日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1905
会議情報

論争の続く長良川河口堰問題
*伊藤 達也
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録
1.はじめに
 長良川河口堰は,1994年に堰が完成し,1995年から本格運用が始まった.2010年現在,既に15年が過ぎている.長良川河口堰の建設目的は水資源開発と治水であるが,現在に至っても,水資源開発においてはほとんどその目的を果たしていない.こうした状況は堰建設をめぐって全国規模の反対運動が発生し,激しい論争が交わされた当時の,反対運動の主張の正しさを見事に証明している.現在,改めて堰の開放を求める声が大きくなってきており,今後の展開が注目されている.
 長良川河口堰をめぐる反対運動について考えていく場合,1)長良川河口堰をめぐって展開された反対運動そのものの展開と,2)長良川河口堰反対運動が他地域の環境保護運動に及ぼした影響の2点に分けて考察していくことが重要である.特に後者の視点は,長良川河口堰反対運動前と運動後の全国の環境保護運動を考えていく際,現実に運動が成功した事例を想定すれば,その重要性がより大きくなっていくと思われる.ただ,本報告ではそうした後者の具体的内容について検討するのではなく,前者の長良川河口堰をめぐって展開された反対運動について考察することにより,長良川河口堰反対運動が後者の視点を有するに至った根拠について,政府側の対応と関連させながら検討することを目的とする.

2.漁民と市民による反対運動
 長良川河口堰をめぐってはこれまで大きな反対運動が2度にわたり発生した。1960年代から70年代にかけての地元漁民や市民らによる運動と,1980年代末から1990年代にかけて発生した全国的な反対運動である。両者の運動にはそれぞれ特徴があり,分けて考えていくことができる.
 前者の反対運動は,当時全国的に展開していたダム水没地域の住民が中心となって激しい運動を繰り広げていたダム反対運動と大きな共通性を有していた.長良川河口堰の場合,水没住民はいなかったものの,長良川や伊勢湾奥で漁業を営む漁民たちが中心となり,さらには長良川流域に住む岐阜市を中心とした地域住民らが河口堰建設に伴う環境影響の発生を懸念して,大きな反対運動のネットワークを形成していった.彼らの運動は岐阜県知事の河口堰をめぐる発言に大きな影響を与えることとなり,河口堰建設に対して大きな制約条件となっていった.
 しかしながら,1976年に発生した長良川水害を契機に反対運動は急速に沈静化していく.特に漁民を中心とした反対運動は一部の漁協を除いてほぼ消滅した.その後,岐阜市民を中心とした反対運動が続くものの,争点を再焦点化するには至らず,1980年代末の長良川河口堰起工式を迎えることとなる.

3.新しい環境運動による反対運動
 一方,1980年代末に発生し,全国的な反対運動となった新たな河口堰反対運動は,運動の焦点を環境に置き,運動主体も流域といった地域制約を越え,関係者にアウトドアグループを加える等,これまでにないユニークな運動となっていった.運動は1990年代半ばにピークを迎えるが,最盛期には国会議員のほとんどが賛否を問われるレベルの問題であった.
 最終的には1995年に運用開始を迎えることになるものの,上述したように,そこに至るまでの運動目的,組織形態,活動内容等がマスコミの圧倒的な関心を呼び,運動を長期にわたってわが国有数の政治イシューにしたのである.そしてこの運動の影響として,1995年ダム等見直し委員会の発足,1997年河川法改正が現れるとともに,全国的に環境保護運動が高まりを見せていくのである.

文献)伊藤達也(2005)『水資源開発の論理』成文堂
伊藤達也(2006)『木曽川水系の水資源問題』成文堂
著者関連情報
© 2010 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top