抄録
1. はじめに
本研究は、フィリピンのアキノ政権で制定された地方政府法によるインフラ投資政策の分権化が、農山村住民に与えた影響を分析することを目的とする。
同国において1950年代以降、地方分権は開発および民主化の推進する戦略として用いられてきた。1980年代前半までは執行権限の委譲を中心としていたものであったが、1980年代中葉以降は意思決定権限をも含めた分権化政策が推進されるようになった。そしてその中核を形成しているのが1991年地方政府法(The Local Government Code of 1991、以下LGC1991)であり、これは1992年1月より施行されている。同法に基づき、道路の維持管理に関する権限が中央政府から地方政府に移管されることとなった。すなわち、同法の施行以前は公共事業・高速道路省(Department of Public Works and Highways)において国道のみならず地方道路の維持管理までも行われていたが、1992年以降は州道、市道、町道、バランガイ(村落)道はそれそれの自治体が直接管理ならびに事業の実施を行うようになったのである。
本研究では、以上の道路行政における分権化政策が、予算規模、プロジェクト優先度あるいは維持管理主体の変化を通じて、地域住民の生活にいかなる影響を及ぼしたのかを検討する。さらに対象地域を複数設定することにより、分権化の影響の地域的差異とその要因について考察する。
2. 研究対象地域
事例地域は、ルソン島北部に位置するコルディリエラ行政地域(Cordillera Administrative Region)に属するBenguet州のLa Trinidad町、Bakun町、Kapangan町、Ifugao州のAlfonso Lista町とHungduan町、Hingyon町とした。2000年現在の人口はLa Trinidadが67,963、Bakunが12,213、Kapanganが18,137、Alfonso Listaが21,167、Hungduanが9,380、Hingyonが9,769である。
3. 研究方法
2005年9月より10月まで、現地調査を実施した。LGC1991の施行により、財政の委譲も行われた。そこで委譲に伴う財政構造の変化を把握するため、各州政府および町役場より入手した同法施行以前と施行後の歳入および歳出データにて財政規模の変化、地域配分等を検討した。また、各町に居住する農家へ家計、耕作作物およびそれらの出荷先の変化の有無、生活環境の変化等について質問表をもとに聞取り調査を行った。調査実施世帯総数は80である。
4. 結果
大部分の自治体が、LGC1991の施行で道路整備における優先順位を自ら決定することが可能になったことを高く評価した。同法の施行以前は、地域の実情を把握していない中央政府が一元的にプログラムを運営し、早急なメンテナンスの必要性が低い道路に投資がなされることも多かった。また中央政府からの予算配分に際しても、DPWH以外の省庁でそのプログラムに関する審議が行われ、かつ手続きに時間を要したため、実際に自治体に資金が支出されるのに数年かかることも珍しくなかった。しかしながら1992年以降は、過渡期に多少の混乱があったものの、迅速に予算が支出され、各自治体でプログラムを決定できるため、より地域住民の生活環境を改善しうる道路や火急な対応が必要な地域に配分することが可能になった。
他方、予算規模の問題により、その満足度は一様ではない。また、農業活動においても道路網および道路の舗装状況の変化に伴い、より規模の大きい市場への出荷が可能になったことを通じて利便性および生活水準の向上を評価する町がある一方で、LGC1991の施行前後でほとんど生活に変化がないとする町もある。この差異は、主要幹線へのアクセスに不可欠な域内道路の有無や道路メンテナンスの内容、あるいは地形条件等によるところが大きい。
5. 考察
陸上交通への依存率が著しく高いルソン島において、道路の整備は農家の生産活動に直接的な影響を与える。現行制度においては、その予算は各地域の人口と面積を基に算出される内国歳入割当(Internal Revenue Allotment)に大きく依拠せざるを得ないのが実情である。したがって、山間部のような人口過疎地域における道路予算は、都市部に比しても小規模なものにならざるをえず、効率的な維持管理を困難にしている。また人的資源や蓄積したノウハウにも自治体間で差異がみられ、このことが新たな地域格差を創出している。
<付記>
本研究は、福武学術文化振興財団平成16年度研究助成「フィリピン農山村地域における経済発展メカニズムの研究!)地方分権化に伴う新たなインフラ投資政策の検証!)」(研究代表者:田中耕市)による研究成果の一部である。