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クエリ検索: "貞観地震"
246件中 1-20の結果を表示しています
  • 犬木 努
    史学雑誌
    2012年 121 巻 1 号 40-42
    発行日: 2012/01/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 平野 琢
    日本経営倫理学会誌
    2014年 21 巻 71-85
    発行日: 2014/02/28
    公開日: 2017/08/08
    ジャーナル フリー
    Although there are many surveys which investigate nuclear disaster at Fukushima 1st, the evaluation of TEPCO's risk management against tsunamis is still confused. In this research, I attempt a re-evaluation of TEPCO's risk management by using a new framework which complements several points which are overlooked by existing researches. As the result of this re-evaluation, I show following three points. (1) Awareness of the dangers of tsunamis against nuclear power plant was low among common people. (2) However TEPCO had a lot of knowledge about it, by provision of information from experts of tsunami. (3) Although TEPCO had enough risk information, they did not take sufficient measures against tsunamis. Since tidal wave prediction methods include the uncertainty of their results, this company fell into dilemma between cost and safety. Finally, I suggest that lack of discussions about corporate responsibility for risks which have insufficient scientific basis tangles risk management evaluation.
  • 澤井 祐紀
    地質学雑誌
    2017年 123 巻 10 号 819-830
    発行日: 2017/10/15
    公開日: 2018/01/25
    ジャーナル フリー

    本論は東北地方太平洋沿岸で行われた古津波堆積物に関する研究について総括する.東北地方における古津波痕跡に関する地質調査は,1980年代の日本海側で始まった.その後,津波堆積物に関する調査は太平洋側で行われ,1611年慶長津波,1454年享徳津波,869年貞観津波の痕跡が見つかっている.1611年慶長津波については,三陸海岸沖に波源を想定する一方で,千島海溝の巨大地震によるものという説もあり,未だ決着がついていない.1454年享徳津波および869年貞観津波については,日本海溝中部に波源があると考えられ,その規模はM8クラスである.1454年および869年の津波より前には,幾つかの古津波の痕跡が見つかっているが,その波源についてはまだ明らかになっていない.

  • - 古地震研究の重要性と研究成果の社会への周知の課題 -
    岡村 行信
    Synthesiology
    2012年 5 巻 4 号 234-242
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/12/11
    ジャーナル フリー
    歴史文書に記録されている西暦869年
    貞観地震
    を解明するため、地層に残された津波堆積物を詳細に調査し、津波の数値計算を組み合わせて津波規模を推定した。2011年東北地方太平洋沖地震は、その推定よりかなり大きかったが、津波堆積物が過去の巨大津波の証拠であり、巨大津波の警告であることを証明した。この
    貞観地震
    に関する研究成果は地震調査研究推進本部に提出され、2011年3月にはおよそ評価が終わっていたが、社会に周知する直前に地震が発生してしまった。このようなことを繰り返さないためにも、巨大地震に関する研究成果はできるだけ早く社会へ伝える必要がある。同時に、信頼できる研究を進めることも重要である。
  • *高橋 拓也, 伴 雅雄, 大場 司, 林 信太郎, 新城 竜一
    日本鉱物科学会年会講演要旨集
    2016年 2016 巻 R6-P13
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/01/15
    会議録・要旨集 フリー
    鳥海火山は過去約60万年間、山体の成長と崩壊を繰り返してきた。最新の山体崩壊は紀元前466年に発生し、東鳥海カルデラが形成された。その後はカルデラ内で溶岩流出主体の活動が続いている。また、鳥海山は西暦869年の
    貞観地震
    の2年後に噴火(貞観噴火)しており、東北地方太平洋沖地震後、噴火が危ぶまれる火山の一つである。そこで、本研究では、
    貞観地震
    の前後における噴出率やマグマの特徴に変化がみられるかどうかを火山地質学・岩石学的に検討した。その結果、貞観噴火を境にして、噴出率が低下したこと、また苦鉄質マグマの組成が変化したことなどが判明した。
  • 大谷 竜
    公共政策研究
    2012年 12 巻 116-127
    発行日: 2012/12/17
    公開日: 2019/06/08
    ジャーナル フリー

    本論では,東日本大震災を引き起こした平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の発生が,政府の地震調査研究推進本部による長期評価施策において,事前にどの程度想定されていたかを当時の資料を用いて調査した。その結果以下のことが分かった。当時施策で使われていた標準的な手法による予測では,この地震の発生は全く想定されていなかった。しかし,近年明らかになってきた,過去の津波堆積物の調査結果により,この地域では従来考えられてこなかった大津波を伴う巨大地震の発生という,低頻度巨大災害が起きうることについては十分認識されていた。またそれが数百年ごとに再来する可能性についても議論されていた。このことから,地震の前に行われていた長期評価の改訂に関する審議において,同様の大地震の発生が切迫していることを強調する必要性も,一部の委員により主張されていた。しかし,どの程度切迫しているかを科学的に実証できないため,「巨大津波を伴う地震がいつ発生してもおかしくはない」という当初案の表現から,過去の津波堆積物の堆積履歴という事実の記載のみにとどめる方針になりつつあった。その背景として,長期評価はあくまでも「地震の発生」に限定した自然科学的な評価のみが施策の目的であるとする意識が評価者側にあったこと,更に,大地震発生の結果生じる社会への影響を考慮した判断と責任を有する主体が明確に定められていないことが原因である可能性を論ずる。

  • 碓井 照子
    学術の動向
    2012年 17 巻 8 号 8_60-8_61
    発行日: 2012/08/01
    公開日: 2012/12/03
    ジャーナル フリー
  • 宍倉 正展
    安全工学
    2015年 54 巻 5 号 331-339
    発行日: 2015/10/15
    公開日: 2016/07/01
    ジャーナル フリー
    2011 年東北地方太平洋沖地震では津波が沿岸各地を襲い,甚大な被害をもたらした.その巨大な規模から想定外が叫ばれたが,実は古文書や地形・地質の痕跡から,過去にも同様の津波が襲っていたことがわかっていた.このことから東日本大震災後,過去の地震や津波を探る研究(古地震・古津波研究)が注目を浴び,日本列島各地で行われるようになった.一方,行政は想定外をなくすために,過去の事実に関係なく,予め最大クラスの想定を行うようになった.あまりに巨大な想定は,かえって地元住民を困惑させることになってしまいかねない.そこで古地震・古津波の研究者は,新たなアプローチで過去の巨大津波の実態を解明しようと試みている.
  • 澤井 祐紀, 谷川 晃一朗, 篠崎 鉄哉, 田村 亨, 那須 浩郎
    第四紀研究
    2016年 55 巻 2 号 59-66
    発行日: 2016/04/01
    公開日: 2016/04/14
    ジャーナル フリー
    仙台平野南部に位置する熊の作遺跡の発掘現場において,貞観津波に対比される砂層が発見された.砂層は有機質泥層に挟まれ,下位の地層との境界は明瞭であった.砂層の最下部は変形していることが確認され,堆積物の荷重によるものと考えられた.また,変形している砂層基底部と砂層主部の間にはほぼ水平の泥層が認められ,これは一連の堆積イベントで流速が大きく変化したことを示していると考えられた.この砂層には,Nitzschia brevissimaなどの半乾燥環境や陸域を好むとされる珪藻種や,Navicula gregariaなどの汽水生の珪藻種が多産する.放射性炭素年代測定を行った結果,砂層の堆積年代として,
    貞観地震
    の発生年代と矛盾しない年代(西暦745~930年)が算出された.
  • 水町 渉
    年次大会
    2011年 2011 巻 C081004
    発行日: 2011/09/11
    公開日: 2017/06/19
    会議録・要旨集 フリー
    IAEA and OECD/NEA ISOE Committee 7th Chairman TOKYU REIT Toranomon Bldg. 3-17-1, Toranomon, Minato-ku, Tokyo, 105-0001, Japan IAEA has organized the Great East Japan Earthquake Expert Mission on Fukushima-daiichi accident and they reported to the formal meeting in the headquater in Viena.. They made 15 conclusions and 16 lessons and learned. IAEA chairman officially summarized 28 recommendations from them. USNRC published "Recommendations for Enhanuing Reactor Safety in the 21st Century "where they summarized 12 Recommendations on Fukushima Accident. Here is the summary of these recommendations
  • *松本 秀明, 佐々木 弘太, 伊藤 晶文, 熊谷 真樹, 遠藤 大希
    日本地理学会発表要旨集
    2013年 2013a 巻 P002
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の目的
    仙台平野は七北田川,名取川,そして阿武隈川の3河川が流入する臨海沖積平野である。七北田川は流域面積208km2,幹線流路長45㎞であり,流入する3河川の中では最も規模の小さな河川である。七北田川下流域には後氷期海進により内湾が広がったが,第Ⅰ浜堤列が形成された後の3800~3200 yrBPにおいても,浜堤列の陸側に潟湖環境が広がっていた(松本・野中,2006)。その後,潟湖は七北田川が上流から運搬した土砂により埋積が進行し,やがて陸化した。本研究は七北田川下流域に残されていた潟湖が陸化した時期とその原因を大規模洪水イベントとの関係から求めようとするものである。
    研究対象地域の七北田川下流域には,現在の海岸線から直線距離で5㎞(当時の海岸線から約4㎞)内陸に位置する低地上に8世紀後葉から10世紀前葉にかけて存在した国府多賀城の城下町がある。その城下町は869(貞観11)年に発生した地震と津波(
    貞観地震
    津波)により,多くの被害と犠牲者が出たとされる。その貞観津波来襲時に城下町隣接地に潟湖が残存していたか否かを求めることも本研究の目的の1つである。
    2.七北田川下流域の大規模洪水イベント
    七北田川下流域では,本川から後背湿地に溢流した流路に沿って形成された自然堤防地形の形成時期を大規模洪水イベントとして捉え,2400 yrBPおよび1500 yrBPに大規模洪水が頻発した時期があることが求められている(松本・野中,2006;松本,2013)。本研究では新たに地表面下5m前後までの堆積層を16地点において簡易ボーリング調査を実施して確認した結果,地表面下においても2700~2400 yrBPに発生した大規模洪水イベントを確認することができた。また,1900~1500yrBPに発生したと考えられる大規模な洪水イベントの存在も確認された。
    3.大規模洪水イベントと潟湖埋積との関係
    潟湖の存在と時期の確認は,貝殻の産出と泥質堆積物のイオウ分析,放射性炭素年代測定により求めた。当該地域では-0.5mまではカキ礁の産出や堆積物のイオウ含有量の高い潟湖底堆積層が確認された。2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント堆積物は,潟湖底堆積層を覆って堆積し,陸化を加速させた部分と,潟湖を埋積するように堆積したが,堆積後にもその上位に短期間潟湖底環境が残った部分が確認された。前者は潟湖縁辺部分にみられ,後者は潟湖中央部分にみられることから,潟湖の埋積は2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント期に急速に進行したものと考えられる。これに対し,1900~1500 yrBPに発生した大規模洪水イベント期にはすべての調査地点で,潟湖環境は失われていたことが求められた。
    4.潟湖の埋積原因と
    貞観地震
    津波来襲時の古地形
    以上の成果から,潟湖の埋積は主として2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント期に急速に進行したことが求められた。また,869年の
    貞観地震
    津波来襲時には七北田川下流域の潟湖は概ね埋積が完了し陸化あるいは淡水湿地化していたと考えられる。
  • 鈴木 康弘
    学術の動向
    2012年 17 巻 8 号 8_20-8_24
    発行日: 2012/08/01
    公開日: 2012/12/03
    ジャーナル フリー
  • 行谷 佑一, 矢田 俊文
    地震 第2輯
    2014年 66 巻 4 号 73-81
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2014/05/20
    ジャーナル フリー
    To find tsunamis that affected the Pacific coast of eastern Japan during period between A.D. 869 and the 1600s, we searched a historical earthquake and tsunami database for tsunami descriptions. We examined reliability of the descriptions considering the written dates and independence of documents. As a result, at least two events were found. One is the Oei tsunami which occurred on September 1st, 1420 on the Julian calendar (the 7th month 23rd day, 27th year of Oei era on the Japanese calendar). The tsunami affected Kawarago and Aiga villages in Hitachi city, Ibaraki prefecture. Sea receded 9 times during 4 hours, exposing the coastal seafloor, and many fish were carried to the land. No description of earthquake ground shaking was found. The other is the Kyotoku earthquake tsunami which occurred on December 12th, 1454 (11th month 23rd day, 3rd year of Kyotoku era). An earthquake occurred in night and the tsunami widely inundated the coastal area of “Oshu” (the old name of province from Aomori to Fukushima prefectures). Many people were killed in the tsunami. Another entry in the database on December 31st, 1455 (11th month 23rd day, first year of Kosho era) is likely to be a fake event.
  • - 古地震研究の重要性と研究成果の社会への周知の課題 -
    岡村 行信
    Synthesiology English edition
    2013年 5 巻 4 号 241-250
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/04/03
    ジャーナル フリー
    歴史文書に記録されている西暦869年
    貞観地震
    を解明するため、地層に残された津波堆積物を詳細に調査し、津波の数値計算を組み合わせて津波規模を推定した。2011年東北地方太平洋沖地震は、その推定よりかなり大きかったが、津波堆積物が過去の巨大津波の証拠であり、巨大津波の警告であることを証明した。この
    貞観地震
    に関する研究成果は地震調査研究推進本部に提出され、2011年3月にはおよそ評価が終わっていたが、社会に周知する直前に地震が発生してしまった。このようなことを繰り返さないためにも、巨大地震に関する研究成果はできるだけ早く社会へ伝える必要がある。同時に、信頼できる研究を進めることも重要である。
  • 添田 孝史
    学術の動向
    2020年 25 巻 12 号 12_44-12_49
    発行日: 2020/12/01
    公開日: 2021/05/01
    ジャーナル フリー
  • 酒井 英男, 伊藤 孝, 菅頭 明日香
    活断層研究
    2007年 2007 巻 27 号 9-16
    発行日: 2007/06/30
    公開日: 2012/11/13
    ジャーナル フリー
    For investigating paleoearthquakes, dating is important. Generally the14C dating method is employed to date earthquakes that have occurred during the historical and/or the archaeological ages. The archaeomagnetic dating method can also be employed, which uses the remanent magnetization of objects and geomagnetic secular changes. The archaeomagnetic dating method is practical in Japan because detailed secular variations in the geomagnetic field during the past 2000 years have been clarified by Hirooka (1971), etc. In this study, we discuss the archaeomagnetic dating conducted in two regions: the Atotsugawa active fault region in Gifu Prefecture, where the sediment near the main fault zone was studied and the archaeological Ishizuka site of Takaoka city in Toyama Prefecture, where the sand boiling was studied.
    In the Atotsugawa active fault region, archaeomagnetic dating was successfully adopted and it yielded an age of A. D.1850-1900, which corresponds to the earthquake of“ Ansei jishin” that occurred in A. D.1858. At the Ishizuka archaeological site, archaeomagnetic dating on sand boiling yielded an age of A. D.863the year in which“ Jogan jishin” occurred around Toyama Prefecture.
    We conclude that archaeomagnetic dating is useful for the dating of active faults and further study on it is desirable.
  • 髙橋 真実, 長島 康雄, 數本 芳行
    仙台市科学館研究報告
    2013年 22 巻 54-57
    発行日: 2013年
    公開日: 2021/09/19
    研究報告書・技術報告書 フリー
    るねっ・サイエンス事業の 1 つとして「巡回パネル展」を実施した。仙台市教育委員会の掲げる防災教育の重点事項をふまえ,科学の視点から正しい 2011 年東北地方太平洋沖地震の理解を普及啓発させる取り組みである。研究機関や仙台市科学館の調査研究結果を「地震展」として展示し,普及啓発するために行った「巡回地震パネル展」について報告する。巡回地震パネル展の内容については,一定の評価を得たものの,パネルそのものの解説記事の難しさが今後の課題として残った。
  • 海津 一朗
    史学雑誌
    2012年 121 巻 11 号 1949-1950
    発行日: 2012/11/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 阿部 朋弥, 瀬尾 菜々美
    堆積学研究
    2012年 71 巻 2 号 161-165
    発行日: 2012/10/06
    公開日: 2012/11/08
    ジャーナル フリー
  • 松澤 暢
    自然災害科学
    2021年 40 巻 1 号 7-21
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/11/01
    ジャーナル フリー
    2011年東北地方太平洋沖地震では,約500 km ×200 km の広大なプレート境界域が破壊され, 海溝付近で約50 m もの滑りが生じた。このような大きな滑りが発生した理由としては,滑りが 海溝を貫通したこと,thermal pressurization の発生,浅部の弾性定数が小さかったこと等が挙 げられる。広大な滑り域の理由は,大きな高強度パッチモデルやhyper asperity モデルで説明 できる。このような巨大な地震を予見できなかった理由を一言で言えば,限られた情報から「過 学習」してしまったからである。東北地方太平洋沖地震から学ぶことは重要だが,学びすぎて はいけない。さもなくば,次のM9の地震はまた「想定外の地震」になってしまう。
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