1.研究の目的
仙台平野は七北田川,名取川,そして阿武隈川の3河川が流入する臨海沖積平野である。七北田川は流域面積208km
2,幹線流路長45㎞であり,流入する3河川の中では最も規模の小さな河川である。七北田川下流域には後氷期海進により内湾が広がったが,第Ⅰ浜堤列が形成された後の3800~3200 yrBPにおいても,浜堤列の陸側に潟湖環境が広がっていた(松本・野中,2006)。その後,潟湖は七北田川が上流から運搬した土砂により埋積が進行し,やがて陸化した。本研究は七北田川下流域に残されていた潟湖が陸化した時期とその原因を大規模洪水イベントとの関係から求めようとするものである。
研究対象地域の七北田川下流域には,現在の海岸線から直線距離で5㎞(当時の海岸線から約4㎞)内陸に位置する低地上に8世紀後葉から10世紀前葉にかけて存在した国府多賀城の城下町がある。その城下町は869(貞観11)年に発生した地震と津波(
貞観地震
津波)により,多くの被害と犠牲者が出たとされる。その貞観津波来襲時に城下町隣接地に潟湖が残存していたか否かを求めることも本研究の目的の1つである。
2.七北田川下流域の大規模洪水イベント
七北田川下流域では,本川から後背湿地に溢流した流路に沿って形成された自然堤防地形の形成時期を大規模洪水イベントとして捉え,2400 yrBPおよび1500 yrBPに大規模洪水が頻発した時期があることが求められている(松本・野中,2006;松本,2013)。本研究では新たに地表面下5m前後までの堆積層を16地点において簡易ボーリング調査を実施して確認した結果,地表面下においても2700~2400 yrBPに発生した大規模洪水イベントを確認することができた。また,1900~1500yrBPに発生したと考えられる大規模な洪水イベントの存在も確認された。
3.大規模洪水イベントと潟湖埋積との関係
潟湖の存在と時期の確認は,貝殻の産出と泥質堆積物のイオウ分析,放射性炭素年代測定により求めた。当該地域では-0.5mまではカキ礁の産出や堆積物のイオウ含有量の高い潟湖底堆積層が確認された。2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント堆積物は,潟湖底堆積層を覆って堆積し,陸化を加速させた部分と,潟湖を埋積するように堆積したが,堆積後にもその上位に短期間潟湖底環境が残った部分が確認された。前者は潟湖縁辺部分にみられ,後者は潟湖中央部分にみられることから,潟湖の埋積は2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント期に急速に進行したものと考えられる。これに対し,1900~1500 yrBPに発生した大規模洪水イベント期にはすべての調査地点で,潟湖環境は失われていたことが求められた。
4.潟湖の埋積原因と
貞観地震
津波来襲時の古地形
以上の成果から,潟湖の埋積は主として2700~2400 yrBPの大規模洪水イベント期に急速に進行したことが求められた。また,869年の
貞観地震
津波来襲時には七北田川下流域の潟湖は概ね埋積が完了し陸化あるいは淡水湿地化していたと考えられる。
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