医療は人間の「生老病死」の苦とどのように向き合えばよいのであろうか。高齢化が進み、慢性疾患が増加する中で、患者には「病を治す」ことを目指すというより「病とつき合う」あるいは「病と折り合い」をつける方向へとシフトすることが求められている。患者は自分の意思で治療や療養に関して自己決定するため に、基本的な医学的情報だけでなく、生活者としての自身の価値観や人生の計画等に影響する情報を必要としている。しかし、「病むということは、思わぬディ スコミュニケーションの森に迷いこむ混乱の道行きでもある。(」増田 ,1996)とあ るように、患者と医療者のコミュニケーションには課題が多い。
インフォームド・コンセントの主語は患者であり、患者が理解できるように説 明する責任は医療者にある。しかし、医療者が望ましいと判断した選択肢を提示し、患者や家族に同意を求めているだけにすぎない現状もある。患者や家族 は医療者から伝えられた情報が適切か否かを判断するものをもっておらず、説明されたことに納得し、最善の選択をしているとは言い難い。こうしたことが起こ る背景には「患者のため」ではなく「患者の立場」から考えるという医療者の想像力の欠如が関係している。医療者は多忙であることに加え、患者より何歩も先を 見通すことができるために、先々のことを説明する傾向があるが、患者はもっと前の段階で悩んだり、迷ったりしていることが多い。看護師にはこうした患者の思 いに寄り添い、意向を確認し、代弁者としての役割を遂行することが求められる。
Life は、生命、生活、人生といった訳があるが、病むということは、患者の生命、生活、人生そのものに深く関わることになる。幸せのかたちは、人の数だけある。 したがって、治療過程において、最善の選択をできる権限と機会が患者に与えられる必要があり、その実現に至る過程においては「対話」が重要な意味をもつ。
以上の内容を踏まえ、シンポジウムでは、患者の意思決定を支援するための 環境はどうあるべきかについて議論したい。
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