抄録
高知県物部村の民間信仰は一般にイザナギ流と称され、ムラを単位として流派や太夫(民間宗教者)集団を形成していた。戦後、村落が崩壊したのにも関わらず、イザナギ流は存続する。それは太夫集団がゲゼルシャフト的側面を持ち、階層ではなく、ネットワーク的結合で形成されていたからである。また、リカンという独特の思想様式も人文環境の変化に柔軟な対応を可能にした。このように発表者らは、地理的隔絶性ではなく、太夫集団やその再編過程に存続の一要因があると考えた。現在、イザナギ流は高度情報化社会を背景に、集団ではなく、広域に活動をする個人としての、各太夫にゆだねられ、山間地域の民間信仰ではなく、現世利益の宗教として質的にも変容しつつある。