抄録
1.はじめに
東北地方日本海溝は,1978年宮城沖地震のように海溝型地震が発生する場であり,この時,太平洋沿岸各地には津波が記録されることが多い。隣接する震源域が同時に破壊するいわゆる「連動型」が発生すると,津波の規模は増大し,その範囲も拡大する。西暦869年7月13日(貞観11年5月26日)に発生した貞観津波は,その一つと見られ,宮城県から茨城県に至る沿岸各地に津波被害があったことが歴史記録にも残されている。
そこで演者らは,文部科学省「宮城沖地震における重点的調査観測」(平成17年〜21年度)の中のサブテーマ「過去の活動履歴を把握するための地質学的調査2」を分担し,貞観津波をはじめとして記録にある津波地震の堆積物の確認,歴史記録が及ばない古い時代(完新世)の津波堆積物の検出などを目的として調査を開始した。平成17年度・18年度は,津波来襲の頻度が高い三陸沿岸地域を対象にして,陸上と浅海底の両面から,それぞれボーリング調査・ジオスライサー調査・音波探査等を行い,三陸沿岸の数カ所から,過去約6000年間に堆積した地層の中から津波堆積物とみられる試料を採取した。本報告では,そのうち貞観津波の可能性を含めて,最近から過去1000年程の津波堆積物について報告する.
2.陸前高田平野での調査
陸前高田平野は,気仙川及び周辺の小河川によって形成された標高5m以下の沖積低地である。三陸海岸の中でも,石巻平野を除くと比較的平地が広く,浜堤・後背地・ラグーン・自然堤防・旧河道地形などが発達する。これらの地形の発達史については,千田ほか(1984)がすでに明らかにしているので,これに基づいて,調査地点(A〜C)を選定した(図1)。A地点は,埋め立てがすすんだ古川沼(ラグーン)の中にあり,高田松原海岸からは砂堤(比高2.5m)とチリ津波(1960年)後に建設された防潮堤(5mに設置)を挟んで,約200mの位置(標高0.6m)にある。B地点(標高約1.5m),C地点(標高約2.2m)はいずれも後背地で,圃場整備された水田である。圃場整備には大量の客土が行われたが,C地点(線路沿いの水田)だけは,客土が少なかったようである。
なお,調査地点周辺の住宅地・施設用地・道路のほとんどは,盛土によって,低地から1段高くなっているが,段丘化した地形ではない。また,高田湾では,A地点まで通常の暴風雨による高波は及ばない。
3.採取地層(津波堆積物)の認定と歴史地震との対比
検土杖(2m),ジオスライサー(約4m,A地点),ハンディージオスライサー(2〜3m,B・C地点),パーカッション(B)地点によって,抜き取った地層断面を観察し,火山灰・14C年代試料の採取・はぎ取り断面を作成して保存した(図2)。
A地点では,湿地の堆積層(腐植質泥層)中に明瞭な砂層が少なくとも4枚挟在する。最上部の砂層(厚さ20cm)は,盛土直下で,現地の住人の証言ともあわせると,チリ地震津波の堆積層であることはほぼ確実である。年代測定結果から,下位の砂層は,明治三陸津波(1896年),1793年三陸はるか沖,1611年慶長三陸津波などが予想されるが,詳細は他の地点の資料とも合わせて検討中である。
一方,C地点では,地表下70cm付近に火山ガラス(十和田火山灰To-a層の可能性が高い)が散在する泥層が,そしてその直下にマッドクラストを含む砂層が見いだされた。この砂層が,貞観津波(869年)の堆積物であるかどうかについて,火山灰の分析と,その上下の地層の年代測定を行っている。