1. はじめに
1973年以降のEUの拡大により旧東欧諸国は次々に加盟国となった。ルーマニアも2007年に加盟を果たし,1980年代に始まった
東欧革命
の影響から脱する前に,再び大きな変化を受け脱皮の途上にある。そのため,第1次産業の大半を占める小規模な農牧業は,かつての受動的な農業形態から自発的な生業の確立を迫られている。そしてEUが加盟国間の格差是正に向け,様々なプロジェクトを展開している中で,公的援助が届きにくい地域の自立が重要な課題になっている。本研究の目的は,ルーマニアのカルパチア山地に位置する山地集落マグラを対象として,
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後の生業構造の変化を聞き取り調査の結果から明らかにすることである。
2. 調査地マグラの概要
マグラは,人口約250人標高1000m前後の,小規模な農牧業を生業とする集落である。マウナルイ国立公園に隣接し,小規模の個人経営の民宿が3軒ある。定住していない不定期利用者の家もあり,定年退職者や週末の別荘として利用されている家もある。調査方法は,2009年7月に行った全戸への聞き取り調査によるものである。
集落の成立は移住によるものであり,1850年に初めての家族が定住した。移住時期は年代により,19世紀半ば(
東欧革命
前),20世紀,21世紀と大きく3期に分けることができる。
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前の移住者の職業はほとんどが羊飼いであるため,当初マグラでは移牧者たちが移動する出作り小屋があり,次第に集落へと発展していったと推測される。
3. 東欧革命
以前のマグラの生業
冷涼な気候と長期間の降雪期のため耕作期間が短く,その上農耕地は細分化されて点在しているため,農作物の大半は自家消費に充当されていた。一方,牛のミルクは車で回収し買い取ってくれるため,牧畜業は良い副業であった。そのため,労働者は男女を問わず町の工場へ出稼ぎに行き,その合間に農作物を耕作したり,家畜の世話を
したりすることを生業にしていた。世帯は3世代同居で成り立っていた。クライルイ国立公園が制定される以前であったため,行動の規制もなく,薪を取ってきたり自由に行き来したりすることができた。
4. 1990年代以降のマグラの生業の変化
工場の閉鎖や生産縮小に伴い職場を失った労働者は,狭小な農耕地の耕作に頼ったが,販売や流通のルートが確立されていないため,自家消費以外に収入に結び付ける手段はない。ミルクの回収車も来なくなり,家畜も活用できなくなる。以前より家畜の種類や頭数を減らすようになった。これまでのような日勤の出稼ぎ口がなくなり,ブラショフやブカレストなどの都市や,あるいは海外への出稼ぎが日常化している。それにより,出稼ぎ者のもたらす現金を資金として新築の家屋が建てられるようになった。一方で出稼ぎ先が見つからない世帯や,老人だけの世帯では,生活が逼迫しかなり厳しい生活である。しかし,民宿を経営するなど生業の多角化も始まった。
5. 考察とまとめ
マグラのような山地集落でも,
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以前には国からの指示により山道を2キロほど下ったバス停まで歩いて,ザルネシチの工場に勤務できるような体制が整備されていた。このような受動的傾向の強い労働者が,マグラに居住し続けながら持続的な発展を望むためには,高等教育は不可欠である。2009年に開業された民宿は,部屋や建物のインテリアなど高等教育を受けた息子のアイディアに負うところが多かった。また,制約が多くマグラの住民との軋轢が多い国立公園の存在も,都市の中間層による利用の拡大が予感され,マグラの将来の生業の一つとしてルーラル・ツーリズムへと発展するという可能性がある。国立公園からの経済的援助も受けられるが,情報が不充分であり利用者が限られているのが現状である。今後,マグラの持続的な発展を支えるには,新たな複合的生業の構造が必要となろう。
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