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クエリ検索: "環濠集落"
281件中 1-20の結果を表示しています
  • 友松 靖夫
    砂防学会誌
    1998年 51 巻 4 号 1-2
    発行日: 1998/11/15
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 奈良盆地における環濠集落を中心として
    北原 理雄
    都市計画論文集
    1976年 11 巻 385-390
    発行日: 1976/10/25
    公開日: 2020/10/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • 堀内 義隆
    地理学評論
    1962年 35 巻 4 号 175-187
    発行日: 1962/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    1)
    環濠集落
    は古くから研究された集落であるが,今日なお幾分の問題が残されている.奈良盆地全域に分布する多数の環濠は,他府県のものに比べて,地域性において多少の類似性が認められるとしても,低湿地集落と一概に規定することは困難であると考える.少なくとも現在完全な形で残存しているものは,高度的にも機能においても,若干の相異があると思う.盆地の地域性として水旱両側面をあげることができると思うが,少なくとも環濠の継続的条件より考察するとき,旱ばつ環境との関連性が強く,部落によつては主要な用水源であつた.
    2) 環濠は部落周辺の用水系統の一環をなすもので,今日完全な形態の環濠においては,部落としての用水統制は厳重である.貯水量はわずかでも繰り返して利用できることは溜池以上で高く評価されるべきである.
    環濠集落
    では一般的に用水に恵まれず,他村に依存せねばならない部落が多く,このような地域ではとくに価値は大きい.この環濠は,さらに貯水兼水路的機能をもつ点に,今日まで継続された要因の一つがあると考える.
    3) 水利の近代化に伴つて,環濠の機能が主要用水源的立場より,補助水源へと推移して行く傾向がみられ,これに伴つて堀が次第に耕地,道路,屋敷地などに変化している.この傾向は用水の豊富な地域でもつとも早く行なわれたようで,最近では昭和初期頃から強くあらわれてきた.
  • 池田 雅美
    東北地理
    1970年 22 巻 2 号 73-78
    発行日: 1970年
    公開日: 2010/10/29
    ジャーナル フリー
    There is a type of houses which are surrounded with moats. Such house type is old in its origin and has undergone historical changes. The writer investigated such houses in the lower reach of the Abukuma river and classified their functions into the moats for defense, those as protection from floods, and those for both purposes combined. Such are the functions of the moats in days when the type of residence was originated, and some of the functions are still preserved to this day.
  • 大和郡山市環濠集落の調査から
    金田 直子, 明智 圭子, 増井 正哉
    都市計画論文集
    2002年 37 巻 1009-1014
    発行日: 2002/10/25
    公開日: 2017/11/07
    ジャーナル オープンアクセス
    This study reveals the changes in the historic water utilization environment focusing on ditch and irrigation pond, using 32 ditch-encircled settlements in Yamatokoriyama City as the subject, and analyses its tendency and background. First of all, all the settlements were explored and the surviving conditions and maintenance status were surveyed. As a result, it was found that the historic facilities for water utilization survived in many settlements, despite some transformations in its forms. Also, the hearing survey to the settlements' representatives regarding on the transformation details indicated that administrative policy influenced the drastic change in water utilization environment, rather than settlers' demand to improve for modern living convenience.
  • 西本 珠夫
    人文地理
    1960年 12 巻 5 号 428-434
    発行日: 1960/10/30
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 田中 圭一
    人文地理
    1959年 11 巻 5 号 462-464
    発行日: 1959/10/30
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 池田 雅美
    地理学評論
    1977年 50 巻 3 号 144-150
    発行日: 1977/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    This paper is devoted to give examples of the “Gozoku” settlements and moated settlements iii several districts of Japan, and to descrike the regional differences in scale, structure, physiognomy, subordinate relations and place names of the “Gozoku” settlements.
    It follows that the “Gozoku” settlements in the mountainous districts are different from those in alluvial fans in Iwate Prefecture. There are differences in scale, physiognomy and economic life between setlements in the Tohoku district and in Plokuriku district located in the alluvial fans. Particularly the “Gozoku” settlements in the Kinki district are completely different from those in the Tohoku district in the form, settlement of place name, subordinate relations through their history of development. Moated settlements have their own respective origins and functions. These settlements are considered to be largely affected by their own regional characters.
  • 季刊地理学
    2001年 53 巻 3 号 171-172
    発行日: 2001/09/01
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 熊野 正也
    史学雑誌
    1984年 93 巻 5 号 608-612
    発行日: 1984/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 島内 利昭, 永石 利文, 久原 洋一
    農業農村工学会誌
    2011年 79 巻 6 号 443-446,a2
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/01/08
    ジャーナル フリー

    かつて佐賀平野には,網の目のように走るクリークが存在した。近年の生活様式の多様化に伴う混住化の進展と農業生産性の向上のための「ほ場整備事業」の実施などにより,昔ながらのクリークはほとんど見られなくなり,集落内や一部の地域のみに残るだけとなった。直鳥地区は,昔ながらの農村景観を有した地区であるが,その現況は,クリーク内に泥土が堆積し,護岸は土羽構造であるため,侵食による法面崩壊が顕著である。県営地域用水環境整備事業に着手し,「地区内の水の循環」,「地域用水の有する多面的機能の維持増進」を図るとともに,貴重な文化財でもあり,古き農村景観の形を変えることなく保全した。

  • 秋山 浩三
    日本考古学
    2002年 9 巻 14 号 127-136
    発行日: 2002/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    西日本でも近年,縄文時代の代表的な石製呪術具である石棒類(石棒・石刀・石剣)の研究が盛んになってきた。とくに小林青樹や中村豊らを中心とする研究者によって西日本各地の関連資料の集成作業がなされ,重要な成果が公表された。そのなかで,『河内平野遺跡群の動態』(大阪府・近畿自動車道関連報告書)に収載されていた石棒の一部に関しては,掲載方法の不備(図面・記載の欠如)もあって,上記集成書からは遺漏してしまっている。
    それらの報告補遺を端緒とし,(旧)河内湖南岸域の諸遺跡から出土している石棒類を再検討する。その結果,この地域の石棒類には,弥生時代に属する遺構からの出土例が比較的多くみられ,"弥生時代の石棒"の存在を確実視できる。さらに,同様の観点で近畿地方各地の関連データを検索するならば,近畿一円に類似した現象を追認でき,それらの多くは縄文晩期末(突帯文)・弥生前期(遠賀川系)土器共存期の弥生開始期~弥生中期初頭(第II様式)という,一定の継続した時間幅のなかに位置付けられることが明らかになった。この現象は,ことに大阪湾沿岸域で比較的顕著で,なかでも近畿最古期の
    環濠集落
    を成立させた地域周辺で際立っている。
    従来の研究において,弥生時代の石棒に関しては,縄文時代の石棒類とは異なる原理で生まれたと評価されることが主流で,縄文時代から継承するあり方で遺存する諸例に対し積極的に言及されることがなかった。しかし,このような石棒類を分析するならば,弥生開始期における縄文・弥生系両集団の接触・「共生」(共存状態)・融合という過渡的様相のなか,両系集団の間にはおおむね当初段階からかなり密接な関係が,使用していた土器の種類や経済的基盤の違いをこえて達成されていたと想定できる。これは,縄文・弥生系集団による隣接地内における共生の前提であり背景であった。さらに,祭祀行為自体の特性から推測すると,このような弥生開始期やそれ以降の普遍的な弥生文化の定着後においても,石棒類が直ちには消滅せずに根強く存続した要因として,弥生文化の担い手の主体的な部分が在来の縄文系集団に依拠・由来していたことによる,という見通しを得ることができる。
  • 池田 雅美
    地理学評論
    1961年 34 巻 7 号 400-405
    発行日: 1961/07/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    A mansion of village lord (Gozoku-Yashiki) has become the core, from which a scattered settlement had been grown; the reserch made by Dr. Makino was an leading study, to which the writer would like to criticize.
    Aaccording to his own investigation on the mansions of Gozoku in the north-eastern districts of Japan, it will be possible to find in a way the center point in their “Concentrated Villages”. He has an idea that especially in the north-eastern districts there are many types of the settlements of village lord.
  • 野島 永
    史学雑誌
    1999年 108 巻 5 号 644-649
    発行日: 1999/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 三上 喜孝
    史学雑誌
    1998年 107 巻 7 号 1363-1364
    発行日: 1998/07/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 林原 利明
    史学雑誌
    2000年 109 巻 5 号 686-691
    発行日: 2000/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 島田 和高, 松浦 史浩, 禰〓田 佳男, 久住 猛雄, 堀内 明博
    史学雑誌
    1998年 107 巻 5 号 670-676
    発行日: 1998/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 松本 完
    史学雑誌
    1995年 104 巻 5 号 646-652
    発行日: 1995/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 大阪平野の弥生時代中期遺跡群を中心に
    若林 邦彦
    日本考古学
    2001年 8 巻 12 号 35-54
    発行日: 2001/10/06
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代中~後期の大規模集落については,拠点集落・城砦集落・都市など様々な名称が与えられてきた。特に,大阪府池上曽根遺跡の調査成果を初端とした弥生都市論は注目を集めている。本稿では,大規模集落の実態を分析し,複雑化した集落遺跡に関する新たな位置づけを試みた。
    分析対象地域としては,大阪平野中部を取り上げ,このうち弥生時代中期に連続的に集落遺跡が形成される,河内湖南岸遺跡群,平野川・長瀬川流域遺跡群・河内湖東岸遺跡群の3領域について,各時期の居住域・墓域の平面分布の変化を検討した。その結果,大規模集落・拠点集落と言われてきた領域では,径100~200m程度の平面規模の居住域に方形周溝墓群が付随した構造が複数近接存在し,小規模集落といわれていた部分はそのセットの粗分布域と認識できた。
    この居住域は竪穴住居・建物が20~50棟程度の規模と推測され,単位集団・世帯共同体論で想定された集団の数倍以上となる。本稿では,これを「基礎集団」と仮称した。基礎集団は,小児棺を含む複数埋葬という家族墓的属性をもつ方形周溝墓群形成の母体と推定されることから,血縁関係を結合原理としていたと考えられる。また,この集団は水田域形成の基盤ともみられる。本稿では,基礎集団を,集落占地・耕作・利害調整上の重要な機能を果たす人間集団と位置づけた。
    基礎集団概念にもとづけば大規模集落はその複合体と考えられ,近畿地方平野部において環濠と呼ばれている大溝群も集落全体を囲むものとは考えられない。また,大規模集落内では,近接する基礎集団間関係が複雑化し,それが方形周溝墓群内外にみられる不均等傾向をもたらしたと考えられる。さらに,池上曽根遺跡における既往の分析によれば,近接する各基礎集団間には一定程度の機能分化傾向も読み取れ,大規模集落内外に基礎集団相互の経済的依存関係が醸成されていたことが注目される。また,同様の特徴は西日本における他地域の大規模集落にも認められる。
    以上の特徴を前提とすれば,大規模集落に対し,経済的外部依存率の低い自給的農村としての城砦集落と定義するのは難しい。また,基礎集団が血縁集団的性格をもつことは,都市と定義づけるにはそぐわない居住原理の内在を大規模集落に想定せざるを得ない。このことから,本稿では弥生時代の大規模集落を農村でも都市でもない「複合型集落」という概念でとらえ,社会複雑化のプロセスを考察することを提案する。
  • 鬼塚 克忠, 原 裕
    土木学会論文集C(地圏工学)
    2012年 68 巻 4 号 621-632
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/10/19
    ジャーナル フリー
     吉野ヶ里遺跡の墳丘墓(B. C. 150年頃)は主に層築で構築された我が国最古の巨大盛土構築物である.盛土の構築技術は,レベルの低いものから,堆築,層築,版築の3段階に分類できることを示し,吉野ヶ里墳丘墓の構築技術のルーツであると考えられる中国江南地方の土□墓(西周~戦国時代),と山東半島の墳墓(前漢~後漢時代)と吉野ヶ里墳丘墓の埋葬物の墳墓内の位置など様々な実態の比較,ならびに上記3段階の構築技術のこれら墳墓への適用についての検討を行った.墳丘墓以外の文化・技術のルーツや伝播も考えた結果,江南の土□墓もしくは山東半島の墳墓の構築技術が,朝鮮半島経由ではなく海を経て直接,北部九州の吉野ヶ里に伝播したことを結論とした.
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