日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)は戦後になって日本で本格的に受容された12音技法について否定的な見解を示した。しかし、1955年に書かれた《交響的組曲「ユーカラ」》のスケッチのなかには12音音列やオクターヴ内の12の音すべてを重複なしに使用した旋律の断片が残されている。早坂の12音技法への関心を示すスケッチの存在は、早坂が12音技法を少なからず試みた、あるいは試みようとしたことの証左である。早坂は作品の完成稿に12音技法そのものを用いなかったが、音程や音数のグループ化によって、12音の組織化を試みている。本稿はスケッチを足がかりとして、早坂文雄と12音技法との係わりを、彼自身の汎東洋主義の音楽論との関係も含めて明らかにすることを試みたものである。
12音技法自体は放棄したものの、早坂は《ユーカラ》のなかで様々な音を組織化する手法を用いた。同じ音程の反復や音数のグループ化といった音の組織化は12音技法そのものよりも、むしろ新ヴィーン楽派の無調期の作風との関連を感じさせるものである。音を組織化する種々の手法は、早坂が12音技法をそのまま受け容れたのではなく、独自の方法でそれらを咀嚼し、東洋的な抽象性・ 形而上性と無調音楽との融合を目指した音楽観である自らの汎東洋主義との接点を模索した結果であると結論づけられる。
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