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クエリ検索: "山田孝雄"
614件中 1-20の結果を表示しています
  • 山田孝雄の思想における〈統覚〉の位置
    西野 厚志
    昭和文学研究
    2011年 62 巻 49-61
    発行日: 2011年
    公開日: 2022/11/19
    ジャーナル フリー
  • 井本久富 著 「奥の細道の解釈と文法」
    浅野 信
    連歌俳諧研究
    1958年 1958 巻 16 号 64-66
    発行日: 1958/07/05
    公開日: 2010/08/10
    ジャーナル フリー
  • 小柳 智一
    日本語の研究
    2013年 9 巻 2 号 1-15
    発行日: 2013/04/01
    公開日: 2017/07/28
    ジャーナル フリー
    姉小路式と呼ばれる中世の秘伝書群に「たましゐをいれべきてには」という条があり,そこには「ただ」「なほ」「など」「いとど」という副詞と「だに」「さへ」という助詞が挙げられている。これら6語が一括りにされている理由を探る。最初に「てには」の歴史を概観し,中世の「てには」という術語の使い方では,助詞と副詞を一括りにすることが不自然でなかったことを確認する。次に,6語を検討して,副助詞との関連が特に強い副詞と副詞との関連が特に強い副助詞が主として選ばれていることを指摘する。そこから,「たましゐをいれべきてには」の根底に,ある種の副助詞とある種の副詞の間に意味的な同質性を認める視点のあったことが読み取れる。最後に,これと同型の視点は,助詞と副詞を区別するようになった近世以降にも散見され,それらを繋ぐと,富士谷成章-
    山田孝雄
    -森重敏という副助詞論の系譜が描けることを述べる。姉小路式もこの系譜に位置づけられる。
  • 日本芝草学会2015年春季大会 ゴルフ場部会記録
    矢口 重治, 山田 孝雄
    芝草研究
    2015年 44 巻 1 号 31-34
    発行日: 2015/10/31
    公開日: 2021/04/22
    ジャーナル オープンアクセス
  • 西野 厚志
    物語研究
    2006年 6 巻 175-187
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    Revising Genjimonogatari translated by Junichiro Tanizaki, so-called "Tanizaki Genji", by Yoshio Yamada is referred as an episode of reception of Genjimonogatari during WWII. I reexamine the censoring by seeing the documents such as Yamada's thought, letters which Tanizaki wrote to Yamada and what Yamada wrote into the text of Genjimonogatari. Genjimonogatari itself has been rendered Kishu by the narrative that it revived in the boom of the post-war era after suffcring the passion in war time years. I try tomake prosaic this narrative by rewriting the accepted nation that the elimination was done at the initiative of Yamada.
  • ——附『院政鎌倉時代文法史』『院政鎌倉期の語法』——
    藤本 灯, 田中 草大, 北﨑 勇帆
    日本語の研究
    2016年 12 巻 4 号 182-175
    発行日: 2016/10/01
    公開日: 2017/04/03
    ジャーナル フリー
  • 西野 厚志
    昭和文学研究
    2012年 65 巻 95-98
    発行日: 2012年
    公開日: 2022/11/19
    ジャーナル フリー
  • 第1報水産動物肉の脱水率
    清水 亘
    日本水産学会誌
    1943年 12 巻 2 号 73-81
    発行日: 1943/07/13
    公開日: 2008/02/29
    ジャーナル フリー
  • 李 乃琦
    印度學佛教學研究
    2022年 70 巻 3 号 1228-1233
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     一切経音義は現存する最古の仏典音義であり,唐代の僧侶である玄応が660年頃に編纂したものである.500部弱の経典が収録されており,当時の経典の実態を知る重要な資料とも言える.一切経音義は漢訳仏典とともに,日本に伝来し,盛んに書写されている.日本で書写された最古の記録は729年であり,現在10種類以上の日本古写本が残されている.

     一切経音義は書写の時代・地域によって,書写形式も異なっている.大きく2種類に分けられる.即ち一行の大文字で書写されたものと,二行に分けて小文字で書写されたものである.しかしながら,筆者の調査によると,一切経音義日本古写本の中に,一つの項目の前半部は大文字で書写されているが,後半部は二行に分けて小文字で書かれている特殊の書式が存する.通常,写本の書写時に,空白スペースが足りない場合,二行の小文字を使うのは少なくない.但し,一切経音義の場合は,スペースが十分あるのに,小文字に変更された.本論文では,一切経音義で一つの項目の前半部は大文字で,後半部は二行の小文字で書写されたものを研究対象とする.これらの内容を「小字双行」と呼ぶ.

     現時点で,10種類の一切経音義日本古写本と版本の高麗本を調べた結果,「小字双行」は一切経音義で複数例が見出される.本論文では,これらの項目について,各写本を「大文字/小文字」,「空白スペースの有無」,「小文字の内容」の三つの要素を精査した.その結果に基づき,各写本の特徴,関係,伝播の経緯を検討した.さらに,それらの例が生じた理由を解明するために,さまざまな可能性を検討し,考察した.写本の伝播と書写は宗派の知識集団との関わりもあることが見て取れた.

  • 近藤 金助, 山田 孝雄
    日本農芸化学会誌
    1937年 13 巻 9 号 791-804
    発行日: 1937年
    公開日: 2008/11/21
    ジャーナル フリー
  • 近藤 金助, 山田 孝雄
    日本農芸化学会誌
    1937年 13 巻 11 号 1138-1145
    発行日: 1937年
    公開日: 2008/11/21
    ジャーナル フリー
    1. 瀬戸内海産の車蝦(活きた雌)の肉から熱水可溶態の蛋白を分離し其の吸收スペクトルを測定した.
    2. 其の結果によつて蝦肉の熱水可溶態蛋白のうちにはゼラチンに屬する蛋白とチロシン及びトリプトフアンを相當量含有する蛋白とが存在することを明かにし後者に對してはミオミン(Myomin)と呼ぶ名稱を與へた.
    3. ゼラチン及びミオミンは何れも不均一性蛋白であつて其の基成分蛋白の變異が蝦肉の味に影響を與へることを推論した.(1937年7月5日)
  • 齋藤 文俊
    日本語の研究
    2018年 14 巻 3 号 5-8
    発行日: 2018/08/01
    公開日: 2019/01/01
    ジャーナル フリー
  • 栗原 唯
    フランス語学研究
    2020年 54 巻 1 号 1-22
    発行日: 2020/06/01
    公開日: 2024/01/14
    ジャーナル フリー

    名詞句の単独用法は従来フランス語学では非動詞述辞を持つ名詞文として動詞文と同様に叙述関係から分析されるか,発話者による言語行為の産物である発話として分析されてきた.これらの分析は同じく名詞句単独用法である掲示された名詞句や現在分詞・過去分詞や関係節と共に構成される名詞句の記述に関して一定していない.二項的な叙述関係または発信者としての発話者を前提としているためである.本論ではフランス語の名詞句単独用法を日本語の喚体論 (

    山田孝雄
    ,1936)の枠組みから捉え直すことを試みる.山田によると動詞句 を核とする述体は陳述であるに対し,名詞句を中心に構成される喚体は指示であるとされる.喚体の指示とは対象事態と自身の間に直接的な「コ」の関係を 認めることである(石神,1998).このように名詞発話文を指示対象と発話主 体の関係の直接性を表す発話として捉えると,その対象事態が一体的に直接発話の場に提示され,発話の受け手も発話の(再)構築の場で対象事態と直接的関係を持つ(つまり対象に対して発話主体と同様の関係に立つ)と考えられ,その表象内容,他者への訴えかけにおいて動詞発話文と別の発話であることが浮き彫りになる.

  • 江藤 保定
    連歌俳諧研究
    1953年 1953 巻 6 号 62-69
    発行日: 1953/12/25
    公開日: 2010/08/25
    ジャーナル フリー
  • ――「つかいだて」と「みちびき」――
    早津 恵美子
    言語研究
    2015年 148 巻 143-174
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/05/17
    ジャーナル フリー
    使役文の文法的な意味については様々な分析がなされているが,広く知られているものとして「強制」と「許可」に分けるものがある。本稿ではこれとは異なる観点から「つかいだて(他者利用)」と「みちびき(他者誘導)」という意味を提案する。この捉え方は「強制:許可」という捉え方を否定するものではないが,原動詞の語彙的な意味(とくにカテゴリカルな意味)との関係がみとめられること,それぞれの使役文を特徴づけるいくつかの文法的な性質があること,この捉え方によって説明が可能となる文法現象がいくつかあること,という特徴がある。そのことを実例によって示し,この捉え方の意義と可能性を明らかにした。そして,「強制:許可」と「つかいだて:みちびき」との関係について,両者はそれぞれ使役事態の《先行局面/原因局面》と《後続局面/結果局面》に注目したものと位置づけ得ることを提案した*。
  • 服部 隆
    日本語の研究
    2010年 6 巻 3 号 5-8
    発行日: 2010/07/01
    公開日: 2017/07/28
    ジャーナル フリー
  • 近藤 金助, 山田 孝雄, 信濃 榮
    日本農芸化学会誌
    1937年 13 巻 11 号 1129-1137
    発行日: 1937年
    公開日: 2008/11/21
    ジャーナル フリー
    1. 車蝦(活きたる雌)の肉から水溶性-,食鹽水可溶性-,苛性曹達液可溶性-,及び苛性曹達液不溶性-蛋白を分離し前2者を夫々ミオゲン及びミオシンと呼ぶことは舊稱の通りであるが後2者には夫々ミオテリン(Myotelin)の及びミオゼイン(Myosein)と呼ぶ名稱を新しく與へた.
    2. 蝦肉のミオゲン及びミオシンをば硫安溶液内に於ける沈澱性の差異によつて夫々3部分に分別したが此等の分別蛋白がミオゲン及びミオシンの基成分蛋白であるとは云へない.
    3. けれども蝦肉のミオゲン,ミオシン及びミオテリンは夫々不均一性であつて其の基成分蛋白が各種の條件に應じて量的にも亦質的にも變異することが蝦肉蛋白の彷徨異の原因となるのである.
    4. 分別蛋白の吸牧スペクトルを測定した結果によればミオゲンにありては硫安濃度の高低による沈澱性と光線吸收力とは正比例する.このことは血清蛋白の場合と同様であるがミオシンにありては正反對である.
    5. ミ才ゲン,ミオシン及びミオテリンの光線吸收力とトリプトフアン及びチロシンの含量を比較すれば次の如き關係となる.
    ミオゲン>ミオテリン>ミオシン
    6. ミオゲンI,ミオシンI及びミオテリンの窒素の形態を測定した結果によれば(第3表)ヒユーミン態とアルギニン態との窒素量は
    ミオゲン>ミオシン>ミオテリン
    であるがヒスチヂン態,リジン態及びシスチン態の窒素量は
    ミオゲン<ミオシン<ミオテリン
    である.
  • 杉山 康彦
    日本文学
    2000年 49 巻 5 号 48-56
    発行日: 2000/05/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    さきに本誌「子午線」欄に寄稿した「戦中・戦後の「国文学」」の敷衍。その当時、国語、国文学のあり方を批判する言説が相継ぎ、これに「国文学」の内側のものとして答え、「国文学」の、特に、その戦後責任を答う、自省の文。まず戦争直後の、国文学の耆宿藤村作の言説「国文学徒今後の任務」「日本文学協会設立趣意書」などを引き、その後、国文学とは何かを問い、現東京大学国文学専修課程の前身である東京大学の歴史を溯る。そこには近世国学の流れが脈々と生きており、我が国の国体というものが強調されていることを確認。ついで国文学科と改称された後、上田万年、芳賀矢一、
    山田孝雄
    、藤村作らの言説を引き、戦争中、国文学者は文部省の、神話を史実として鼓吹した「国体の本義」を主導したにもかかわらず、戦後それを否定、反省することがない。それは何故か、そしていま国文学者はどうしたらいいか、について考察した。
  • 上原 作和
    日本文学
    1991年 40 巻 4 号 11-21
    発行日: 1991/04/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    従来、若菜巻の女樂は様々な論定が提出されてきたが、音樂の問題に関しては
    山田孝雄
    以後進展を見ていない。しかしながら、この物語の音樂は決して避けて通れない問題であろう。特に光源氏が女三の宮に傳授した琴の「こかのしらべ」は『うつほ物語』にみえる秘琴の曲と同一であると見做しうるが、これは既に『うつほ』諸注が指摘する「胡笳十八拍」ではなく『文選』琴曲歌辭の石崇『王明君詞』なのである。この歌辭の主題は胡の国の社会制度たる母子相姦を甘受せざるを得ない王昭君の悲劇に集約されるが、とすればこの琴曲が傳授者たる光源氏の、継母藤壺との密通もしくは被傳授者たる女三の宮の柏木とのゆゆしき将来とを隠喩する絃律に他ならない。こうした紫式部の作家的営為を、音楽史、音楽理念に照らしながら考察する。
  • 長倉 都美樹, 小松 順一, 山田 孝雄
    日本地すべり学会誌
    2006年 43 巻 4 号 193-199
    発行日: 2006年
    公開日: 2007/08/03
    ジャーナル フリー
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