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クエリ検索: "考古学研究会"
289件中 1-20の結果を表示しています
  • 坂田 俊文, 惠多谷 雅弘
    日本リモートセンシング学会誌
    2015年 35 巻 3 号 194-195
    発行日: 2015/07/03
    公開日: 2016/02/04
    ジャーナル フリー
  • 出口 敦, 松浦 裕己, 有馬 隆文
    日本建築学会計画系論文集
    2004年 69 巻 582 号 95-100
    発行日: 2004/08/30
    公開日: 2017/02/09
    ジャーナル フリー
    The preservation of archaeological sites is one of the severe problems in the planning of historical environment with mass excavation of the sites following expansion of urbanized areas in recent years. This study aims to understand the historical context of a region through spatial analysis by constructing the geographical information system(GIS) for integrating geographical and archaeological information and the original analyzing methodology. As a case study, we could identify the characteristic points of the ruin location based on the spatial analysis application created in this system. Through the case study, this system enables us to identify the ancient social territories by the analysis on the visible relation between each of sites with the 3-dimensional geographical data.
  • 社会考古学的立場から
    溝口 孝司
    日本考古学
    2004年 11 巻 18 号 1-19
    発行日: 2004/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    小論は,考古学的物質文化の変化について行われ得る説明/理解に関する論考を展開する。その際,直接的観察が不可能な心的現象ではなく,社会現象として直接的観察可能な最小の基本単位としてのコミュニケーションと,その物質的痕跡に観察・記述の焦点を置き,コミュニケーションの容態とその「環境」=世界との共変動を,物質文化変化の理解/説明の検証可能な因果的モデル化の軸とした。このようにして提示されたモデルの運用性を,弥生III~IV期の北部九州におこった一般層の甕棺墓地の空間構造の変化の分析を通じて確かめた。そして,その結果を踏まえ,考古学的物質文化の変化に関する既存の研究枠組みについて,批判的検討を行った。そして,弥生時代III~IV期の北部九州におこった一般層の甕棺墓地の空間構造の変化は,共/協同性をテーマとする葬送コミュニケーションから,個別的系譜関係の確認をテーマとする葬送コミュニケーションへの変化の結果として理解することが可能なこと,また,このようなコミュニケーションの容態の変化が,その他の社会システムの変化に若干遅れることを示し,葬送コミュニケーションという儀礼的コミュニケーションのシステムとしての自律性がこの事態に反映していることを示唆した。結論として,社会的コミュニケーションの容態の分析を軸としたアプローチによって,社会を構成するさまざまな要素間の共変動を偏りなく理解・説明することが可能であることを論じた。
  • 渡辺 武, 天野 光三, 西田 一彦, 高山 雅之, 中村 博司, 森 毅
    土木史研究
    1997年 17 巻 397-404
    発行日: 1997/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    徳川期大阪城の石垣は、その規模や築造技術においてその頂点に位置づけされるものである。石垣石の総数は50万個とも100万個ともいわれ, それらの石材を切り出した石切丁場遺跡が六甲山系・生駒山・小豆島・犬島・北本島・大津島などで確認されていた, 本報は、1977 (昭和52) 年に確認された岡山県前島に所在する石切丁場遺跡の2次にわたる現地調査の報告である身まず、1次調査で行った分布調査から、前島における石切丁場遺跡の全体像を紹介し、つぎに、地域を限定して行った第2次調査の成果から、石材切り出の工程や、採石された行材の特徴を考察した。
  • *遠部 慎, 松田 朝由, 小野 寿美子, 畑山 智史, 五十嵐 聡江
    廃棄物資源循環学会研究発表会講演集
    2010年 21 巻 A11-5
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/07
    会議録・要旨集 フリー
     瀬戸内海に所在する豊島において、私達は考古学的な調査、研究活動を継続的に行ってきた。豊島における考古学的な調査研究は、例えば、産業廃棄物不法投棄現場である「豊島水ヶ浦」の復元、離島におけるパブリックアーケオロジー、現在その技術体系が失われつつある豊島石の整理などに繋がり、きわめて現代的な意義を有している。さらに、近年新たな研究成果の報告、近隣の小豊島においても新資料の発見が相次ぐ中、豊島周辺において、考古学的な広報、普及活動は重要な課題となっている。  これまでに、学会発表や島の学校などでの取り組み、里海探検隊と共同作業があるが、フィールドでの活動部分については、いくつかの課題が残されていた。本発表では、豊島でのフィールド活動の一端を紹介する。
  • 安田 博幸
    ファルマシア
    1967年 3 巻 8 号 555-556
    発行日: 1967/08/15
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 大沼 克彦
    バイオメカニズム
    2000年 15 巻 1-13
    発行日: 2000/06/15
    公開日: 2016/12/05
    ジャーナル フリー
  • 藤 則雄, 阿久津 純
    第四紀研究
    1983年 22 巻 3 号 245-247
    発行日: 1983/11/30
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
  • 卓子形支石墓
    千葉 基次
    日本考古学
    1999年 6 巻 7 号 1-24
    発行日: 1999/05/14
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    1895(明治28)年の"鳥居龍蔵第1回南満州地域踏査"は,支石墓研究の幕開けである。鳥居氏は,析木城の「姑嫂石」という「石室」をヨーロッパでいう"ドルメン"とみなした。現在の卓子形(式),北方式支石墓である。さらに,後年に鳥居氏は朝鮮半島にも踏査をひろげ,現在南方式とも分類される碁盤形の支石墓を認めた。鳥居氏は,卓子形と碁盤形二種の存在と分布の違いを指摘し,そして碁盤形を古式と考えた。一系一統論による支石墓研究は,ここに始まる。以後これは,1960年代末から有光教一,甲元眞之,石光濬氏等の一つの母体から複数の形が生まれると考える一系多統論による研究が提示されるまでの枠組みである。しかし,一系一統論による支石墓研究は,終焉していない。
    筆者は,遼東地域の積石墓,土器あるいは青銅器の資料をとおして得た知見をふまえ,朝鮮・韓半島地域では同型の磨製石剣が複数の形態の支石墓に副葬されることから,伝統的研究法に疑問を説いた。それは,卓子形は始めから卓子形であり,南方式・碁盤形は元をたどれば遼東半島地域の積石墓にまで遡れるとの指摘であり,"〓石墓"と名付けた。
    本文は,卓子形(式)・北方式支石墓を"支石墓"とする。支石墓は,左右の支石に対し,後支石の位置が分類の要であると考え,後支石を左右支石の小口外側に置く小関屯型と,小口内側に置く興隆型とに分けた。両者は,各々に付加要素を持つ支石墓があり,原型・古式の支石墓の推定,そして複数の形態が並行して作られている可能性の変遷と年代について述べてある。支石墓は,構造を共通にして遼寧省,吉林省,朝鮮・韓半島地域の複数の文化の中で作られたと考えられ,地域分離での論議は適切ではないと考える。共通の文化・社会が存在すると考えるのではなく,共通の原型を持ちながら幾つかの地域文化に作られ,固有化の変遷が示されていると考察した。
  • カスピ海南西岸域における鉄器時代IV期以降の精製土器分布
    有松 唯
    オリエント
    2010年 52 巻 2 号 47-75
    発行日: 2010/03/31
    公開日: 2014/03/31
    ジャーナル フリー
    From the Deilaman distinct and the Halimehjan distinct of northern Iran. Distinctive Parthian pottery has been excavated. For that reason, it has been thought that the southwest Caspian coast, which contains these two areas, in this period, was very isolated and peculiar. But this kind of pottery did not find in the other areas of the Southwest Caspian coast by the recent investigation. Furthermore, other kinds of pottery, which reveal a relationship with other regions, has been excavated and prospected from these areas.
     This paper re-exaines the regional variability of the pottery of the southwest Caspian coast and the position of this region, especially that of the Deilaman distinct taking into account new and unpublished material. As a result, it is shown that, at least in Iron Age IV, the Deilaman distinct shared some part of its material culture with other areas including the political center. Also in this region, each neightoring areas shared some fine ware. Probably because of this situation, the fine ware itself was diverse. Then, in the Parthian period, a distinctive, very local pottery assemblage emerged. It is important to note that this assemblage was more limited in period and region, and at the same time, the regional variation in the pottery was more complex and fluid than was previously assumed. One can say that such pottery distribution is characteristic of the southwest Caspian coast in this period.
  • 松谷 暁子
    人類學雜誌
    1988年 96 巻 1 号 111-117
    発行日: 1988年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    古代から栽培されていた日本の主要雑穀三種であるアワ,ヒエ,キビのうち,遺跡からの出土報告が一番少ないのがキビである.小粒であるイネ科雑穀は,炭化物の場合,走査型電子顕微鏡(SEM)による微細構造の観察によらないかぎり,識別が困難なため,最も普遍的なアワとして三者が包活されている場合がある.本報告では,アワとヒエの報告例(松谷1986b,1987)に続き,SEM によりキビ粒と判定された事例を示した.北海道天塩郡豊富町の豊里遺跡(擦文期)から出土した炭化粒で従来アワと考えられていたものである.
  • 太田 宏明
    日本考古学
    2003年 10 巻 15 号 35-56
    発行日: 2003/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    畿内型石室は,地域的にも階層的にもきわめて広範囲にわたって採用された埋葬施設である。したがって,石室構築技術の伝達という側面から古墳時代後期の集団関係を考察するために重要な資料である。本稿は,畿内型石室の編年を行い,階層間・集団間において石室構築技術が伝播した過程について考察したものである。論を進めるために以下の4つの章を用意した。
    1章では,研究史の整理を行い問題め提起を行った。2章では,1章で行った問題提起に従い,すべての地域や階層が共有し,共通した変遷をしている部位に注目して分類・編年を行い,畿内型石室の変遷を一系列で理解できることを示した。この中で,1節では,畿内中枢部の大型石室を1から9群に分類し,各群が畿内型石室の変遷過程を示していることを証明した。同じく2節では,各群が畿内各地の群集墳にも認められることを示し,畿内型石室が極めて斉一的な変遷をしていることを述べた。3章では,畿内型石室が広い階層と地域にわたって斉一的に変遷する理由について考察した。考察の結果,畿内型石室は畿内中枢部で共有化された石室構築技術が畿内各地域の群集墳被葬者層に一元的に伝達されることによって斉一的な変遷が起きていることを述べた。最後に,畿内型石室構築技術の一元的な伝達を可能にしたのは,政権中枢をになう氏族と畿内地域の群集墳被葬者層との強固な階層間の紐帯であり,この紐帯が古墳時代後期の畿内地域における階層構造の特徴であると考えた。
  • 武蔵野台地 黒目川流域を中心として
    奈良 忠寿
    生活大学研究
    2020年 5 巻 1 号 86-96
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/06/13
    ジャーナル フリー
    縄文時代中期加曽利E式期の遺跡から出土する深鉢形土器の大きさを口縁部直径を指標として集計し、通時的な傾向を把握したのちに、時期や遺跡の規模・立地で分け、比較した。その結果、黒目川流域を中心とした限られた範囲ではあるが、土器の大きさがその遺跡の規模や立地と関連性がみられる場合があり、集落研究の新たな指標の一つとなりうることを示した。
  • ―空蝉の記念品“まぼろしの銅鐸”
    中平 典子
    薬学図書館
    1995年 40 巻 1 号 39-40
    発行日: 1995/01/31
    公開日: 2011/09/21
    ジャーナル フリー
  • 西岡 秀雄
    人類學雜誌
    1937年 52 巻 2 号 42-53
    発行日: 1937/02/15
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
  • 田中 元浩
    日本考古学
    2005年 12 巻 20 号 47-73
    発行日: 2005/10/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,畿内地域での古墳時代初頭土器群の成立と展開を把握し,そのうえで土器様式の構造や地域集団の抽出,地域集団間の関係の強弱を明らかにすることである。
    田中琢氏によって設定された庄内式土器は,当初考えられたような畿内地域通有の土器様式ではなく,その展開や分布に一定の偏在性が認められる。また資料の蓄積が一定程度に達した現在では,庄内式土器,布留式土器といった土器様式は単純な様相を示すものではなく,甕形土器・精製器種に複数の系統が存在することが指摘されつつある。
    以上の視点をもとに本稿では,畿内地域における古墳時代初頭前後に出現する庄内甕・布留甕・精製器種各群といった製作技術を共有する土器群の展開を,共通する時期の構成比率によって検討した。
    こうした分析の結果からは,新たに出現する庄内甕・精製器種B群といった土器群は中河内地域の中田遺跡群でその成立をみるとともに,その後の展開については中河内地域と,纒向遺跡を中心とする大和東南部,摂津・北山城・南山城地域に存在する拠点集落同士の交流をもとに,各地域へ展開していくことが明らかとなった。一方布留甕の成立については,各地域の庄内甕・精製器種B群の展開の中心となった集落において複数の分布の拠点が認められる。また細部の形状や技法等の検討からは,各集落での布留甕には型式的な差異が認められ,こうした違いは前段階の在地での庄内甕製作基盤の有無と山陰地域からの技術的影響の強弱が関係している。
    古墳時代初頭土器群の土器様式の構造については,庄内甕・布留甕・精製器種B群といった各土器群が胎土・展開時期・分布において各地域で複雑なあり方を示す。また,分布する庄内甕の特徴によって分布圏が形成され,さらに分布圏の内部で土器群の展開にみられる拠点集落とその周辺集落との間には,構成比率に中心―周辺関係が形成され多様な範囲や集落間関係が存在することが明らかとなった。
  • 桐栄 恭二
    ファルマシア
    1967年 3 巻 8 号 556-557
    発行日: 1967/08/15
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 特にクロダイ体長組成について
    小宮 孟, 鈴木 公雄
    第四紀研究
    1977年 16 巻 2 号 71-75
    発行日: 1977/08/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    In this paper the writers deal with the method and technique for providing a more accurate representation of the body size composition of Jomon shell-midden fish. The specimens analysed here are Acanthopagrus schlegeli (black sea bream) obtained during 1971's excavation of Kamitakatsu shell-midden, Ibaragi Pref. The size frequency distribution of black sea bream premaxillary from the same units, but one derived from laboratory analysis of core samples and another recovered in the trench, were compared (Fig. 2 and Table 1) and, in the former, there occurred a considerable amount of small size specimens of black sea bream which had been missed in the trench. The result shows that the application of core sampling and wet-screening technique furnishes more reliable data on the representation of the body size composition in any prehistoric fishes.
  • 秋田 かな子
    史学雑誌
    2004年 113 巻 5 号 597-602
    発行日: 2004/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 賀来 孝代
    日本考古学
    2002年 9 巻 14 号 37-52
    発行日: 2002/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    埴輪の鳥の種類には鶏・水鳥・鵜・鷹・鶴か鷺があり,それらを実際の鳥の姿や生態と照らして検討した。
    鳥の埴輪は,種類によって出現時期や配列場所が異なっていることから,すべての種類の鳥が同じ役目を担っていたのではなく,種類ごとに,それぞれ違う役割をもっていたに違いない。鳥の埴輪としてひとくくりにせず,別の種類の埴輪と考えるべきである。
    埴輪の鳥の種類を見分けるために,元となる鳥の特徴を,埴輪にどう表現したかを観察した。鳥類という共通性があるために,種類を越えた同じ表現もあるが,種類ごとに違う表現もあり,埴輪の鳥の種類を見分ける手がかりを得ることができた。
    体の各部分の表現を細かく見ていくと,初めはモデルとなる鳥を実際に見て作るが,早い段階で表現がきまってしまい,大多数が実際の鳥ではなく,鳥の埴輪を見て作っていることがわかる。鳥の種類も限られており,自由に鳥を埴輪に写したり,表現したりはできなかったことを示している。
    鳥の埴輪から鳥の埴輪をつくることによって起きる,表現の混在や簡略化の移り変わりを検討したが,そこには古墳時代の人々の観察眼と,観察の結果を埴輪に反映する独自性を読みとることができた。
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