日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 109
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予察としての鞆の浦港湾架橋問題
*鈴木 晃志郎鈴木 玉緒鈴木 広
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抄録


1.概要
 歴史・文化景観の保護・保全を考えるとき必ず問題となるのが,保護・保全と開発・利用の価値観の対立である。本発表では,港湾架橋道路案をめぐり,賛成派と反対派との間で四半世紀にわたって軋轢の続く福山市鞆町をとりあげる。
 彼らはそれぞれいかなるロジックと戦略を用い,外部社会からの影響といかに相互作用しながら,自らのめざす「あるべき鞆町像」へ地域住民や世論を導こうとしているのか。賛成・反対双方の住民運動を率いる三名のリーダーへの聞き取り調査と,各種資料を併用し,住民運動のプロセスとメカニズムに焦点を当てて鞆の浦港湾架橋問題を捉え直すことをめざす。
2.架橋問題の沿革
 対象地は,古来から潮待ち港として瀬戸内の海運拠点であり,近世までは城下町でもあった。しかし城下町特有の狭小な道路構造から,いまだ車の離合も困難なほど交通事情が劣悪である。下水道は現在もなお普及率がゼロであり,住民は半ば自腹で浄化槽の設置を強いられたり,救急・消防サービスの遅延を強いられている。この問題を解消すべく,自治体が1983年に提示したのが,港を横切る架橋道路の建設計画であった。これを契機に人口わずか5000人余の集落は,町並みの歴史的価値を最大限尊重し現状のまま保存するか,それとも住民の生活の利便性を確保すべく海上に架橋し景観を改変するかの2つの立場に分かれ,今日を迎えている。
3.架橋問題の展開
 架橋問題をめぐり全国的にも有名になったため,先行研究も少なからずある。しかし,この問題が本格的に学界で論じられるようになったのは,意外にもここ数年であった。嚆矢となったのが,日大理工学部のI教授らによる遺構発掘調査と,東大都市デザイン研のN教授らにより数度にわたり行われた建築景観調査である。これらは反対派の運動に「歴史・文化遺産としての鞆」を守るという学術的な名分を与え,その後の運動展開に大きな影響を及ぼした。近年,架橋反対派は「鞆を世界遺産に」というスローガンのもと,イコモス(国際記念物遺跡会議=ユネスコの諮問機関)までも巻き込んで急速な規模拡大を見せつつある。
4.アクターとしての有識者
 先行研究ではほぼ例外なく,大多数の民意に反し,自治体や地場企業などの権力者層が,公共事業や観光開発目的で強引に事業を推進しているかの如き説明図式が用いられる。しかし数度にわたる現地調査や文書資料の分析を通じて,地元ではむしろ賛成の考えを持つ人が大勢を占めているらしいことが分かってきた(例:信頼性は充分でないものの,中國新聞の電話調査では,地元の架橋賛成派は8割を超えた)。
 住民運動のリーダー格にあたる人物や地元有力者への聞き取り調査の結果,架橋に対する賛成・反対とは別に,重伝建指定による古民家再生などを通じまちなみ再生をめざす運動があり,それが架橋問題に対する態度に複雑な影を落としている様子が分かってきた。鞆の架橋問題が学界を巻き込む2000年を境に,それまで架橋反対の立場で中心的な役割を担っていた人物Aは古民家再生へ軸足を移し,別の人物Bが架橋反対派の住民側のリーダー的存在となっていた。外部有識者による権威強化によって,架橋反対の立場を合理化しようとするBと,鞆の人文・社会景観ではなく,建築・土木景観に関心を持つ工学系の研究者との思惑が一致することにより,外部有識者は,鞆の住民運動のアクターとして新たに参入したのである。
5.住民運動にみるウチ・ソト意識
 これまでほとんど唯一,鞆の住民運動に焦点をあてた片桐(2000)は,反対の声が表面化しない理由に,“ヨソ者軽視・年長者尊重”という,伝統社会特有の気風を挙げた。この気風は賛成派の運動に大きく影響する。住民の意見のみを重視する彼ら賛成派は,多数派でありながら意識調査を一度もおこなわぬ一方,二度にわたり全町民対象の署名活動を実施し,数多く自治体への陳情をおこなった。また,外部有識者が鞆を価値づけるようになったのと歩みを合わせるかのようにA氏は身を引き,古民家再生へと関心を移している。古民家再生は賛成派のリーダー的存在C氏も長く取り組んできたものであり,かくて2007年にA氏のシンポジウムの開催場所は,Cの再生・運営する古民家となるのであった。過去,鞆のハード面のみに関心を持つ工学系の研究者ばかりに関心を向けられ,誰一人受益者であり受苦者である住民の意向を確かめなかった背景には,これら複雑な人間関係のメカニズムが関わっていた。
 景観保全は重要であるが,外部居住者の立場で,住民に不利益を押しつけてまでそれを望むのは暴力的との誹りを免れないのも確かである。今後は,早急に住民への科学的な意識調査を行い,その結果にも謙虚に耳を傾ける必要があるのではなかろうか。

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© 2008 公益社団法人 日本地理学会
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