日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会秋季学術大会
会議情報

島根県神西湖堆積物に記録された4,000年前の環境激変と歴史時代の堆積環境変遷史
*山田 和芳高安 克己
著者情報
会議録・要旨集 フリー

p. 2

詳細
抄録

はじめに出雲平野南西部に位置する神西湖の湖心で採取したボーリングコア試料の記載および年代測定をおこない詳細な層序を明らかにして,帯磁率,CNS分析,鉱物組成,主要化学組成および全有機炭素含有量の分析結果に基づいて完新世後期における湖内の水質や周辺地域の環境変遷について検討をおこなった. 神西湖堆積物コアの層序と年代全長24.3mのコアの最下部にあたる深度24.3_から__から_22.0mは,暗灰色砂_から_シルト層である.その暗灰色シルト層を覆うように灰色シルト_から_細砂層が深度22.0_から_16.4mに堆積している.深度17.1m付近には鬼界_-_アカホヤ火山灰(K-Ah:町田・新井,1978)と同定された灰白色細砂薄層が挟在する.深度16.4_から_14.5mでは,平行葉理が顕著に認められる黒灰色泥層である.深度14.5_から_1.1mには,生物擾乱が認められる主に無層理の灰_から_灰褐色シルト_から_泥層が認められる.同層準では,深度14.4m付近に,層厚10cm程度の礫層を,深度10.9,5.3m付近に細砂薄層を,それ以外にもところどころ粒径の粗い粒子を含む薄層が挟在する.これら多くの薄層は,下位の層準を削り込むように挟在している.コアの最上位にあたる深度1.1m以浅では,下部に有機質粘土層を含む主に灰から暗灰色泥層で構成されている.また,コアの年代測定を11層準で行なった結果から,コアは過去9,500年間の連続堆積物であり,過去の湖内および周辺陸域の環境変動を精緻に記録している可能性が高いことが明らかになった. 結果と考察 各種分析結果のうち,黄鉄鉱・白鉄鉱_-_菱鉄鉱の鉄鉱物組成の変化や,TS含有量変動であらわされる過去の神西湖の水質変動結果から,完新世における神西湖の堆積環境は以下の6つのステージに分けられる:9,500_から_7,300年前:内湾_から_汽水環境,7,300_から_4,000年前:汽水環境,4,000_から_1,900年前:淡水環境,1,900_から_1,100年前:汽水環境,1,100_から_400年前:淡水環境, 400年前以降:汽水環境.[4,000年前の環境激変の記録] 約4,000年前に神西湖の環境は,汽水環境から淡水環境に一変する. 4,000年前よりも前のステージでは,黄鉄鉱が多く含まれる主に平行葉理を呈する泥層が堆積して,堆積速度も小さく一定であることから,汽水環境下の比較的安定した堆積場であった.一方,それよりも後のステージでは,生物擾乱が顕著なシルト_-_泥層が堆積して,洪水性堆積物も混入しはじめる淡水環境下のステージに変化する.そして,その境界にあたる層準では,火山噴出物を含む洪水性堆積物が挟在している.この環境激変の原因のひとつは,三瓶太平山の火山活動が挙げられる.この火山活動が,当時の出雲平野の自然環境に大きな変化(ダメージ)をもたらしたことは容易に想像できる.しかしながら,一方で,約4,000年前は,急激な寒冷・乾燥化が世界的に認められており,大きな完新世における気候寒冷イベントが存在している.[歴史時代における堆積環境変遷史]歴史時代における神西湖および周辺地域の環境は,紀元0年から平安時代中期までが汽水環境であり,これは出雲風土記で編纂されている「神門水海」であらわされる大きな潟湖を示すものと考えられ,海水が再び流入しだしたものと予想される.また,紀元0年頃から,アルミ濃度が増加し出すとともに,洪水イベントが頻発している.これは,人為的に土地改変が進み,突発的な集中豪雨などによって,簡単に表層土壌が洗い流されやすくなったことを示唆するものであり,紀元0年頃からの人間活動による土地改変が進行していたことを暗示する.事実.出雲王国の前身にあたる出雲西部で発した「原イツモ国」に関する遺跡が弥生時代中期から後期に集中しており(門脇,2003),神西湖の湖底堆積物に記録される人間活動の影響が出始める時期と一致している.一方,「神門水海」を形づくる潟湖は,外洋とつながる砂嘴が出雲平野北方から埋積しだして徐々に淡水化する(徳岡ほか.1990).神西湖では平安時代中期より淡水環境になり,その後,淡水環境が,江戸時代初期まで続いている.また,このステージでは,いくつかの洪水性堆積物も挟在している.古文書には, 14世紀付近の出雲平野南部の水はけの悪さや,洪水による災害の頻発について記載されている.今回明らかになった堆積環境は,これら古文書記録を忠実に反映しているものと考えられる.そして,最後の江戸時代初期以降では再び汽水環境に変わる.この水質変化の原因は,1687年に差海川が人工的に開削され,外洋とつながり,その川を海水が遡上することで汽水環境になったものと考えられる.

著者関連情報
© 2004 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top