抄録
1. はじめに 中央構造線活断層帯は,日本の代表的な活断層帯であり,先進的な調査対象となってきた。1960年代と早くから断層分布の概要や変位速度が論じられ,1980年代からは過去の断層活動を明らかにするためのトレンチ調査が実施されてきた。また,1990年代には長大な断層系のセグメンテーションが検討されるなど,活断層研究の最先端の課題を解くフィールドとなってきた。このように研究が積み重ねられてきた中央構造線活断層帯にあって,最近の研究の成果をまとめることは,日本の活断層研究の進展の一側面を示すことになると考え,成果の概略を展望する。2. 詳細な断層分布の解明 中央構造線活断層帯は,1990年代中頃までは,断層線に数多くの不連続が存在していた。大縮尺の空中写真を用い,詳細に地形判読を行うことによって,それらの不連続部を埋めるような断層線の分布が見いだされてきた。例えば,最大の断層線不連続部(約10km)であった松山平野では,沖積面を変位させる低断層崖(重信断層)が見いだされた(後藤ほか,1999)。後藤・中田(1997)は,伊予三島付近の池田断層がさらに西に延びることを指摘し,寒川断層との間の凹地をプルアパート盆地と考えた。 また,活断層判読にあたって,横ずれ断層の縦ずれ分布パターンに着目した新たな視点を導入し,成果を上げてきた。岡村断層では,従来指摘されてきた北落ちを示す中萩の低断層崖よりも東に南落ちを示す低断層崖が見いだされた。この断層はさらに東の関川丘陵の東半部の南縁を限る直線状の山麓に連続していると考えられ,岡村断層の長さは,それまで考えられてきたよりも約2倍のおよそ30kmに達することが明らかとなった(後藤・中田,1998)。また,川上断層では,それまでの西端と考えられていた小松町付近よりも東側の西条平野において,これを横切るように延びる南側低下の低断層崖を見いだした(後藤・中田,1998)。石鎚断層,岡村断層の西端は,それぞれ岡村断層,川上断層の縦ずれ変位が入れ替わる場所付近にあたるようになり,十数kmにわたって断層が並走していることがわかった。3. 歴史時代の断層活動と変位量分布 兵庫県南部地震以降,トレンチ調査の数が急激に増え,最新活動時期が各地で明らかにされてきた。吉野川北岸では,神田断層で12_から_13世紀以降(Tsutsumi and Okada, 1996),父尾断層で16世紀に(岡田・堤,1997),板野断層や三野断層で16世紀以降に活動したことが明らかにされた(森野ほか,2001)。石鎚山地北麓では,池田断層で15世紀以降(愛媛県,2000),岡村断層で16世紀以降(後藤ほか,2001),川上断層で7世紀以降(堤ほか,2000)の活動が認められた。後藤ほか(2003)は,畑野断層の最新活動を16世紀を挟む140_から_190年とし,狭い期間に限定できるとしている。松山平野周辺では,重信断層で11世紀以降(愛媛県,1999),伊予断層で13世紀以降の活動が明らかにされた(後藤ほか,2001)。調査を実施したいずれの断層でも歴史時代の活動が認められているが,歴史史料との対応はよくわかっていない。 一方,最新活動時の横ずれ変位量について,田の畦や道路,旧河道などの微小変位地形の検討や埋没チャネルから,その分布を明らかにしようとする研究が行われた。父尾断層で6_から_7mの右ずれ(Tsutsumi and Okada, 1996),伊予断層で約2mの右ずれ(後藤ほか,2001)が指摘された。また,堤・後藤(2002)は,主に人工指標のずれをもとに断層帯全体を系統的に調査し,変位量分布を明らかにした。これらによると,吉野川北岸_から_岡村断層で6m前後と大きく,川上断層以西で3m前後と小さいことが明らかとなった。平均変位速度の地域的な差異と同様の傾向を示している。両地域では,活動回数に大きな差がないようであり, 単位変位量の差が変位速度の差を生じさせた可能性が高い。4. おわりに 数多くのトレンチ調査が実施された結果,十数世紀に四国全体の断層帯が活動し,次の地震活動が差し迫っていない可能性が高いことが明らかとなってきた。断層帯の長さから考えれば,いくつかに分かれて活動したはずであるが,最新活動が短い期間に集中して認められるため(後藤ほか,2001),最新活動の時期をもとに活動区間に分けることは困難であることがわかった。断層の活動特性を明らかにするためには,活動履歴を高精度に求める調査や堤ほか(2003)のような地下浅部の構造解析とともに,変位地形から得られる断層の分布形や変位様式,平均変位速度などの情報を系統的に収集し,断層ごとに,あるいは,断層に沿って比較・検討することが重要と考える。