抄録
林羅山の「本朝地理志略」は近世最初の日本地誌と見なされることがある。「本朝地理志略」は元来朝鮮通信使の求めに応じてつくられた『日本国事跡考』の一部を独立させたものである。記事が国別に排列されているという以外に形式的な配慮がなされていない点でも、また記事採録の基準が不明確で国ごとの精粗・長短の差が著しいという点でも、「本朝地理志略」は真剣につくられた著作とは見なしがたい。「本朝地理志略」は内容的に『本朝神社考』との関連を窺わせるものである。兼岡(2008)は羅山の風土記逸文収集を『本朝神社考』の素材収集と考えながらも彼に地誌編纂の意図があったと見なす。しかし元来日中の地理書に対する羅山の関心は高いとはいいがたく、『日本国事跡考』作成当時の羅山に地誌編纂の準備がなかったのみならず、その後になされた「本朝地理志略」への加筆から見ても、羅山に地誌編纂の意図があったとは考えがたい。