本稿の目的は,日本列島で出土する筒形銅器の製作技術を復原し,その検討結果をふまえたうえで分布や出土古墳の形態・規模,共伴資料にみる特徴などから,筒形銅器が列島において受容された背景を探ることにある。
まずは,製品に残された鋳張り,湯周り不良,研磨状況などの製作痕跡をもとに,筒形銅器の鋳型構造を復原した。つぎに,目釘穴と透かしのあり方に反映された鋳型構造には,大きく3つの違いが存在することを明らかにした。そして,省力化や製品の仕上がりといった点を考慮したうえで,鋳型構造の差異が時間差を反映している可能性を述べ,これを古墳における筒形銅器の組み合わせと出土古墳の年代から検証した。また,筒形銅器には一定の
法量
のなかで形態にいくつかの規格が存在することも述べた。
そして,製作技術にかかわる痕跡が韓半島の出土例と一部共通することを確認し,日韓で出土する筒形銅器がおおむね同一の生産体制下でうみだされたものと想定した。さらに,筒形銅器は一定程度の
法量
を保持しながら,製作の初期には多様なつくりわけがおこなわれ,その後ある程度規格的な生産がすすめられたが,最後にはその規格が崩壊するという生産状況を復原した。
そのうえで,筒形銅器の分布や出土古墳の諸要素を時期ごとに検討し,列島における筒形銅器の分布に明確な中心を特定しにくいこと,出土古墳の形態や規模にばらつきがあることなどを指摘した。そして,筒形銅器の流通が倭王権による分配ではなく,対韓半島交渉を背景とした地域間交流の強化にともなって各地にもたらされたものであると結論づけた。
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