日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
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井笠地域における工業の展開と地域編成
昭和初期を中心に
*前田  昌義
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p. 160

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抄録
1. はじめに 神立春樹は、『産業革命期における地域編成』(岡山大学経済学部、1987)において、産業編成論、地域編成論、生活編成論からなる産業革命研究を提起した。そして、地域編成論と生活編成論について、検討を加えている。 地域における工業の展開と地域の経済構造の変化、つまり地域編成は、近代における地域の変化を検討するうえで重要である。神立前掲書では、『岡山県統計書』等の統計を用いて、岡山県全体の地域編成と岡山市、児島郡、牛窓町(邑久郡)についての地域編成が検討されている。しかし、検討の中心となる年度は、大正中期までであり、「産業革命期」という限定では問題ないが、戦前期を通じての地域の変化をとらえるには、物足りないものがある。 本報告では、神立に倣い『岡山県統計書』等の統計を用い、昭和初期の時期についてとらえる方法を補足して、岡山県南西部の井笠地域(小田郡・後月郡)の近代における工業化と地域編成について検討する。2.井笠地域における工場展開 岡山県南西部の井笠地域は、笠岡町、井原町という町場を中心とし、中小の町場と畑作中心の農村からなる地帯である。この地域の工業展開についてみると、笠岡、井原という中心的な町場に明治20年代に工場(職工10人以上)が立地し、明治末までは、ほぼ工場はこの地域に限られる。明治末から大正期にかけて、笠岡・井原の周辺地域に工場が立地しはじめる。そして、それは、明治42年のみに判明する職工5人以上10人未満工場の展開を背景としている。こうした、職工5人以上10人未満工場の展開のうえに、職工10人以上工場の明治末から大正期の族生があった。 こうした大正期にかけての工場展開であるが、地域によって産業ごとの特色がある。また、笠岡、井原は、都市的な地域として、雑多な産業展開を特色とする。  この地域の、昭和初期の職工5人以上工場の展開は、大正期までの展開を受けて、後月の工業化は活発である。井原周辺への織物業の展開は活発であり、とくに高屋への集中が進む。3.綿織物工業の発展 こうした工場展開の主力は、とくに後月郡を中心とする織物業の工場である。早くから工場が立地した井原周辺の西江原、出部、高屋等に、織物工場が族生し、工業地帯を形成する。しかも、この織物工場は、綿小倉という特定製品へ集中した立地であった。 岡山県の織物業は、綿織物が大半であり、児島郡と後月郡という中小機業家中心の地域と岡山市、都窪郡(・倉敷市)、上道郡という紡績会社の兼営織布中心の地域とが中心であった。そして、児島、後月ともに、大正期から昭和初期、綿小倉へと集中することで、生産額を伸ばす。昭和初期には、岡山県が綿小倉の全国における独占的産地であった。岡山県の綿織物業の大正期の発展は、この児島、後月の中小機業家の綿小倉生産によって、支えられていた。4.生産総価額による検討 明治期には小田郡のほうが、後月郡より工場展開が進んでいたが、綿小倉に集中した織物業によって、明治末から大正期に工業展開が進んだ後月郡が小田郡を追い越してしまう。そして、生産総価額においても、総額はさほど高くないが、工業の比率の高さや現住1人あたり生産総価額が、岡山市や児島郡といった、県内でもっとも工業の展開した地域に近くなる。つまり、農村工業地となり、人口のわりには、高い生産総価額を持つように、経済発展をとげる。5.物産移出入による検討こうした、工業の展開を反映して、物産移出移入においても、地域の産物を移出し、原料等を移入するという移出入の特色が表れる。また、笠岡、井原は、中心的な町場として、この地域の物産移出移入の結節点であり、雑多なものが移出入に表れる。6.人口構成による検討 こうした、地域の工場展開を反映して、人口構成においても、変化をとげる。工業人口が岡山市等と近い比率を示す。ただし、大規模な紡績工場等はあまりなく、周辺からの通い職工中心と考えられる。こうした、工業やそれに伴う商業の発展により、笠岡、井原は他町村等から人口が集まり、人口が増加する。7.おわりに 明治末にはじまる、綿織物業の工場展開が、小田、後月という井笠地域の経済構造を形成し、これによって、人口構成等も大きく左右された。つまり、綿織物業を中心とする工業展開によって、地域編成が行われたのである。
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