日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 106
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小笠原諸島における戦前の土地利用状況とその後の植生変化
*吉田 圭一郎
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抄録

I はじめに
 小笠原諸島の植生は,明治政府による本格的な開拓が始まった19世紀後半以降,大規模な森林伐採や有用樹木の択伐などといった強い人為的なインパクトを受けた.しかし,全島民が強制疎開させられた1944年以降は現在まで宅地や耕作地の大半が放棄され,森林植生が回復した.現在,小笠原諸島の大半を占める二次植生は強制疎開(1944年)から1968年までに成立したと考えられる.したがって,この期間の植生変化を解明することは,現存植生や戦後の植生変化を理解する上で非常に重要な意味をもつ.
 しかしながら,第二次世界大戦後の小笠原諸島における植生変化に関する研究は,返還後の1968年以降のものに限られている(例えば,大野・井関 1992).これは占領期間中(1945-1968年)の資料がほとんど存在せず,住民に対する聞き取り等でしか植生を推測できなかったためである.
 最近,1968年以前に米軍によって撮影された空中写真が見つかった(父島-アメリカ国立公文書館,母島-国土地理院).そこで本研究では,これら米軍撮影の空中写真を判読し,第二次世界大戦直前の土地利用状況を復元するとともに,その後の植生変化について明らかにすることを目的とした.

II 調査地と方法
 調査地は小笠原諸島父島と母島である.
 本研究では,まず,新たに見つかった米軍撮影の空中写真を判読し,父島と母島とにおける第二次世界大戦以前の土地利用状況を復元した.また,日本に返還された1968年から2003年までに撮影された空中写真の植生判読結果を加え,過去60年間の植生変化について明らかにした.特に,母島南部では戦後すぐから1968年までの期間に,耕作放棄地を中心として移入種であるギンネム林の拡大が特徴的に見られたことから,その分布変化を明らかにした.

III 結果と考察
 米軍撮影の空中写真を判読した結果,父島と母島ともに島の大半が第二次世界大戦以前は耕作地として利用されていた(図1).土地台帳より復元した土地利用状況(片平 1981,1982)と比較したところ,両者はおおよそ一致した.また,第二次世界大戦中に建設された旧日本軍の施設が,父島夜明山や母島静谷にみられた.
 強制疎開(1944年)以降に放棄された耕作地には1968年までに二次遷移が進行し,森林に回復した.空中写真判読と現地調査から父島ではリュウキュウマツとムニンヒメツバキを中心とした二次植生が,母島ではムニンヒメツバキやシマシャリンバイなどの在来種に加え,アカギやギンネムなどの移入種による二次植生が耕作放棄地に成立した.特に母島南部においては,1947年にごくわずかに存在したギンネム林が,その後1968年までに人為的な攪乱を受けた場所を中心に拡大した.ギンネム林は,1968年以降の二次遷移の進行にともない遷移後期種に置換され,現在まで徐々にその分布が縮小した(図2).
 本研究の結果から,小笠原諸島において現在の自然環境には第二次世界大戦以前に受けた人為的な攪乱の影響が残っており,特に現存植生の成立には戦前の土地利用状況が強く影響していることが明らかとなった.

本研究は(財)国土地理協会 平成19年度学術研究助成の補助を受けた.

<引用文献>
大野啓一・井関智裕 1992.父島,母島,兄島,弟島の植物群落と植生図-近年の植生変化にふれて-.東京都立大学編『第2次小笠原諸島自然環境現況調査報告書』76-126,東京都立大学.
片平博文 1981.父島の土地利用状況の特性-戦前の土地利用を中心に-.東京都編『小笠原諸島自然環境現況調査報告書』155-162,東京都.
片平博文 1982.母島における畑地の開墾とその分布状況-戦前の土地利用状況から見た-.東京都編『小笠原諸島自然環境現況調査報告書』141-144,東京都.

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