日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
セッションID: 610
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過疎山村における限界集落の形成過程とその背景
新潟県十日町市松代地区を事例として
*佐藤 創太
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抄録

1.はじめに
 1950年代後半から始まった高度経済成長によって、日本は一躍先進工業国の仲間入りを果たした。一方で、第二次・第三次産業の大都市への一極集中は、都市地域と中山間地域との地域格差を表面化させた。さらに、減反政策や、農産物の輸入自由化などの政策の影響によって、中山間地域では基幹産業である農業が著しく衰退した。その結果、中山間地域では、若年人口を中心とした人口の減少が進み、地域社会や地域経済の衰退、人口の高齢化が一層進展した。しかしながら、近年、中山間地域が保有する多面的機能が注目され、今後の日本の持続的発展のために、中山間地域の立て直しが求められている。そのような中で、中山間地域が抱えている諸問題とその背景を分析する事には意義があると考えている。
 本研究では、新潟県十日町市松代地区を事例として、中山間地域が過疎に至った要因と背景、過疎の現状、過疎の抑制の可能性について明らかにする。その中で、過疎の進行が著しい限界集落に着目し、研究対象地域において2つの限界集落を事例として取り上げ、その形成過程と再生の可能性について考察する。
2.研究対象地域
 新潟県十日町市松代地区(旧東頸城郡松代町)は、1965年に県内で最も早く過疎地域の指定を受けた市町村の一つである。しかしながら、近年においても新潟県内の他の市町村と比べて、1)人口の減少が激しい、2)高齢化率が高い、3)財政力指数が低いという現状にあり、過疎状態が継続し、過疎が顕著に現れている地域である。
3.松代地区における社会経済構造の推移
 松代地区では1960年以降、人口・世帯数が減少し続け、高齢人口が増加し若年人口が減少し続けている。また、1960年時には、農業が基幹産業となっていたが、農業就業人口、農家数、経営耕地面積は年々減少している。一方、農業に代わる代替産業は特に発達していない。そのため、人口の流出や高齢化に伴って農業が衰退し、農業の衰退がそのまま産業の衰退となって、さらなる人口の流出を生むという悪循環が生じている。
4.限界集落の形成過程と過疎の抑制の可能性
 松代地区では、地区の中心部である松代集落に人口、各種公共機関が集中しており中心性が高い。一方で、主要道路から外れた山間部や中心から遠方にある集落では、人口が少ない小規模な集落が多く、公共施設の立地も見られない。また、このような山間部の集落では限界集落になっている所も多く、松代地区全体では35集落中16集落が限界集落となっている。
 研究対象集落には、共に限界集落でありながら過疎の進行が異なる「清水」、「峠」という2集落を選定した。清水集落は、松代地区内において人口減少率(1960~2000)が第1位、世帯数減少率(1960~2000)が第2位となっている。また、農家数、農業就業人口、経営耕地面積の減少率や高齢化率も松代地区平均を大きく上回っており、松代地区内で最も過疎が進んでいる集落である。清水集落では、産業の中心であった農業の衰退、出稼ぎへの依存、学校の廃校、急斜面地が多い地形など複数の悪条件が冬期の豪雪と結びつく事でさらに悪化し、急激に過疎が進行した事が明らかになった。
 一方、峠集落は、人口、世帯数、農家数、農業就業人口等が減少しながらも、経営耕地面積は1970~2000年までの30年間を通して横ばいを保っており、2000年現在、経営耕地面積が松代地区内で最大となっている。また、1973年には、新潟県下初の急傾斜地における圃場整備が行われるなど、農業に対して積極的な取り組みがみられる集落でもある。本研究では、峠集落において農業が積極的且つ持続的に行われてきた背景を明らかにすると共に、峠集落の事例から過疎の抑制の可能性について考察を行う。

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