わが国の心身医学の黎明期に, 一つの有力な方法として, 催眠法が注目され, 本法による特殊な意識状態に対して, 催眠性トランスという表現がよく用いられたものである。今日では, 催眠は, 心身医学の領域でも, しだいに忘れられつつあるが, 近年米国を中心にしてASC(altered state of consciousness)に関する科学的な研究が, しだいに活発化してきている。ASCというのは, 催眠性トランスのみでなく, 自律訓練法, TM(超越的瞑想), 禅やヨーガなどによる特殊な意識状態を包括する表現である。このASCが, 生理的なホメオスターシスや心理的なセルフ・コントロールの回復にもつ意味の大きいことが, 国際的に注目されるようになり, これが, 今日, 海外で禅やヨーガなどの東洋的なアプローチが, 人気をよんでいる主な理由でもある。この特別講演で, A.K. Tebecisは, 今日までに開発されているASCについての生理学的なデータを, 最新の知見を組み入れて, 手際よくまとめている。なにしろ, 人間の最高度の精神生理学的な営みを, 科学的に探ろうとするものであり, その方法は, きわめて限られたものであり, その研究成績も、きわめて初歩的な段階のものであることは, 彼が強調しているとおりである。とにかく, ASCのベースをなすものは, trophotropic(走養素性)と呼ばれる状態であり, これが, 心身両面でのホメオスターシスを促すものであることは, 諸種のデータによって, ほぼ類推されるところである。ところが, 自律訓練法, TM, 禅やヨーガにおけるASCの究極の姿として, "meditative concentration", "restful alterness", "relaxed awareness with steady responsiveness", "feeling of great bliss"などとよばれる状態は, 単なるtrophotropicな状態をこえたものである。ここにおいて, 人間のbodyとmindをこえた, フランクルなどのいうspiritとしての精神機能が発現することが, その道の専門家たちによって示唆されており, Tebecisも同じ意見のようである。そこで, 彼は本講演の結びの言葉として, 心身医学は, boryとmindだけでなく, spiritをも包括する学問でなければならないと提言している。しかも, このspiritは, 客体を分析するといった科学的アプローチによってではなく, 研究者が自ら主体的に体験することによってのみ, 真に理解されるものであると述べている。本稿は医学的療法としての自律訓練法と禅, ヨーガなどとの関連をふまえて, この種の療法の基本的メカニズムの理解を助け, 心身医学の研究に一つの新しい示唆を与えるものとして興味深い。Tebecisは, もともとオーストラリアのキャンベラ国立大学で脳の伝達物質の研究をしていた神経生理学者である。それがふとしたことから, ASCの研究に興味をいだくようになり, A. Mearesのすすめで, 九大心療内科に留学すること(日本学術振興会の交換研究員)になったものである。(九大 池見)
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