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クエリ検索: "工業"
789,325件中 1-20の結果を表示しています
  • 山下 眞悟
    都市計画論文集
    1976年 11 巻 37-42
    発行日: 1976/10/25
    公開日: 2020/10/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • ――長野県岡谷の機械工業――
    関 満博
    組織科学
    2002年 36 巻 2 号 4-14
    発行日: 2002/12/20
    公開日: 2022/08/03
    ジャーナル フリー

     日本の各地には興味深い

    工業
    集積地が広く成立している.そして,それは地域経済の主要な担い手としての役割を演じてきた.だが,全国の
    工業
    集積地は,地域内の大手企業のアジア移管などにより,現在,大きな曲がり角に直面している.本稿では,全国の
    工業
    集積地の中でも,精密機械
    工業
    の集積によって知られる長野県岡谷に注目していく.現状の岡谷の苦しみと,それに対する取り組みは,全国の
    工業
    集積地の先駆的なものであろう.

  • 新東
    工業
    (株)
    日本機械学会誌
    2006年 109 巻 1052 号 591-
    発行日: 2006/07/05
    公開日: 2017/06/21
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 青木 英一
    経済地理学年報
    1995年 41 巻 1 号 1-19
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    工業
    立地の変化に伴い, 就業構造がどのように変化するのかを, 四日市市を事例として, アンケート調査結果から明らかにした. 調査は1968年に実施した範囲と同一の範囲で1990年に再び実施し, 両年間の比較により就業構造の変化をみた. 四日市市では, 1960年前後から石油化学
    工業
    化が進み, 管理職や専門職は他地域からの転勤, 現業職も多くは他地域から新規学卒者が吸引された. 地元からも新規学卒者が採用されたが, 他産業就業者からの中途採用はほとんどなく, そのため, 従来の地域住民の就業構造変化は小さかった. 農家も基幹労働力の多くはそのまま農業に就業し, 若年層が脱農化していった. 地域内には旧来の住民と新来の住民とが混在した社会が形成された. しかし, その後石油化学
    工業
    は成熟化し, 流入者は相対的に減少, かつての新来の住民もそのまま定着した. 1960〜70年代に
    工業
    に就業した農家の若年層は世帯主層となり, 農業には就業せず, 農業就業者は世帯主の親の層に限定されて, 高齢化が進行した. 専業農家は, 大規模な茶栽培農家に限定されるようになった. 1980年代以降は機械
    工業
    化が進み, 新規学卒者のみならず, 他産業や
    工業
    他業種就業者を中途採用し, 急速に機械
    工業
    就業者を増加させていった. 地域内での労働力吸引が主であったため, 住民構成の変化は小さかったが, 就業構造が大きく変化し, かつ, 全国的な
    工業
    生産システムのなかに組み込まれた地域に再編された.
  • 日刊
    工業
    新聞, 化学と
    工業
    , 公害と対策
    紙パ技協誌
    1981年 35 巻 7 号 608
    発行日: 1981/07/01
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
  • 日高 義浩
    教育情報研究
    2009年 25 巻 2 号 51-55
    発行日: 2009/09/15
    公開日: 2017/03/31
    ジャーナル フリー
    本論は,(1)課題研究で育成できる態度にはどのようなものがあるのか,(2)課題研究が進路決定においてどのようなことが'影響'しているのかを更に明確にすること,の2つの課題を設定し,それらを明らかにすることを目的としている.その方法として,生徒に自由記述式によるアンケート調査を行い,それを基に形態素解析を行なった.その結果,課題研究では,(1)「協調性」と「自主性」,「コミュニケーション」能力や「忍耐力」等が育成できる態度であること,(2)「協調性」と「自主性」を得るには「コミュニケーション」が重要な役割を示していること,(3)就職に「喜び」,「ものづくり」,「達成感」,「責任感」が活かせると感じていること,が明らかとなった.
  • 栖原 学
    比較経済研究
    2014年 51 巻 1 号 1_17-1_28
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/29
    ジャーナル フリー
    19世紀後半から経済成長を加速させたロシアは,二度にわたる急速な
    工業
    化の期間を経て,1960年には西欧先進国の発展レベルに接近した.長期にわたるロシア・ソ連経済のキャッチアップの過程は,サイモン・クズネッツのいう「近代経済成長」の一例といえよう.しかし,1960年頃から経済成長と技術革新の主要推進力としての「上からの圧力」を失ったソ連は,目標とした先進国の水準に到達することなく解体に至り,その「近代経済成長」は挫折に終わることとなった.
  • 東京
    工業
    大学
    工業
    教育

    1956年 4 巻 1-2 号 288-297
    発行日: 1956/12/25
    公開日: 2023/04/07
    ジャーナル フリー
  • 東京
    工業
    大学
    工業
    教育

    1953年 1 巻 2 号 2_184-191
    発行日: 1953/12/25
    公開日: 2023/04/06
    ジャーナル フリー
  • 澱粉
    工業
    学会
    澱粉
    工業
    学会誌

    1958年 6 巻 Special 号 19-23
    発行日: 1959/07/30
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
  • 澱粉
    工業
    学会
    澱粉
    工業
    学会誌

    1958年 6 巻 Special 号 1-18
    発行日: 1959/07/30
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
  • 東京工業大学・前身校の工業教員養成に注目して
    大西 巧
    太成学院大学紀要
    2012年 14 巻 169-180
    発行日: 2012年
    公開日: 2017/05/10
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    東京職工学校や東京
    工業
    学校の卒業生の就職先の中には、各地の
    工業
    学校の前身校や師範学校が選ばれている。
    工業
    系の学校でありながら、教育機関に就職したのはなぜか。それは東京職工学校設立の理由の一つに、府県の職工学校の教員を養成する使命があったから。特別生制度や
    工業
    教員養成所の開設により、この使命は制度化され、
    工業界の活況にあわせ各地の工業
    学校設立の需要に応じた。各地に設けられはじめた職工学校や
    工業
    学校は、東京職工学校や東京
    工業
    学校の付属校をモデルとした。その初期の
    工業
    学校に卒業生は校長として、また教員として赴き学校の基礎を作った。大正5年の記録によると、全国
    工業
    学校35校中その校長32名は何れも東京
    工業
    学校の卒業生であり、各校の教員も多数を占めた。本稿では、東京職工学校の発展過程や国家の実業教育政策を明らかにし、東京
    工業
    大学・前身校の中等
    工業
    学校教育に果たした役割を考察したものである。
  • 内田 徹
    産業教育学研究
    2010年 40 巻 1 号 26-33
    発行日: 2010/01/31
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
    本研究は、大阪高等
    工業学校附設工業教員養成所における工業
    教員養成の制度的特徴とその実態を、東京高等
    工業学校附設工業
    教員養成所と比較して分析した。その結果、大阪高等
    工業学校附設工業
    教員養成所は、手島精一が校長を退任した1915年度以降の東京高等
    工業学校附設工業
    教員養成所での、縮小・変質された
    工業
    教員養成を範例としていた。実態としても、大阪高等
    工業学校附設工業
    教員養成所卒業生は、その56%が教職に就いたが、
    工業
    学校の教員はその内の41%に過ぎず、
    工業
    学校より関西近郊の中学校や高等女学校に就職していた。
  • (その2)ポテト・フレーク
    R. K. Eskew, 貝沼 圭二訳
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 155-163
    発行日: 1962/05/15
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
  • 甘藷澱粉の連続酸糖化について
    田村 太郎, 半野 敬夫, 川瀬 延也, 徳永 勝正, 森下 年男, 糊中 忍, 鈴木 繁男
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 149-154
    発行日: 1962/05/15
    公開日: 2011/07/01
    ジャーナル フリー
     内面を掻き取りながら回転する攪拌羽根を有する円筒型熱交換機(オンレーター)と攪拌付円筒型加熱機およびパイプ型加熱機よりなる連続糖化装置を用い,ブドウ糖製造を目的としてシュウ酸による甘藷澱粉の糖化試験を行った。酸濃度,反応温度,反応時間,澱粉濃度の各条件を組合せて糖化を行い,糖化率,HMF,着色度について反応曲線を求め,最高糖化率を測定した。最高糖化条件としては,シュウ酸濃度0.06N,反応温度160℃,反応時間17分で,Be12の澱粉濃度において最高糖化率は93.8%であった。また一般に高温,短時間の分解の方が低温長時問の分解よりも最高糖化率の値が高く,比較的着色の少い糖化液が得られるようである。
  • pH管理による製造法の改善
    勝屋 登, 高橋 礼治, 河村 百合雄
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 142-148
    発行日: 1962/05/15
    公開日: 2011/07/01
    ジャーナル フリー
     pH管理による澱粉収率の増加法と,これを実際製造に応用した場合に起る種々の問題について実験検討を行い,次の諸点を明らかにした。(1)小麦澱粉製造中,小麦粉より由来するアミラーゼのため澱粉は5~8%位糖化されて損失するが工程の初期に微量の塩酸(約0.04%)を加えて澱粉乳のpHを3.6以下に下げておけば糖化損失を防ぐと共に乳酸酸度の上昇も緩漫にする事が出来る。(2)塩酸を添加してpHを下げた場合,スターチテーブルでの沈の附着と白粕の分離がやや悪くなる傾向があるがその影響は極めて僅少であり,遠心分離機を使用する場合には問題ない。(3)塩酸添加法によって得られた澱粉の色は従来法のものより白く,蛋白含量も少くなる。(4)塩酸添加を実施しても製品澱粉の糊としての性質に悪影響を与える事はなく,むしろ向上する位でこの点では危惧はない。(5) 塩酸添加が工場設備の腐蝕におよぼす影響については各種金属片で試験したが防蝕技術からみた評価方法によればいずれも「完全な耐蝕性」があるといわれる程度である。 以上の実験結果から,小麦澱粉製造工程の初期に微量の塩酸を加えて,工程のpH管理を行えば,従来の製造設備を利用して小麦澱粉の収率と品質を向上せしめ得ると結論した。
  • 小麦澱粉製造と醗酵
    勝屋 登, 河村 百合雄, 石渡 重太郎
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 134-142
    発行日: 1962/05/15
    公開日: 2011/07/01
    ジャーナル フリー
     小麦澱粉製造に関連する各種の醸酵現象について調査実験し種々の知見を得た。 (1)小麦澱粉製造用小麦粉中の菌数は1g中10万前後のものが多いが,非生酸菌が一番多く,生酸菌酵母がこれに次いでおり大腸菌属菌は検出されない。澱粉乳になってからは乳酸菌が主体となって醗酵が行なわれる。 (2)澱粉製造中に澱粉は一部溶解されて損失するがこれは小麦粉から由来するアミラーゼによるもので,酸醗酵は澱粉乳のpHを下げアミラーゼを不活性にして逆に損失を防止する作用をしている。 (3)醸酵は有機酸を増やすが,粗澱粉乳中の蛋白質糖質等を分解して液を枯らし,澱粉の炉過操作を容易にしている。また澱粉粒からの脱燐,脱蛋白は醗酵する事によつて急激に行われ,澱粉の精製に大きく寄与している。 (4)小麦粉より由来するアミラーゼの小麦生澱粉に対する作用はpH4.5~6,5の間において最高を示し,pH3.5以下ではほとんど作用しない。 (5)澱粉乳は通気する事によつて酸度を抑制または減少せしめる事ができるが,pHが上昇するので,澱粉の減少する事をまぬかれない。 (6)澱粉乳中の生菌数は工程中で漸増し,仕上げ液でも1ml中数千万になるが,澱粉乳から乾燥澱粉になる所で急激に菌数が減少する事実を認めさらに製品澱粉中の菌数は貯蔵中にも急速に減少して行く事がわかった。
  • 次亜塩素酸ソーダ処理澱粉の液化および糖化
    荒井 克祐, 半野 敬夫, 鈴木 繁男
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 129-134
    発行日: 1962/05/15
    公開日: 2011/07/01
    ジャーナル フリー
     次亜塩素酸ソーダ処理澱粉の酵素液化および糖化におよぼす影響を検討して次の結果を得た。 1.次亜塩素酸ソーダ処理澱粉のビスコグラムは,前報のサラシ粉処理澱粉の場合と同様に使用量が増加すると最高粘度は低下し,酸化澱粉の粘度曲線を示した。しかし糊化点はほとんど変化が認められなかった。 2.次亜塩素酸ソーダは濃度が高く,また処理時間が長くなると液化液の濁度が増加する。 3.ビスコグラフによる30%澱粉一酵素懸濁液の液化を行なったが,前報のサラシ粉処理の場合と同様に,次亜塩素酸ソーダ濃度が高くなると最高粘度は次第に低下する。しかし糊化点,Break Down(粘度低下)に要する時間は変化が認められなかった。 4.次亜塩素酸ソーダ処理澱粉の液化液中の液化不良澱粉の定量を行なったが,前報のサラシ粉処理の場合と同様に使用量の増加に比例して液化不良澱粉含量は増加する。その増加の程度は対澱粉の有効塩素量で比較すると,次亜塩素酸ソーダ処理は,サラシ粉の場合よりも多い傾向が認められた。 5.次亜塩素酸ソーダ処理澱粉の糖化におよぼす影響を検討したが,25/2000前後までは糖化の伸びにはほとんど影響はないが、それ以上の濃度になるとやや影響があらわれてくる。
  • 試料採取と調整について
    前沢 辰雄, 福田 稔夫, 早川 幸男, 大久保 増太郎
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 4 号 123-128
    発行日: 1961/05/15
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
     甘しよの澱粉含有量をなるべく正確に測定することを目的として基礎的なことから検討を行なった。 (1)甘しよの澱粉含有量を測定する場合,正しい標本抽出数を決定するには,まず可検母集団について澱粉含有量の個体変動の分散を知らなければならない。そこで一例として畑に栽培した甘しよの全堀りを行なって個体変動を測定し,これから希望する変異係数を指定して,大中,小に澱粉含有量に差のない場合(無階層)と差のある場合(階層分を行なう)とに分けて,標本抽出数の計算を行なった。 (2)甘しよは堀り取り後なるべく速やかに分析にかけるのがよいけれども,時日を経過した場合の成分変化はどうかについて,参考として貯蔵中の重量減,澱粉,糖分,澱粉価の変化を測定した。 (3)分析試料の調整には,甘しよを小型磨砕機で磨砕する方法がはなはだ能率的であるとともに試料誤差も少なくてよい。 (4)磨砕試料から糖分を抽出除去するには通常アルコルが用いられるが,これを水にかえて水抽出を行なつても,特に精度を望まないかぎり差しっかえないと思われる。
  • Carl E. Hendel, 貝沼 圭二
    澱粉
    工業
    学会誌

    1961年 9 巻 3 号 98-107
    発行日: 1962/03/31
    公開日: 2011/07/01
    ジャーナル フリー
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