日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
セッションID: S303
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ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の植生と人間活動
*吉田 圭一郎
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抄録

I はじめに

パンタナール(Pantanal)は,南米大陸のほぼ中央に広がる面積約23万km2の熱帯湿原である.気候は雨季と乾季が明瞭に分かれており,雨季にもたらされる多量の降水が河川の氾濫や地下水位の上昇を引き起こし,季節的に浸水域が拡大して,大規模な熱帯湿原が形成されている.この湿地生態系はその貴重さが高く評価されており,ラムサール条約およびユネスコに自然遺産にその一部が登録されている.
パンタナールでは多様な自然環境を巧みに利用した伝統的な湿地管理システム(賢明な利用;wise use)が確立しており,18世紀後半のヨーロッパ人による入植以降,季節的に大草原が出現する氾濫原(flood plain)を放牧地として利用する伝統的な牧畜業が営まれてきた(Schessl 1999).しかし,とりわけ1990年代以降,牛肉市場価格の下落や遺産相続による土地の細分化にともない伝統的な牧畜業が衰退しつつあり(Alho et al. 1988),また外部社会による一方的な環境保全策が導入されたことで,熱帯湿原の自然環境とその持続的な利用形態に変化が生じつつある.
ここでは,まずパンタナールにみられる多様な植生景観の形成過程に対する人為的な影響について述べ,次に湿地保全を目的として導入された環境保全策によるパンタナールの森林植生の変化について報告する.

II パンタナールにおける植生景観の形成過程

パンタナールの多様な植生景観は,これまで主として微地形と河川水位の年変動によって説明されてきた(e.g., Prance & Schaller 1982).しかしながら,パンタナールでは自然環境を利用した伝統的な牧畜業が営まれており,家畜の放牧が植生に与える影響は小さくない.Cunha & Junk(2004)は,草原の一部をフェンスで囲い放牧圧の影響を排除すると,木本種が侵入して植生が急激に変化することが報告した.また,放牧の影響が無い場合には,ウキアゼナ属(Bacopa spp.)やハイリ属(Eleocharis spp.)の出現頻度や被度は小さくなることが報告されているが(Pott & Pott 1997),放牧に利用されている草本植生ではその出現頻度や平均被度が高くなっていた(吉田,未発表).さらに,非浸水域では水位が上昇する時期の牧草地を確保するため,火入れ,伐採,巻き枯らしといった人為的な攪乱により樹木の侵入が妨げられていた(Yoshida et al. 2006).
これらのことから,現在のパンタナールにおける多様な植生景観は,河川水位の季節変動や植生遷移などといった自然システムだけでなく,それらと共に伝統的な湿地管理システムに基づく人為的な影響を受けて成立したと考えられる.

III 環境保全策による湿地周辺の森林植生の変化

パンタナールのタクアリ川流域では,地域住民が季節的に形成され下流域に洪水をもたらす自然堤防の亀裂(Boca)を定期的に修復し,河川水の過剰な流入を防ぐことで乾季に良質な天然草原を確保してきた.しかし,1992年以降,本来の湿地生態系を取り戻す目的で,この自然堤防の亀裂の人為的な修復が法令により一方的に禁じられた.1992年以降に自然堤防の亀裂の下流域では水位が上昇し,恒常的な浸水域が拡大した.
この環境保全策による洪水属性の変化は伝統的な牧畜業を営んでいた地域住民だけでなく,保全の対象であった湿地生態系にも影響を与えていることが分かってきた.南パンタナールのパイアグアス地区では,地域住民が上流の自然堤防の亀裂を管理していた時には,現在よりも水位が低く,湿地内の微高地には木本種を中心とした植生が成立していた.しかし,1992年以降の浸水域の拡大にともない,それら微高地に成立した林分は急激に衰退する傾向にあり,構成する樹木が枯死し,草原に変化するものがみられた.

IV おわりに

パンタナールの植生景観は,伝統的な湿地管理システムのもとで,自然環境と人間活動とが調和した上で成立してきた.しかし,近年では様々な外因により,伝統的な湿地管理システムが失われ,その結果として熱帯湿原の自然環境の劣化や伝統的な牧畜業の衰退が生じている.今後は,これまで軽視されてきたパンタナールの伝統的な湿地管理システムを評価し,これに立脚した熱帯湿原の保全と利用を現代の経済・社会システムの中で再構築する必要があろう.

本研究は平成16~18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2),No. 16401023,代表:丸山浩明),平成19~22年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールの伝統的な湿地管理システムを活かした環境保全と内発的発展」(基盤研究B(2),No. 19401035,代表:丸山浩明)の補助を受けた.

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