Ⅰ.はじめに
昨年,2012年に実施した長春近郊農村調査の内容と,中国を対象とする教育地理学的研究の課題について,拙論(2013)をまとめた。その中でも言及したことであるが,「改革開放」後,中国は義務教育法(1986年)を制定し,義務教育(小学校6年と初級中学3年)の普及を進めてきた。1980年に93%だった小学校入学率は,2010年現在,99.7%に達している。しかし,中国の義務教育は,①地区間および都市-農村部間の学校における教育格差,②学校統廃合(分布調整)による通学困難児童の出現,③都市部における農民工子弟の教育など,いまもなお多くの問題を抱えている。本報告では,吉林省中西部に位置する松原市中心部を事例として,新しい地級市の誕生(1992年)による行政区域の再編やそれと並行する都市化の進展と関連づけながら,約30年間の小学校通学区域の変化を明らかにし,上記の諸問題の一端について考察しようとするものである。
Ⅱ.行政区域の再編と都市化の進展
人口約290万人の松原市は,寧江区(市轄区),扶余市(県級市),乾安県・
長嶺県
,前郭爾羅斯蒙古族自治県(以下,前郭県)を管轄する。その中心部は松花江を挟んだ2つの地区から成る。かつて江北地区は扶余市(現在の扶余市とは異なる),江南地区は前郭県に属していたが,1992年の松原市誕生にともない,江南地区の大部分も扶余区(後の寧江区)に編入された。また,1992年以後,江北・江南地区ともに都市化の進展が著しい。『吉林省地図集』の「城市建設用地拡展」を見ると,かつて市街地とは独立した集落であった郊外村のすぐそば,もしくは中に新しい直線道路が整備された様子が理解できる。こうした行政区域の再編および都市化の進展が,小学校通学区域にも影響を与えていると想定される。
Ⅲ.フィールド調査
2013年8月17日~26日に,斉斉哈爾大学の王治良氏と共に実施した。現地で調達した市街地図やネットの情報を頼りに,中心部にあるはずの小学校を一つひとつ訪問し,現在地を確認した。そして学校関係者(校長,一般教員,用務員)および周辺住民に,学校の規模(児童数・学級数),通学区域,位置・名称の変化,スクールバスの有無などを尋ねて回った。また,学校周辺の様子も観察した。その結果,中心部には約30校の小学校が存在し,4つの管理主体の下に置かれていることが判明した。すなわち,松原市教育局,寧江区教育局,前郭県教育局,油区教育処である。なお,カウンターパートの中国人研究者を通じて教育局(処)への訪問を何度も試みたが,最後まで実現しなかった。
Ⅳ.小学校通学区域の変化
一部の小学校では,校門等の掲示から通学区域が判明したし,聞き取りやネットの掲示板によって何々路の北,何々街の東といった大まかな範囲を知ることができた例もあった。しかし全体としては,日本と同じレベルで通学区域を知ることは困難であった。ある小学校教員によると,教育局(処)には通学区域を示した「学区地図」があるらしいのだが,それを入手することはできなかった。そこで,中心部の小学校数と位置の変化から,この問題を考えてみたい。約30年間に新設された学校数は多くない。おそらくは1992年以後に開発された地区に置かれた1校のみ(市直轄校)であろう。逆に,統廃合された学校は4校あり,いずれも1992年以前の市街地とは独立した郊外村にあったものである。統合先は市街地と郊外の境に位置する学校(通学区域が広く,そのためスクールバスを所有)である。そのうち2校は1992年以前の市街地から移転してきたものである。このように,松原市中心部の教育空間は,市街地の学校(スクールバスなし,通学区域が狭い),市街地と郊外の境に位置する学校(スクールバスあり,通学区域が広い,郊外の学校の一部を分校として統括する拠点の役割を担う),郊外の学校という三層構造になっており,それに応じた通学区域が設定されていることが理解できる。ただ,中国の通学区域の問題はそう簡単ではない。この点については報告時に議論したい。
拙論2013.中国を対象とする教育地理学的研究に向けて―長春近郊農村調査を起点として.小島泰雄編『中国東北における地域構造変化の地理学的研究―長春調査報告』京都大学人間・環境学研究科地域空間論分野,56-67.
本研究には,科学研究費補助金(基盤研究(B)海外学術調査,課題番号24401035,代表者小島泰雄)の一部を使用した。
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