明らかにすることを目的とする。師範学校の器楽指導においては,明治期にはまずオルガンが導入され,ピアノが主要楽器として明確に位置付けられるのは1931(昭和6 )年の「師範学校教授要目」である。師範学校ではオルガン教科書やオルガンとピアノの併用の視点で編纂された教科書が出版,使用された。その後,1943(昭和18)年には文部省国定教科書としてのピアノ教則本『師範器楽 本科用巻一』が出版される。研究の方法として,文献調査および当時の師範学校音楽科教員や卒業生を対象とした聞き取り調査とアンケート調査の2つのアプローチを採る。判明した点は以下の通りである。

    1) 1931(昭和6)年以降においても新たにオルガン教科書が出版される状況があり,一方,オルガンとピアノの併用の視点で編纂された教科書も出版された。1943(昭和18)年にはピアノ用の文部省国定教科書『師範器楽本科用巻一』が出版された。

    2) 1931(昭和6)年以降においてもオルガン指導は継続し,アップライトピアノやグランドピアノによる指導も徐々に広がっていった。アップライトピアノについては,授業の他,生徒の自主的な練習に供されることもあった。

    3)生徒の間では,オルガンよりピアノの方が上級向き・高級というピアノ志向の傾向が見られ,また上級生が優先的にピアノを使用するというルールが見られた。

    4)器楽指導の方法としては,師範学校の音楽科教員が生徒の進度を確認しながら進める「検閲方式」が採られていた。

  • 小長井 涼
    日本大学大学院国文学専攻論集
    2015年 12 巻 1-12
    発行日: 2015/10/30
    公開日: 2022/11/24
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 初版における挿絵と詩文を手がかりに
    澤田 まゆみ
    音楽表現学
    2017年 15 巻 37-54
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    山田耕筰の《子供とおったん》は、子どもを題材として書かれた山田の最初のピアノ曲である。総合芸術を目指す文化的世相の中、楽劇や舞踊詩を多く生み出していた山田は、姉とその二人の子どもとの生活をとおして初めて平和な家庭の実在と、生活に基づいた芸術の存在を知りえてこの小品集を作曲した。1917 年大阪開成館からの初版では、斎藤佳三による挿絵と山田による詩文が添えられ、斎藤との芸術的交友や甥や姪たちへの愛情が伝わってくる。《子供とおった ん》は、当時山田が没頭していた舞踊詩とは一線を画し、後の詩と音楽の融合による歌曲や童謡を中心とする創作期との間にあって、生活に基づいた芸術の存在に気づいた山田の大きな感動と新たな創作活動に対するメッセージをわれわれに示している。

  • 小島 美子, 草野 妙子, 小柴 はるみ, 半谷 宣子, 樋口 昭
    東洋音楽研究
    1969年 1969 巻 26-27 号 65-120
    発行日: 1969年
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 日本と西洋の世界初出図形の比較から
    石原 慎司
    音楽表現学
    2022年 20 巻 1-22
    発行日: 2022/11/30
    公開日: 2024/03/03
    ジャーナル フリー

     19世紀後半の西洋の指揮法は今日に向けて大きく発達する余地が残されていた。その当時の日本では洋楽受容に取り組み、唱歌教育を普及・振興する必要に強く迫られていた。その結果、明治時代末までに「指揮法」は唱歌教授法として師範学校必修の学習内容となり、多くの指揮図形の開発がなされた。しかし、日本で開発された指揮図形が西洋の指揮法の発達状況に追いつき、先進性を持っていたのか、その状態については未だ明らかにされていない。そこで本研究では、戦前の指揮図形を発行順に整理し、時代を追って西洋における指揮図形と比較した。

     西洋における指揮図形の資料を確認した結果、19 世紀中頃から世紀末までに指揮図形が直接運動から間接運動を表す図へと発達の道筋が見られた。しかし、すぐさま全拍間接運動化した図形が普及したわけではない。この間に日本において全拍間接運動による新たな型の4 拍子および6 拍子図形が開発されている。それらの図形は完成度が高く、今日でも広く用いられている。また、いくつかの図形が和洋間で往還しながら変容され、発達していく様子も明らかになった。発達過程内に現れた変容図形はそれぞれ発行時点では時代を先取りする先進性を持っていたと考えられる。

     以上の結果、戦前の日本の指揮図形は、西洋の図形を受容していただけではなく、時代の最先端で先進的な図形がいくつも開発され、指揮図形発達の歴史的系譜を形成してきたと言える。

feedback
Top