抄録
1.目的 本研究の目的は、伊豆半島における土地利用変化と耕作放棄地について、空間データと現地調査により、その現状を明らかにすることである。今回は、その中間報告として発表する。伊豆半島は海岸部で温暖な地域である。これまで、耕作放棄地の研究は、内陸部の中山間地域や都市周辺地域での事例が多く、伊豆半島のような海岸部における耕作放棄地に着目した研究は少ない。
2.方法 本研究では、地理情報システムを使用した視覚化と分析、および耕作放棄地の現地観察と関係機関での聞き取りを組み合わせた研究方法を採用している。空間データとしては、「GISMAP Terrain(10m間隔)」「JMCマップ」「1/10細分区画土地利用データ」を使用した。視覚化に用いたおもな統計は、国勢調査と農業センサスである。なお、旧土肥町と南伊豆町の調査対象地域については、5千分の1国土基本図と国土交通省ホームページから入手できる空中写真を使用した土地利用図の作成と、農業集落カードによる農業経営の変化と耕作放棄地の推移を把握した。2006年4月と7月には調査対象地域における現地調査、伊豆市役所と南伊豆町役場において資料収集ならびに聞き取り調査を行った。
3.伊豆半島の土地利用 伊豆は、本州中部から約15kmの幅で、約50km太平洋へ突出した半島であり、豊富な降水と海洋性の温暖な気候に恵まれている。古い火山群と第三紀の山地からなり、半島中央部にはU字型で山地が形成され、その東側と西側は急な崖となって海岸へ落ち込む。そのため、伊豆では内陸部と臨海部、北伊豆と南伊豆、東伊豆と西伊豆などの対照性が人間活動の特色となって現れる。農業や観光業は内陸部と臨海部、製造業や商業は北伊豆と南伊豆、東伊豆と西伊豆における交通の違いは観光業の形態に色濃く反映される。 第1回国勢調査(1920年)を起点とすると、2000年の人口は約2.5倍となった。しかし20世紀後半、西伊豆や南伊豆では人口減少と高齢化が進み、北伊豆とのコントラストが明瞭である。産業面では第3次産業の拡大と第1次産業の縮小が進み、第1次産業は西伊豆・南伊豆・天城での減少が著しい。1980年の静岡県全体の耕作放棄地率は2.8%にとどまるが、2000年のそれは9.0%へと上昇する。伊豆半島についてみると、1980年にせいぜい10%台であった南伊豆一帯の耕作放棄地率は、下田市(31.1%)、南伊豆町(30.3%)、土肥町(28.6%)へと上昇し、深刻な地域問題を発生させつつある。 都市的土地利用についてみると、1976年にはすでに北伊豆平野や東伊豆の鉄道駅周辺での面的広がりを確認できる。1997年になると、それらはいっそう拡大が進み、特に東伊豆の山地部における生活者の増加を間接的に表現する。農業的土地利用については、平野部と谷筋に沿った田、傾斜地における果樹園や畑の分布を確認できるが、北伊豆での市街地化に伴う農地の減少、南伊豆での田の減少、東伊豆の傾斜地における果樹園の減少がそれぞれ顕著である。
4.耕作放棄地の現状
・土肥町藤沢地区
藤沢地区は、土肥町東部、駿河湾に臨む標高200_から_300mに位置している。農業センサスによれば、1975年における同地区の耕作放棄地面積は17aであった。これは同地区の全農地の1.6%を占めるに過ぎなかった。耕作放棄地面積はその後、1980年(77a・8.5%)、1985年(87a・14.5%)、1990年(152a・26.2%)、1995年(172a・30.3 %)と徐々に拡大し、2000年には383a・64.3%を占めるに至った。こうした背景には、農家数の急激な減少がある。
・南伊豆町吉祥地区
吉祥地区は町の中央東部に位置し、谷津田を中心とした農地が広がる。農業センサスによれば、1975年における吉祥地区の耕作放棄地面積は295aであった。これは同地区の全農地の6.7%を占める。耕作放棄地面積はその後、1980年(806a・19.3%)、1985年(1029a・27.1%)、1990年(1005a・38.2%)、1995年(223a・13.1 %)と1995年にいったん大幅に減少するが、2000年には615a・34.6%を占めるに至った。吉祥地区では、大規模なゴルフ場開発が計画されたため、多くの農地で早い時期に耕作放棄が始まった。しかし、ゴルフ場開発が頓挫し、農地はゴルフ場側に仮登記されたまま耕作放棄されている。