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クエリ検索: "聖書 聖書協会共同訳"
10件中 1-10の結果を表示しています
  • ―古代から現代まで―
    長谷川 修一
    通訳翻訳研究
    2019年 19 巻 153-165
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/03/03
    ジャーナル フリー
    This paper, consisting of two parts, explores the history of translations of the Hebrew Bible. The first part briefly reviews The Bible: Japan Bible Society Interconfessional Version published in 2018 by the Japan Bible Society. In this study, three questions are considered: 1)Why was a new translation needed? 2)What kind of characters does the new translation have? 3)Which translation theory was adopted for the new translation and why? The second part of the paper presents the history of the Hebrew Bible in antiquity by describing the translations of the Hebrew Bible and highlighting the differences in the story of David and Goliath(1 Samuel 17) between a Hebrew text (the Masoretic Text of the Leningrad Codex) and its ancient Greek translation (the Septuagint). It further attempts to explain why such differences emerged during the transmission history of the Hebrew Bible.
  • 山田 彩加
    頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要
    2020年 5 巻 12 号 1-6
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/06/30
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 新共同訳から聖書協会共同訳へ
    小友 聡
    日本の神学
    2021年 60 巻 202-208
    発行日: 2021/09/25
    公開日: 2022/10/01
    ジャーナル フリー
  • ―ライプニッツ・九鬼・中井の哲学から―
    織田 和明
    未来共創
    2020年 7 巻 29-47
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/04/15
    ジャーナル フリー
     西洋を中心とする哲学の歴史において創造論は極めて重要な位置を占めるが、共創という概念はあまり論じられてこなかったように思われる。本論では、G. W.ライプニッツと九鬼周造の哲学を創造という観点から検討し、そして中井正一の思想を参考にしながら共創を探求する理由とその方向性について考察する。  ライプニッツは苦しむ人間に配慮することなく最善世界を1人で創造する冷酷な全知全能の神を考えた。九鬼は到来する偶然を受け止めながら神秘の瞬間にマクロコスモスと共鳴するミクロコスモスのはかない美に瞬間的な共同性を求める孤独な人間を描いた。中井は集団的主体のあり方について研究し、そして様々な形で実践した。それは技術を用いて集団において積極的に他者と協力しながら創造していく方法である。より対等なもの同士の関係性の中でなされる創造としての共創に必要なものは中井が研究し、実践したような、人々が各々の能力を存分に発揮し、持続的に発展していく組織である。共創学の課題は共に創造できる機構を組織するための技術を探求することであり、そのための技術こそが我々の求める共創知である。
  • 原始エルサレム教会から後二世紀まで
    大貫 隆
    生活大学研究
    2021年 6 巻 1 号 24-43
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    生前のイエスによるエルサレム神殿倒壊の予言(マルコ14, 58)は,復活信仰成立後間もない原始エルサレム教会の中で再び活性化された.それは使徒言行録と全書6–7章に記されたステファノ殉教事件から読み取られるように,復活のイエスが天上から再び到来するという待望と結びついていた(第I節).その待望は満たされずに終わり,ステファノを含むギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒はエルサレムから離散した.しかし,アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒は残留した.やがてペトロに代わって「義人」(主の兄弟)ヤコブが指導権を掌握した.以後その系譜に連なりながら後二世紀までさまざまな分派として存続したパレスチナのユダヤ人キリスト教のことを「ユダヤ主義キリスト教」と呼ぶ.第II節で取り上げる『ヘブル人福音書』の断片は,ユダヤ主義キリスト教のキリスト論が初期の「人の子」キリスト論であったことを推測させる.それは義人ヤコブに顕現する復活のイエスを「人の子」と明示している.第III節では,義人ヤコブの最期に関するヘゲシッポスの報告から,ヤコブとその仲間が「人の子」イエスの再臨を待望していたことが論証される.そこでは,生前のイエスが織り上げていた「神の国」についてのイメージ・ネットワークが,原始エルサレム教会の復活信仰によって補正された上で,継承されていることが証明される.同時に,ヤコブが時の大祭司によって「律法を犯したかどで」処刑されたというユダヤ人歴史家ヨセフスの証言から,ヤコ ブがモーセ律法の中の「供儀」条項を拒否していたと推定される(仮説1).第IV節では,AD 70年のローマ軍によるエルサレム神殿の陥落直前に,原始エルサレム教会がヨルダン川東岸のペラ(Pella)へ脱出したこと,その根拠となったのがキリストによる「天啓」あるいは「命令」であったという証言が取り上げられる.その証言はヘゲシッポス,エウセビオス,エピファニオスという教父たちの他,後二世紀のユダヤ主義キリスト教に属する外典文書『ペテロの宣教集』の中に見出される.そこでも,イエスは「人の子」とされ,二回にわたる到来が語られる.一回目は生前のイエスのことで,彼は「真の預言者」として「供儀の廃止」を予言したと言う.二回目は差し迫った再臨のことで,その時初めて「供儀の廃止」が実現されると言われる.おそらく,ローマ軍によるエルサレム陥落の直前には,生前のイエスによる神殿陥落予言(マルコ14, 58)がまたもや活性化され,それがキリストによる「天啓」あるいは「命令」と解釈されたものと推定される(仮説2).第V節では,皇帝ドミティアヌスがイエスの親族(ひ孫)を直接尋問して,その終末待望について問い質したという,またもやヘゲシッポスの報告が分析される.イエスの親族が語る「神の国」は,「人の子」イエスの再臨によって実現されるという点で,原始教会の復活信仰による補正を経ているが,生前のイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークをよく留めている.
  • 宮川 創
    日本語の研究
    2023年 19 巻 2 号 37-52
    発行日: 2023/08/01
    公開日: 2024/02/02
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,日本では江戸時代後期,幕末に入る前である1837年にシンガポールで公刊された『約翰福音之傳』(約翰之福音傳:ヨハン子スノ タヨリ ヨロコビ)の翻訳元の言語を特定することである。『約翰福音之傳』は,新約聖書中の四福音書のうち最後の福音書である『ヨハネによる福音書』の日本語訳である。この書は,新約聖書公同書簡中の三つの『ヨハネによる手紙』の日本語訳である『約翰上中下書』とともに,現存する最古の日本語訳聖書であると言われる。これらの書を訳したのは,プロイセン出身の宣教師ギュツラフ(漢名:郭士立あるいは善徳)である。先行研究では,ギュツラフが英語訳あるいはドイツ語訳から『約翰福音之傳』を日本語へ翻訳したと考えられてきた。しかし,本稿では,『約翰福音之傳』の天理図書館所蔵本の翻刻のテキストに出てくる固有名詞を,欽定訳聖書(英語),ルター訳聖書(ドイツ語),Textus Receptus(ギリシア語本文)と比較し,ギュツラフがこれらの人名をギリシア語本文から直接翻訳した可能性が高いことを示す。

  • 津村 俊夫
    日本の神学
    2021年 60 巻 9-30
    発行日: 2021/09/25
    公開日: 2022/10/01
    ジャーナル フリー
  • ―食事の絵の系譜からの題材提案(7段階学習モデル)と作品分析―
    岡田 匡史
    美術教育学研究
    2021年 53 巻 1 号 65-72
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿は第57回大学美術教育学会で既発表の読解的鑑賞研究を基とする。ルネサンスと称す美術黄金期に熟した西洋絵画を,日本の学習者に人類の文化遺産として触れて貰い理解を増して欲しいと願う。今回は,名画諸作が犇めくフィレンツェ派を離れ,ゴンドラで有名な水の都,ヴェネツィアに育まれた画派より絵を選定した。本稿を起筆した昨夏は予期しなかったが,洪水や新型コロナ禍で大打撃を受けた,美術の宝庫ヴェネツィアの復興を祈る。鑑賞材選定の際,馴染み易く普遍的でもある主題として食事を設け,祝宴図に注意を向けた。日本で広く知られるのは,レオナルドの「最後の晩餐」だが,作品規模・描写水準・技法的熟達度・主題解読密度等で何ら遜色なき絵として,「ヨハネによる福音書」2章1-12節に準拠しながら,ヴェネツィア的脚色も楽しめる,ヴェロネーゼ「カナの婚宴」を選び,作品読解を機軸とする7段階学習モデルを提起した。

  • 小川 俊輔
    社会言語科学
    2023年 26 巻 1 号 78-93
    発行日: 2023/09/30
    公開日: 2023/10/31
    ジャーナル フリー

    現代において,人は神の声を聞くことができるのか.できるとすれば,それはどのように可能なのか.本論文はこの問いに答えようとする.主な考察の対象は日本のカトリック教会である.旧約聖書や現代小説には,神が人間に語りかける場面,神と人間とが直接ことばを交わす場面が繰り返し描かれてきた.しかし,聖書,教会文書,カトリック司祭の著述などによれば,現代を生きる私たちは神の声を物理的な音声として聞くことはできない.他方,聖書は聖霊の働きによって書かれたものであり,それがミサ聖祭において朗読されるとき,それは現存する神が直接会衆に語りかけているのだ,と教会は考える.そして,信徒が聖書,特に福音書を理解できるよう,教会そして司祭は様々な努力を払っている.その具体的な方法の1つが,司祭による福音書の解説,すなわち「説教」である.ミサにおける「説教」は司祭だけが行うことができると定められている.「説教」の他,「聖変化」や「ゆるしの秘跡」など,司祭は教会から様々な権能を与えられている.それらはいずれも神と人間(一般信徒)のコミュニケーションを媒介する役割を担っている.司祭はそのことにより招来する権威性に自覚的である必要がある.

  • 坂岡 大路
    質的心理学研究
    2024年 23 巻 1 号 195-212
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー
    いわゆる「宗教2 世」問題をはじめとした親の宗教的信念を巡る子の葛藤については,当事者視点における体験的意味の研究が不足している現状がある。子の信教の自由や意見表明権を実質的に保障するためには,子がどのような苦しみや葛藤を通して己の思想信条の自由を全うするのかについて探求しなければならない。そこで,本研究では,親の宗教と葛藤する子同士の語り合いから,親子間で生じる葛藤体験およびディスコミュニケーションの構造を探索的に検討した。その結果,①主語のすり替わりによる対話的関係の遮断,②集団対個(子)という特殊な規模の孤立無援感,③壊れの予兆に気づいて手放すことによる自己形成の保障という,三つの構造を見出すことができた。以上の結果を基に考察を行い,さらに以下の発展的な課題が浮き彫りになった。①「私は」・「あなたは」といった主語を取り戻すことは親子の関係構築においてどのような機能を果たすのか。②子の自己形成において,教団外他者とのつながりはどのような役割を果たすのか。③親が子との間で適度に距離を置けるようになるための親支援はいかにして可能か。
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