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クエリ検索: "静岡農政事務所"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 稲垣 栄洋, 大石 智広, 高橋 智紀, 松野 和夫
    雑草研究
    2007年 53 巻 2 号 77-78
    発行日: 2007年
    公開日: 2008/08/09
    ジャーナル フリー
  • ——静岡県牧之原市東萩間地区を事例として——
    大石 貴之
    地理学評論 Series A
    2013年 86 巻 3 号 248-269
    発行日: 2013/05/01
    公開日: 2017/12/05
    ジャーナル フリー
    本研究では,荒茶取引における品質決定のあり方を考察することによって,静岡県牧之原市東萩間地区における荒茶供給構造を明らかにした.荒茶取引は荒茶工場の経営形態に規定されることから,荒茶工場の経営形態ごとに,茶商との取引形態を分析した.東萩間地区における荒茶工場は,個人自園工場,個人買葉工場,茶農協工場,株式会社工場に分類され,個人自園工場や個人買葉工場は特定の範囲の茶商との直接取引や斡旋業者を介した取引によって,茶商との密な取引関係を構築し,それが比較的高品質な荒茶供給につながっていた.一方で茶農協工場や株式会社工場は,斡旋業者を介した取引や農協共販による取引によって,広範囲にわたる茶商との経済的な関係を構築し,質よりも量を重視した荒茶供給を行っていた.その結果,東萩間地区では,荒茶工場に対する茶商の関与度および,生葉生産農家に対する荒茶工場の関与度によって,製品の質が規定されるという荒茶供給構造が形成されていた.
  • 山崎 成浩, 堀江 優子, 渥美 和彦, 若澤 秀幸
    日本土壌肥料学雑誌
    2013年 84 巻 5 号 391-393
    発行日: 2013/10/05
    公開日: 2017/06/28
    ジャーナル フリー
  • 深瀬 浩三
    地理空間
    2008年 1 巻 2 号 142-159
    発行日: 2008年
    公開日: 2018/04/12
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文は,煎茶の茶産地として発展した静岡県川根地域を対象に,川根茶の生産と流通を考察し,地域ぐるみの取組みによる山間地の高級茶生産の継続的発展を明らかにした。川根地域の茶業は,わが国の他の茶産地と同様に,明治期から海外への茶の輸出拡大にともなって発展した。1964 年には茶業界で初の全国農業祭天皇杯を受賞したことをきっかけに,全国に高級茶「川根茶」の名を馳せることになった。その後も茶生産者が,茶品評会で数々の優等賞を受賞することにより,高級茶産地としての知名度を誇示し続けてきた。また,川根茶が茶市場に出回りにくいことや,消費者への通信販売を中心とした販売活動によって希少価値が生み出されている。1970 年代以降,伝統的技術を維持する一方で,労働力不足や高齢化,施設投資の軽減を図るために,行政の補助事業を活用した共同製茶工場や農協の再製茶工場の大型化による産地再編が行われてきた。また,行政は今まで生産部門を支援してきたが,川根茶自体の知名度の向上を図るために,地域ぐるみで産地ブランド化にも力をいれている。経営体にとって,労働力(後継者)の確保は大きな課題となり,これは今後の産地の存続に大きく関わる問題である。
  • 中野 敬之
    茶業研究報告
    2008年 2008 巻 105 号 105_1-105_11
    発行日: 2008/06/30
    公開日: 2011/10/07
    ジャーナル フリー
    三番茶を8月1日に421kg/10aで摘採した早期摘採区,8月8日に812kg/10aで摘採した晩期摘採区および不摘採区において,10月19日に樹冠を層別に刈り取って,秋季での樹冠の群落構造を調査した。その結果,三番茶摘採区は不摘採区に比較して,二番茶摘採位置の+4cmより上の樹冠上位の葉重,枝数,芽数が少なかったが,二番茶摘採位置の+2cmより下の樹冠下位での葉重が多かった。この調査結果より秋整枝後の樹冠の構成について推計した結果,樹冠面の芽数は,秋整枝位置の僅かな上下で大きく変動する特性があり,高めの秋整枝では三番茶不摘採区の方が多かったが,低めの秋整枝では三番茶摘採区の方が多かった。秋整枝後の樹冠について,三番茶の摘採の有無で比較すると,枝重と比葉重は摘採区が大きく,蕾数は不摘採区が多かった。秋整枝後の樹冠について,三番茶の摘採時期の違いを比較すると,早期摘採区の方が樹冠の枝重が大きかった。葉重は三番茶摘採の早晩による差がなかったが,LAIは晩期摘採区の方が大きく,比葉重は早期摘採区の方が大きかった。秋整枝後の樹冠表層の芽数は早期摘採区の方が多く,特に側芽数が多かった。
  • *深瀬 浩三
    日本地理学会発表要旨集
    2008年 2008s 巻 305
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
    会議録・要旨集 フリー

    I はじめに
     静岡県は国内最大の茶産地である.茶業経営の大規模化や専門化の傾向は主に平坦地で進行してきた.一方,山間地ではある程度の規模拡大は図られたが,平坦地に比べて生葉の収穫量が少なく,低温のために摘採時期が遅く,市場での価格競争の点で不利であった.そのため,山間地では平坦地との規模格差を補完するために,古くから小規模ながら高級茶生産を展開してきた(山本,1973;増田,1986).近年,荒茶価格の低迷や産地間競争の激化により,平坦地では生産規模の拡大を軸とした産地の再編が図られている(國澤,1999).このような状況下で,山間地の茶産地が,高齢化や労働力不足などの問題を抱えながら,高級茶の生産をどのように継続的に発展させてきたのかに着目する.
     本研究では静岡県の山間地に位置する川根地域を対象とする.大井川中流域に位置する川根地域(川根本町と川根町)では茶業が基幹産業であり、農業粗生産額の約90%を茶が占める(図).川根本町を事例地域として考察した.
    II 川根本町における茶業の変遷
     川根地域の茶業は,わが国の他の茶業地域と同様,明治期から海外への茶の輸出拡大に伴って発展した.川根茶業組合などの指導によって荒茶の製造技術は向上し,生葉の手摘みと機械製茶が一般化した.川根本町(旧中川根町)を例にみると,第二次世界大戦後から1960年代には,生葉の生産に関しては,町の政策によって茶業センターが設立され,在来品種から優良品種「やぶきた」への転換が奨励された.荒茶の製造に関しては,作業効率をあげるために製造機械の導入が進んだ.製茶工場数は,特に荒茶の製造機械を装備した個人経営の工場が増加した.これは生葉の手摘みを主体とした茶生産のため,自園・自製方式が経済的に有利あったためである.1964年には先駆的農家らが全国農業祭天皇杯を茶業界で初めて受賞し,全国に高級ブランド「川根茶」の名を馳せることになった.
     1970年代から1980年代には,全国的に機械の改良や大型化が急速に進み,川根地域でもさまざまな補助事業を活用した産地の基盤整備が始まった.生葉の生産については,収穫効率を上げるために,それまでの手摘みに加えて,鋏摘みや摘採機,防霜ファンが普及した.1980年代半ばには,一部の平坦地で大型の摘採機が導入されたが,傾斜部では大型機械の導入が困難であった.また,荒茶の加工では,農家の茶園経営規模が製茶工場の処理能力に制約されるという状況を打開するために,1986年には農協の再製茶工場が設立された.これにより,自園・自製・自販農家の中には,農協へ荒茶を販売する農家が現れた.1980年代末から,コンピュータ制御による大型製茶機械を導入するために,老朽化した製茶工場の統廃合が進んだ.2006年には機械設備の大型化を図るために,川根地域の各町にあった農協の再製茶工場を統合し,JAおおいがわ川根茶業センターが設立された.
    III 茶の流通・販売  
     茶の流通・販売は複雑であるが,現在,川根地域では一般に次のような形態がみられる.生葉売り農家は,地域内の自園・自製農家や加工業者(茶商)に販売や加工委託を行ったり,所属組織の共同製茶工場への持ち込む.自園・自製農家や共同製茶組織は,荒茶を加工業者や川根茶業センター(再製工場)へ販売している.仕上げ茶については,量が限られているので,自園・自製・自販農家や加工業者は,消費地の問屋を通して小売店に販売したり,通信販売によって販路開拓を行ってきた.また,川根茶業流通センターで再製された茶は,地域内の卸売業者を通して消費地の小売店へ販売されている.静岡茶市場を通して県内の茶商やドリンクメーカーへ販売される場合もある.
    IV ブランド化への取り組みによる産地の対応
     川根地域では,古くから小規模ながら高品質の茶の生産が行われてきた.茶の持つ必需性と嗜好性の二面性が,生産条件の劣悪な山間地でも産地形成を可能にした.自園・自製・自販農家が全国茶品評会などの煎茶部門で数々の優等賞を受賞することにより,高級茶産地としての知名度を誇示し続けてきた.同時に,消費者への通信販売を中心とした販売活動は,希少価値性を生み出し,産地の維持に寄与してきた.また,1980年代からは,自園・自製を主体とした伝統的な経営は,規模拡大などに伴う施設投資の増大により修正を余儀なくされた.高級茶の産地としての伝統を守る一方で,個人の施設投資を軽減したり荒茶生産の効率化を図るために,製茶共同工場の統廃合や農協の再製工場の大型化が進んだ.これは,平坦地の茶業地域と同様,産地の持続的発展に大きな役割を果たしてきた.

    図 静岡県における茶栽培面積と農業粗生産額に占める 茶粗生産額の割合(2000年)
      (関東農政局
    静岡農政事務所
    資料より作成)
  • 中野 敬之
    茶業研究報告
    2009年 2009 巻 107 号 107_31-107_49
    発行日: 2009/06/30
    公開日: 2011/12/09
    ジャーナル フリー
    二番茶を晩期に摘採した後にせん枝すると,秋季における樹冠のバイオマスは顕著に減少した。二番茶後のせん枝が秋整枝後の樹冠表面の芽数に及ぼす影響は二番茶の摘採時期によって異なり,二番茶を早期に摘採した場合はせん枝位置が低いほど(せん枝強度が大きいほど)芽数を増加させたが,二番茶を晩期に多収で摘採した場合はせん枝位置が低いほど芽数を減少させた。しかし,二番茶を早期に摘採してせん枝した場合でも翌年一番茶の新芽数が増加することはなく,二番茶後のせん枝位置が低いほど,翌年一番茶の新芽数を減少させて,百芽重を増加させる効果があった。二番茶後のせん枝が翌年一番茶の早晩に及ぼす影響については,せん枝位置が低くて,秋整枝位置が高い組み合わせにすると,翌年一番茶の生育が極めて遅れた。一番茶の摘採時期は,せん枝位置が低いほど遅れた。二番茶後のせん枝が翌年一番茶の収量に及ぼす影響は年次によって異なり,増収する場合と減収する場合があり,安定していなかった。ただ,二番茶後にせん枝した区の中で二番茶摘採の早晩が翌年一番茶収量に及ぼす影響を比較すると,晩期摘採は早期摘採よりも一番茶収量が少なかった。二番茶後のせん枝が翌年一番茶の品質に及ぼす影響については,せん枝が全窒素含有率や遊離アミノ酸含有率を低下させ,官能審査点も低下させる傾向がみられたが,一番茶の収量が多かった区の低下が目立った。以上のことから,二番茶を晩期に多収で摘採した後のせん枝は秋季までの新梢の生育を劣らせて翌年一番茶の減収を招くことが明らかになった。
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