はじめに 南九州の地表の50%強は火砕流台地で占められ,平野の大部分は29 cal ka(奥野,2002)の入戸火砕流原に関わった起源をもつ.火砕流堆積直後の急速な開析によりシラス台地とそれを刻む低地が形成され,それぞれの歴史が始まった.台地上では風成物質の堆積累重を基本としつつ浅谷の埋積が進行した一方,低地では海面変化に対応して河谷の下刻とその開析谷への沖積層の堆積が展開された.この間,南九州で発生した大小様々な火山噴火は,火砕物の供給や植生への打撃といった点で地表環境に影響を与えた.
本発表では,現在に至る南九州の地表の生いたちを総括するため,沖積低地・流砂系・台地それぞれの地形発達・古環境に関する知見を再構成し,台地と低地を一括りにして地表景観の復原を行い,地表変化と基盤をなすシラス並びに姶良入戸噴火以降の火山噴火との関係について議論する.
火山噴火の流域・植生への影響 南九州で縄文海進最盛期頃に生じた種々の火山噴火が,内湾の陸化に大きな影響を及ぼした(森脇,2002)ように,土砂供給は火山噴火の影響の大切な側面で,テフラの二次堆積物は沖積層や台地上の浅谷の埋積に寄与した.一次のテフラは乾陸上ではローム・黒ボク中に層として介在し保存されるものの,とくに小規模な噴火や給源火山から離れた地域の場合,その元来の堆積層厚を捉えるのは容易ではない.こうした台地上に比べ,泥炭地はとりわけテフラの保存状態がよく,火山噴火の流域環境への影響を的確に評価するうえで重要な情報源をなす.肝属平野の泥炭層中には,台地上では層として検出されないテフラが5枚見出されている(永迫ほか,1999).泥炭の堆積速度は黒ボクに比べておよそ10倍の速さがあるが,テフラの保存度にもこれと同程度かそれ以上の違いがあると考えられる.
桜島高峠2・霧島御池・開聞岳1の降下堆積による植生への影響について,肝属平野の泥炭層を対象にした花粉分析により検討したところ,花粉組成に明瞭な変化は認められず,影響があったとしても泥炭1試料の時間分解能からみてせいぜい数年間といった短期間と判断された(河合ほか,2000).北九州よりも温暖とみられる中_から_南九州において,シイ属よりも寒冷な気候を好むアカガシ亜属が卓越しシイ属が少ない傾向にある要因として,火山噴火の影響が指摘された(畑中ほか,1998)が,他の要因を検討しなければならない.
小規模噴火と異なり,鬼界アカホヤ噴火(7.3 cal ka: Kitagawa
et al., 1995)は照葉樹林に大きな打撃を与えたとされているが,その回復過程について花粉(松下,2002a)と植物珪酸体(杉山,1999;2002a)の分析結果に齟齬がみられる.幸屋火砕流の到達圏内において,照葉樹林は比較的早く長くとも100_から_300年程度で回復したとする花粉分析に対し,植物珪酸体分析ではススキ属などが繁茂する草原植生に移行し短くとも900年は照葉樹林が回復しなかったとする.この齟齬は,両分析の空間代表性の広狭と試料の時間分解能に起因すると考えられ,花粉は流域スケールの植生復原に,珪酸体は土壌有機物の給源植生検出に優れた分析法と言える.よって,植生被覆の描写には花粉にもとづく古植生を引用し,黒ボク土地帯の景観は森林と草原がモザイク状に分布する森林・草原混交地帯(阪口,1987)と捉える.
まとめ 台地と低地が直接関連する現象は,境界をなす急崖の更新と,ベーリング期もしくはアレレード期に低地から台地上に吹き上げられたとみられるシラス起源のテフリックレスの二つである.縄文海進の及んだ下流側の低地ではシラス台地への海食が進展し,海食崖が主な土砂供給源をなしたことが沖積層分析から明らかになっており(永迫,1999など),こうした活発なシラス砂の供給はその後認められない.近世の新田開発に伴い海岸砂丘の発達が促進されたという説(竹部・成瀬,1998)が提示されたが,その時期に河川の氾濫が増加した形跡も認められないことから,その説はシラスの崩壊現象=土砂供給・地形変化と解釈した誤謬とみられる.シラス台地は崩れやすさが強調されがちだが,最初期の地形変化(長くとも3,000年以内)以降は予想以上に安定的である.
一瞬の現象である火山噴火の影響は,不連続かつ急速に発現し,地表変化の駆動力として機能する期間は概して短く(数100年以内か),気候・海面変化に則った定常的な景観に早く回復すると考えられる.ゆえに,火山地域の地表環境を捉える場合,噴火を契機としたイベント時の環境変化と,噴出したテフラが基盤をなすようになった定常状態の変化とを峻別した議論(イベント性-基盤性の意識化)が不可欠となる.
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