江戸時代の定期市で活動した人々について,近年では,市町住人や市場商人に関する研究が進展している.一方で,零細出店者や購買者の活動形態は,史料的制約からほとんど明らかにされていない.また,市町住人や市場商人に視点を向けた研究でも,彼らと定期市との関わりが,市日との関係のなかでどのように形成されていたのかは,あまり検討されていない.その要因として,先行研究では,市場争論や市の新設・再興などに際して作成された史料が盛んに用いられる一方で,定期市で活動した個々の人々の記録に注目した分析が相対的に手薄であったことが指摘できる.それらの個人的な記録のなかで,定期市との関わりが比較的豊富に記される史料として,市町や周辺地域の住人が記した
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が挙げられる.定期市研究における
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の利点として,記録者の活動日程が把握できる点が挙げられる.関東地方では江戸時代中期以降,多くの市町で常設店舗が増加し,市日以外にも商業機能を有するに至った.この段階では,市町での商取引が市日以外に行われる場合もあり,日程が把握できない場合,史料に現れる市町での商業活動が市日と関係するか否か判断することは難しい.
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には,作成者の活動日程が明記されるため,そこに現れる市町での商業活動が市日と関係したものであるか明確にできる.ただし,
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には作成者個人の属性が大きく反映されるため,その分析から得られた内容が,どの程度一般化できるかという問題点もある.これについて,本研究では,対象とする定期市・市町に関する他史料と合わせて検討することで,それらの個人的記録の位置づけを考察した.また,同時期に同じ定期市の周辺に居住していた複数の人物の
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を比較検討することで,より多面的な分析を試みた.対象地域として近世後期の武州所沢六斎市とその周辺地域を取り上げた.所沢は広い後背地を有する中心性の高い市町であり,その後背地域内には,市町住人や周辺農村の豪農,陰陽師など,多様な属性を有する人々の
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が複数伝存し,そこには所沢六斎市の利用を頻繁に記録する
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も含まれる.また,所沢六斎市に関する他史料の残存状況も比較的良好である.
本研究では所沢六斎市の後背地の広がりを念頭に,本研究では中藤村・指田藤詮(陰陽師)の『指田
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』,柴崎村・鈴木平九郎(豪農)の『公私
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』,引又宿・星野半右衛門(市町住人・宿役人)の『星野半右衛門
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』の3点を分析史料に選定した.
『指田
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』,『公私
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』,『星野半右衛門
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』に現れる所沢六斎市への関与形態は,書き手の属性を反映してそれぞれ特徴を有した.同時期に同一市町周辺に居住した複数の人物の
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を比較し,さらにその定期市・市町に関する先行研究や他史料と照合する作業は,各
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に現れた定期市利用のあり方を位置づける上で,一定の有効性があったと考える.今後は,近世の定期市・市町をめぐる人々の関与について,
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を用いた事例研究を蓄積しつつ,分析方法を検証し深化させる取り組みも必要であろう.
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