日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会春季学術大会
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地名の翻訳をめぐる考察
*大平 晃久
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キーワード: 地名, 場所, 固有名, 翻訳
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p. 195

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抄録
1.問題の所在  現代思想や言語学における固有名についての議論の中で,「地名は翻訳できない」という主張がこれまでしばしば行われてきた。こうした地名への見方は,固有名は一般名とは違って意味を持たないという考え方と深く結びついた,固有名論の根幹に関わる問題である。また地理学の側からは,場所を言語論的に考える上でも,地名を具体的水準で考える上でも関心を抱く問題であるといえる。しかし,これまで地名の翻訳不可能性は十分に検討されてきたとはいえず,本発表ではわれわれが地名を使用する実態に即してこの問題を考察してみたい。
2.翻訳とは何か
 固有名のうち,議論の対象となってきたのは主に個人名であるが,柄谷(1989)や立川・山田(1990),柴田(1978)らは,地名も含めて固有名は翻訳できないことを論じている。確かに,地名や個人名はふつう字義的に訳さずに発音を写すものであり,固有名は「言語のシステムから比較的自由であって,…ひとつのシステムから他のシステムへ…越境していく」(立川・山田 1990)といった見解は魅力的である。
 しかし,地名が字義的に翻訳されている事例はいくつもあげられるし,多くの地名が翻訳しようと思えばできる。翻訳が可能かどうかではなく翻訳することの妥当性が問題なのであって,出口(1995)が個人名について述べるように,「固有名を翻訳しないというのは,異なる言語間の約束ごとであって,それは『翻訳できない』のと同じことではない」というべきであろう。
 クワイン以降の言語哲学においては,異なる言語間のみならず,同一言語話者間のコミュニケーションをも翻訳の一環としてとらえる立場が支配的である。そして,正しい翻訳とは決して一義的に定まるものではなく,円滑な対話が成立することをもって判断するしかない。このように考えるなら,地名の翻訳にはただ字義的な翻訳だけでなく,発音を写すことも含めなければならないし,さらには,全く新しい命名やある地名のさす範域が拡大して他の地名が消滅することも,場合によっては翻訳に含めうるといえる。
3.なぜ発音を写すのか
 そこで問うべきは,地名の翻訳にあたって発音を写す方法が主流であるのはなぜかということであると思われる。考えられる2つの要因を以下に示したい。
 まず考えられるのは,土地が誰かの所有物であるという意識である。発音を写さずに字義的に意訳する地名にはこれに該当しないものが多いと思われる。他者が行使した名付けの権力を尊重し,相手が用いる地名呼称を受容することは,円滑な対話成立の条件といえるし,逆に地名をめぐる対立がこの構図で理解できることもいうまでもない。なお,個人名の翻訳についてもこの説明は当てはまろう。
 次に考えられるのは,地図的な認識を介して地名(発音)が唯一の固有なるものとしてとらえられているということである。その構図は仮に次のように示されよう。まず地名(発音)とそれに対応する範域が強固に結びつく。そして範域は地表の一部として地図的に思考されることによって,地表にただ1つしかない固有物とみなされる。その結果,範域に対応する地名(発音)もまた,地図上に位置を占める固有の単独的存在として了解されるに至る。この要因は個人名にはない地名の特徴である。

 最後に,以上の検討は決して地名の価値を否定するものではなく,個人名や一般名とは異なる地名の独自性,場所の意義を示唆するものであることを付言しておきたい。
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© 2004 公益社団法人 日本地理学会
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