本稿では、時局匡救事業の一つとして行われた医療救護事業、皇室から内帑金の御下賜を受けた救療事業であったために「
恩賜
医療救護」とも呼ばれるこの事業をとりあげ、わが国の医療政策史に占めるその位置を考えてみたい。時局匡救医療救護事業は、直接的には医療保護法へと連接するものであるが、それを超えて国民健康保険制度などの「保健国策」を準備する広範な客観的な歴史的情況をつくりだすことになった。医療政策史におけるmissing linkである時局匡救医療救護事業の実際、その「意義と限界」を、京都府における事業展開をあとづけることで考察してみよう。その過程で、「
恩賜
医療救護」であるこの事業が「皇室からの内帑金の御下賜を機に始まった」とする説が「神話」であることも明らかにされるであろう。
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