奈良教育大学の美術教育学の制度的成立過程の三段階を解明した。第一段階:奈良師範学校から奈良学芸大学へ美術教官は全員移行した。全員移行は全国的に稀である。芸術重視の方針の下,奈良学芸大学は開学した。美術科教育関係授業は坂元一男と溝口勝也が主に担当した。他の多くの大学と同様,美術科教育専門教官はいなかった。第二段階:昭和39年2 月学科目省令発足時の同大学美術関係学科目は絵画,彫塑,美術理論・美術史の三つであった。美術科教育の学科目は昭和44年5 月に増設され,翌45年9 月に樋口敏生の着任によって人員配置がなされた。第三段階:昭和58年4 月に大学院教育学研究科と美術教育専攻が設置され,これにより奈良教育大学の美術教育学の制度的基盤は成立した。