抄録
東南アジア大陸部北部の山岳地域では山腹斜面で焼畑を行い,陸稲を生産して暮らす焼畑民が現在も数多い.本研究はラオス人民民主共和国(以下,ラオスと略称)を事例とし,焼畑稲作の規模の村落差とそれが生じる要因を考察したい.
ラオスでは近年,焼畑の継続が難しくなりつつある.これにはラオス政府がさまざまな焼畑抑制策に乗り出していることが大きい.ラオス政府は焼畑を森林破壊の元凶で,かつ遅れた農耕技術と捉えており,2010年までに消滅させることを目指しているのである.政府の焼畑抑制策としてまず挙げられるのが,高地村落の低地への移転事業である.これはアクセスの悪い高地村落の住民を幹線道路沿いの低地に集住させ,彼らの焼畑放棄を促そうとするものである.これにより,1980年代後半から多くの高地村落住民が低地に移住している.移住した住民には水田稲作や常畑での換金作物栽培など,集約的な農業への転換が目指される.
こうして成立した低地の集住村ではさらに,土地・林野配分事業が実施される.この事業ではまず,これまで曖昧であった各村の境界が画定される.さらに,その境界の中で森林と農業用地が区分され,農業用地の部分から各世帯に数区画の土地が配分される.各世帯の耕作は配分地でしか認められない.このように,耕作地を限定することで,焼畑から常畑ヘの移行を促進しようとするものである.一方,森林は集落から離れた高地に設けられることが多く,村落の管理下で保護の徹底が図られる.
これらの政策により,特に幹線道路沿いの村落では焼畑がやりにくくなっている.高地村落住民の移住で人口増加が激しく,焼畑用地が不足しているためである.休閑期間は短縮せざるを得ず,陸稲の連作もなされる.これは雑草増加や土壌劣化という問題を生んでいる.そのため,焼畑の労働生産性や土地生産性がガタ落ちになってしまっているのである.
それなら,焼畑をやめて政府の奨励する水田経営や換金作物栽培を行えばよいかというと,それもそううまくはいかない.山がちなラオス北部では水田開発に適した土地は少なく,多くの焼畑民が水田稲作に参入することはもとより無理である.また,ラオス北部では流通網が未発達なこともあって,有力な換金作物が少ない.価格は低いか変動が激しく,収穫も不安定なことが多い.換金作物のみに依存して生計をたてることは焼畑民には今なお難しい.
このような状況にあって,焼畑民はどのように焼畑を継続しているのであろうか.発表者はこれまで,ルアンパバーン県シェンヌン郡カン川流域の3村落でのミクロな調査からこれを明らかにしてきた.本発表ではさらに,この3村落を含むカン川流域の15村落での調査の結果をもとに,よりマクロな視点からこの問題を論じてみたい.具体的には,焼畑規模は村落によってどのように異なるか,それは主にどんな理由に規定されているか,焼畑のしやすさの村落差は村落間でどんな問題を生んでいるか,焼畑は対象地域の住民にとってどんな意義を持っているかという点を考察する.