日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 508
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中国の農業構造調整下における綿花生産地域の変容
河北省高陽県を事例に
*王 岱
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抄録

I 研究の目的
 1999年以降,中国では,農民所得の向上を目指すとともに,WTOの加盟に対応するための農業構造調整が実施されてきた.農業構造調整下での農業生産部門において,主に穀物を中心とした食糧作物から,より高い収益をもたらす商品作物への転換調整が急速に展開されてきた.さらに,2002年以降,土地利用権の合法的な有償移転も条件つきで可能となったことで,一層の土地の集積,機械化による農業の大規模化・集約化が進行している.
 本研究は,華北地方に位置する河北省高陽県をとりあげ,1978年の改革開放政策の実施以来,特に,1999年以降の農業構造調整下における綿花生産の変容と現状の解明を目的とする.

II 高陽県の概要
 高陽県は北京市の南約200kmに位置し,北京・天津大都市圏の外縁地域における農村地域である.高陽県は古来より綿紡織産業の発達で知られ,華北地域における綿花の主産地でもある.高陽県の人口は約31.2万(そのうち農村戸籍人口は約24.8万)で,農家戸数は約8.5万である(2006年).綿紡織産業は高陽県の基幹産業である.高陽県において,5,000社以上の綿紡織企業が存在し,綿紡織業に携わる人々の数は約16万と,県内総人口の半分以上を占める(2005年).高陽県における綿花の作付面積(約6,800ha)は農作物の作付総面積(約37,187ha)の約18.3%を占め,耕種農業の産出額に占める綿花の割合は20%以上である(2006年).

III 高陽県における綿花生産の変容と農家経営の現状
 1954~1998年までは,綿花の専売制(1985年に強制的買い付け方式から,契約買い付け方式へ転換した)が実施されていた.中央政府による買い付け価格の引き上げや生産資材の供給などの奨励策が実施され,高陽県においては,農家による小規模な綿花栽培は維持・拡大していた.1990年代初期以降,殺虫剤に対する薬剤耐性の強い綿鈴虫(Helicoverpa armigera Hubner)が毎年大量に発生し,農家による綿花生産に深刻な打撃を与えた.また,都市産業への就農者流失によって生じた労働力の不足が顕在化した結果,2000年まで,高陽県における綿花の作付面積は縮小した.
 1999年以降,綿花生産・流通の市場化体制は確立された.WTOの加盟に伴う紡織製品の原料である綿花の需要増加は,市場価格の高騰につながった.しかし,高陽県においては,労働力の不足や綿鈴虫発生などの原因で,大部分の農家は綿花栽培を放棄した.ごく少数の農家においては,雇用労働力の利用や他農家から農地の賃借など,綿花の栽培面積は拡大してきた.さらに,品種改良や加工業経営など,収益の向上につながった.

IV まとめ
 農業構造調整下における高陽県では,ごく少数の大規模農家は企業型農業経営を実施し,経営規模の拡大を図ってきた.一方,一般農家による綿花栽培は減少している.高陽県の綿花生産は大規模集約化が進行している.
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© 2007 公益社団法人 日本地理学会
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