抄録
I はじめに
災害に対する危機管理の取り組みには,避難経路の確保や避難訓練などの防災対策,災害発生時における災害復旧,そして災害発生時点から長期的な視点での復興を図る災害復興がある.とりわけ,災害復興においては,被災者の住宅や生活の再建,地域経済や地域コミュニティの復興を支える復興システムの構築が求められる.
一方で,災害危機管理における文化財防災の取り組みに対しても関心が高まっている.身近に存在する有形・無形の文化財は,文化財保護の法制度によって保護の対象とされているかどうかに関わらず,地域独特の景観の創出などを通して,地域の活性化・まちづくりに貢献している.
これまで,災害発生時における必須の課題となる危機管理の内容として,人命救助や財産保護の取り組みが議論されてきた.しかし,災害発生時における文化財の保護については十分に議論が尽くされていない.特に,市場での価格を付けることが極めて困難な文化財については,それを復興・修復する妥当性を裏付ける材料が極めて乏しい.
そこで本研究では,環境経済評価法の一種である仮想市場評価法(CVM)を用いて,京都市を事例に災害後に歴史的景観の復興により生まれる便益を計測し,文化財防災の意義を経済的な観点から議論することを目的とする.
II 調査の概要
本研究では,郵送調査とWeb調査を併用し,京都市内に在住する20歳以上の個人データを収集した.各調査の実施期間は,郵送調査が2007年3月30日~5月11日,Web調査が2007年2月8~13日である.
郵送調査では標本台帳として住民基本台帳を利用し,系統抽出法により1,500名の計画標本を抽出した.これらの計画標本から未達分を除く1,485通の有効配布数のうちWTP(支払意思額)や正常回答の判別に関する質問に記入漏れのなかった536通が有効回答である(有効回答回収率=36.1%).
一方で,Web調査ではYahoo!リサーチ登録モニターから標本を抽出した. Web調査ではしばしば標本バイアスが発生するとされる.そこで,本研究では標本抽出の際に性別と年齢階級を考慮した層化抽出法により698名の計画標本を抽出した.これらの標本に対する未達数は0であり、698通の有効配信数のうち329通が有効回答として得られた(有効回答回収率=47.1%).
III 結果・考察
本研究では,歴史的景観整備に対するWTPを従属変数,被験者の社会経済属性やデータの収集方法に関わる変数を独立変数とし,グループデータ回帰モデルを用いてWTP関数の推定を行った.本研究で得られた成果は,以下のようにまとめられる.
(1)本研究で推定されたWTP関数からは,災害発生後における歴史的景観の復興に対するWTPは,所得(Income),ブルーカラー(職業)(Bluecollor),データの収集方法と年齢階級との交互作用項(Age30×Web,Age40×Web)によって規定されていることが分かった.つまり,a. 所得水準によって異なる家計の支払能力や,b. 職業に反映されるような歴史的景観に対する関心の度合い,c. データ収集方法別の回答者集団の生活スタイルや価値観の相違が,WTP表明に影響を与えているものと考えられる.
(2)本研究で推定されたWTP関数に基づき,災害復興計画における歴史的景観整備の経済評価を行ったところ,WTP中央値を用いると歴史的景観の整備からは年間約28億円~30億円,10年間で約233億円~255億円(現在価値化)の便益が生まれると推定された.
(3)現在,京都市が2004年度より推進している文化財防災に関する施策では,5億3740万円が2008年度までに執行される見込みである.そこには,(a)自動火災通報体制の整備,(b)文化財市民レスキュー体制の確立,(c)地域の文化財を守る水利整備モデル事業の実施が含まれている.今後,個別事業にかかる費用と本研究で推定された便益を対比しながら,個別事業の評価に取り組む必要がある.