日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S402
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水俣学序説
水俣病の教訓をどう活かすか
*原田 正純
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キーワード: 水俣学, 水俣病
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抄録

1. 水俣学の意義
 水俣学は水俣病学ではない。水俣病事件は日本の近代化、工業化、経済発展の過程でのきわめて象徴的、特徴的な事件である。この事件をさまざまな立場や分野からみた場合、なにが見えてくるかという知的作業である。医学は医学の立場から、法律は法律から、行政は行政の立場から水俣病事件に映して見たとき、何がみえてくるかを問うものである。そこには行政のあり方、専門家のあり方、そして、私たちの生きざままで見るものである。地元の問題を地元の研究者が研究して、それを地元に還していく学問を目指している。三重大学でも四日市公害から学ぶ四日市学を構築しているが、お互いに競い合って、世界でオンリーワンの学問を目指していきたい。
2. 公害の原点としての水俣病
 熊本大学が水俣病を発見したのは1956年5月のことである。自然の中で自然と共生している人たちが環境汚染の最初の被害者になった。社会的に弱い立場の人が環境汚染の影響を最も受けることに公害/環境問題の悲惨さがある。1959年の後半には、水俣病の原因物質がチッソという化学工場からのメチル水銀であることが明らかになった。排水口から水俣湾を得て、不知火海に流失されたメチル水銀は、濃縮されプランクトンに影響を及ぼし、魚へ、そして人間へと食物連載による被害をもたらした。
 水俣病が公害の原点と言われる理由は、環境汚染による食物連鎖によっておこった間接的中毒による被害を人類がはじめて経験した事件だからである。水俣病事件は、環境を汚すと食物連鎖を通して人類に返ることを人類が初めて経験した事件であった。
3. 胎児性水俣病
 水俣病患者として認定されている人は約2200人で、市全体の約1%を占める。私が水俣病から離れなくなった理由の一つは、水銀中毒に侵された母親の胎盤を通して水俣病にかかった子供を目の当たりにしたことによる。当時の医学の教科書には、胎盤は毒物を通さない、つまり、お母さんが毒物をとってお母さんが中毒になることはあっても、おなかの中の赤ちゃんは胎盤で護られているといくとことなっていた。胎児性水俣病の患者について行政は動かず、私は一軒一軒訪ねて調べ、教科書に書いていなかった事実を明らかにした。
4. ローカルな問題からグローバルな問題へ
 カナダの先住民の居留地での化生ソーダ工場からの水銀汚染によって水俣病が発生した。カナダ政府は認めていないが、環境汚染は認め、2004年には140人近くが被害者と認定されている。水俣病は水俣地域のローカルな環境問題として認識されるきらいがあるが、グローバルな問題として認識しなければならない。同様に、アマゾンの上流地帯の砂金堀場での水銀の不注意な扱いによって水俣病が発生している。
 水俣学は、水俣病の知識を広げることを目指していない。学問はなんのためにいるのか、何のために大学で学ぶのかを考える知的作業である。自分自身の水俣学を見つけることを願いたい。
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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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