抄録
本研究の目的は,1940年代後半から60年代末に至る戦後日本における創造主義美術教育の理論と運動をめぐる議論(創美論争)について考察し,その全体像を明らかにすることである。前稿では,久保貞次郎の美術教育論の特色を理論化の過程を遡ることによって明らかにした上で,「教育的」及び「心理学的」観点からの議論を分析したが,本稿では,「政治的・社会的」及び「教科論的」観点からの議論と「当事者・協力者」による議論を分析し,前稿の成果と合わせて,論争の全体像を明らかにするとともに,「創美論争」の再定義を試みた。その結果,創美論争は1956年末頃を境にその性格が大きく変化していること,全論争を通じ,久保貞次郎の美術教育論に元々内在していた問題が一貫して批判の対象となっていることが明らかになった。