日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会春季学術大会
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明治・大正期におけるヨットの伝播と受容基盤
*佐藤 大祐
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p. 000005

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抄録

1. はじめに 欧米のスポーツが日本に定着した時期や場所は,スポーツの種類によって大きく異なる.これらの差異には,用具の導入プロセスや価格,必要とされる競技場といったスポーツそのものの特性や,スポーツを受け入れた華族や学生などの社会属性の違い,および当時の社会的背景が大きく影響したものと考えられる. 周知のように文化伝播とは,文化要素が起源地から他の地域に伝わっていくことである.ここで,ある一つの地域に焦点を絞って伝播の過程をみてみると,文化要素はごく少数の人物によって地域に「導入」され,地域の多くの人々に受容されてはじめて「定着」する.そして場合によっては他の地域へ「拡散」する.本研究では,この伝播の過程における定着の段階を重視する.そして,定着の段階で文化要素を受け入れた人間集団とその社会的背景を,受容基盤と呼ぶ.2. 目的と方法 本研究の目的は,明治・大正期の日本においてヨットというスポーツがいかに伝播したのかを,受容基盤に注目して明らかにすることにある.ヨットの場合,艇がある地域に導入されて隻数が増えると,その地域を単位としてヨットクラブが結成される.つまり,ヨットクラブの結成が,ヨットが地域に定着したことを意味する.したがって,本研究で受容基盤として具体的に分析するものは,_丸1_ヨットクラブの結成を主導した人物,_丸2_クラブ会員の社会属性,_丸3_当時の社会経済状況である.また,ヨットクラブを結成に導いたものとして,ヨットクラブが地域で果たした機能もあわせて検討する.加えて,ヨットが他の地域に拡散する原動力として,交通機関の発達だけでなく,クラブの活動を通じた地域間交流がどのように作用したのかを吟味する.3. 結果 まず,ヨットは欧米列強の植民地貿易の前進基地である外国人居留地に導入された.横浜では,居留地貿易を主導した商館経営者や銀行・商社駐在員,外交官などの外国人によって,ヨットクラブが1886年に結成され,彼らの社交場として機能した.その後,ヨットは1890年代に形成された中禅寺湖畔の高原避暑地に伝播し,ヨットクラブが1906年に結成された.この担い手はイギリスやベルギーなどの駐日公使をはじめとする欧米外交官であった.中禅寺湖畔では夏季に,東京における欧米外交官と日本人華族の国際交流が繰り広げられた.そして,ヨットは海浜別荘地である湘南海岸において,華族を中心とする上流日本人の間へ1920年代から普及していった.以上のように,ヨットは居留地外国人・駐日外交官から日本人華族・財界人への受容基盤の変化とともに,外国人居留地から高原避暑地,海浜別荘地へと伝播し,定着したことが分かった.

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