抄録
ゴールドプランが発表された1989年以降,日本の地方自治体は高齢者福祉の実現に対して,正面から取り組まざるを得なくなった.しかし,自治体の取組みには温度差もあり,財政負担増への懸念から消極的な姿勢をとる自治体もないではなかった.また,積極的に取り組む自治体においても,高齢者が住み慣れた地域に住み続けられることが目標として掲げられていることからもわかるように,当該自治体に住み続けて高齢期を迎えた住民へのサービス提供を暗黙の前提とするケースが多い.とくに近年は自治体財政をとりまく環境の悪化から,財政負担増を恐れて転入する高齢者の受け皿となるような施設の新設に待ったをかける自治体も少なくない.だが,その一方で,高齢者を積極的に受け入れ,高齢者福祉の充実を柱にした地域活性化に取り組む自治体も現れてきた. こうした動きは20年ほど前から合衆国で報告されており,非大都市圏地域では高齢者の受け入れを積極的に打ち出している地方自治体もめずらしくない. また,地理学やその隣接分野で高齢人口の移動がもたらす経済効果に関する研究が進められている.例えば,1985_から_90年の高齢人口移動(州間)による経済効果を試算したCrown and Longino(1991)は,その所得再配分効果を総額で6000億ドルと試算している.彼らは高齢者の受け入れに熱心な自治体が多い理由として,移動する高齢者は経済的に豊かで健康な人が多く,財やサービスの購入を通じて地域経済を活性化し,雇用を生み出し,ひいては自治体の税収に貢献する点を挙げている.もちろん,転入する高齢者の中にはやがて医療・福祉サービスが必要となる人も現れる.だが,たとえサービスの提供が必要になったとしても,そのためのコストの多くは州や連邦など上位の政府からの補助金や社会保障給付金,あるいは高齢者本人の負担によってまかなわれるため,自治体の負担が激増するわけではない.しかも,サービス供給にあたっては雇用を生み出すというメリットもあると指摘する. 近年は日本でも過疎地域を中心に高齢者の受け入れに積極的に乗り出す自治体が現れてきた.シルバー・アルカディア事業と銘打ち,定年前後の世代を積極的に受け容れている島根県西ノ島町,介護サービス利用時の自己負担をゼロにして近隣の高齢者を集めている島根県西郷町などである.計画・検討段階の自治体はさらに多い. 3年後には総人口が減少を始めることが予想され,地域住民としての高齢者の重要性は一層高まるだろう.移動高齢者に限らず,高齢者が住むことが地域経済・財政や地域社会に与える影響について,あるいは社会保障制度や財政移転システムが住民としての高齢者の「ありがたみ」に及ぼす影響について,さまざまな角度から検討することが求められよう.