和歌山大学の美術教育学の制度的成立過程の三段階を解明した。第一段階:和歌山師範学校から和歌山大学学芸学部へ美術教官はほぼ移行し,美術教育関係授業は招聘した著名な作家以外の教官で分担された。多くの大学と同様,美術科教育専門教官はいなかった。第二段階:文部省と激しい折衝後,昭和39年2月学科目省令発足時の同大学美術関係学科目は絵画と彫塑となった。昭和47年5月に美術科教育の学科目が増設され,教官定員も純増となり,同年12月に美術教育学専門家が採用された。学科目定員と人員及びその研究内容が整合した。ただ大学側に美術教育学の認識は明確ではなかった。第三段階:平成3年に美術科教育学科目にもう一名が採用された。平成5年4月の大学院教育学研究科及び同美術教育専修の設置で同大学の美術教育学の制度的基盤は成立した。