日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 307
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地理教育者の肖像
牧口常三郎と三澤勝衛の生徒達へのインタビュー資料を中心に
*竹村 一男
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抄録


1 はじめに
 牧口常三郎と三澤勝衛は大正期から昭和初期にかけて独自の地理教育を実践したが、現在において両者の地理教育は再評価がなされている。本報告は牧口と三澤の地理教育と人物像について、元生徒達のインタビュー資料及び文献資料から検証と考察を行うことを目的としている。
 牧口常三郎(1871~1945)は創価教育学会(現 創価学会)の創立者としてつとに有名であるが、『人生地理学』(1903)、『教授の統合中心としての郷土科教育』(1912)等を著わし、郷土科教育を実践した地理学者・地理教育者でもあった。一方、三澤勝衛(1885~1937)は旧制諏訪中学校において教鞭をとり、独自の地理教育を展開した。また執筆した学術論文も百二十余篇を数え、中央の学界にも三澤の名前と研究は知られていた。
 本報告においては報告者が取材・入手したインタビュー資料を中心に、新たな牧口像・三澤像の構築を試みたい。両者の元生徒達も高齢となってきているため、元生徒達の証言をインタビュー資料として収集し考察することは、牧口・三澤研究において重要かつ必要なことと考えられる。

  2 研究方法
 本研究のインフォーマントは、牧口の白金小学校在職時、三澤の旧制諏訪中学校在職時に生徒であった人達である。特に三澤の場合は、実際に三澤の地理学の授業を聴講し、長じて諏訪地域の地域振興、地域教育に貢献し続けている元生徒達である。本研究に使用したインタビュー文書は、インフォ-マントへのインタビューを録音し、報告者が編集したものである。さらにインフォ-マントが編集の妥当性を確認して修正することで、報告者のバイアスを文書から排除するように努めた。
 牧口の地理教育実践に関しては『教授の統合中心としての郷土科教育』『地理教授の方法及び内容の研究』(1916)等に地理教育の実践法が詳細に記述されている。しかし、現時点で牧口直筆の教育現場資料は一部を除いて発見されていない。一方、三澤については著作に加え、三沢先生記念文庫に自筆原稿、自筆ノートなどが多数保管されており、三澤門下生による元生徒としての視点から、三澤の地理教育について論じた文献も多い。本報告はこれらの文献資料も併せて、総合的に両者の地理教育実践と人物像に迫りたい。

3 途中経過と試論
 以下、牧口常三郎と三澤勝衛の地理教育と人物像について途中報告と、比較考察を試みたい。三澤の生徒達によるインタビュー証言と牧口の著作から両者の地理教育におけるスキルは卓越していたことが窺える。ともに優れた学識も持ち合わせ学究的な性格であり、実地研究(郷土科研究)を重視していた。両者とも学問の基盤は地理学であったが、牧口は多忙な小学校の校長職にあって、思考活動の中心とその著作も地理学から教育学へと移行した。そして、宗教へと転じ、教育・宗教関係の後進を育成することとなった。地方の旧制中学教員であった三澤は研究フィールドに恵まれた諏訪地方で、地理学の学術的研究を精力的に手がける。そして、三澤をモデリングすることで、生徒達の中から優れた研究者が輩出することとなった。両者の地理教育実践、人物像に関する証言の詳細については会場発表に譲る。

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