日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 105
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沖縄県浦添市における学童保育をめぐる政治過程
*久木元 美琴若林 芳樹
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抄録
1. 研究の背景
1990年代以降,子育て支援整備はわが国における喫緊の政策課題となっている.なかでも1997年に法制化された学童保育は,子の就学以降の共働きを可能にするサービスとして必要性が増大している.一方,学童保育整備は法制化まで長く市区町村に任され,供給・運営体制は自治体によって多様である.
保育サービスの供給体制の地域差をもたらす要因の一つに,地域の政治的文脈がある.Pinch(1987)は保育サービス供給の地域差を支持政党の違いから説明したが,実際の供給に至る過程には,支持政党のみでは説明できない諸条件が働く.特に,日本の保育サービスのように,民間参入が未成熟で公的補助が不可欠なサービスでは,中央政府の政策や首長の判断,当該地域の保育所設置運動等が,供給体制に影響を与える.しかし,管見の限り,保育サービスの供給体制を「場所の政治」やロカリティを含めて分析した研究は見当たらない.
2. 目的と方法
 本研究は,学童保育の供給体制を,地域における政治的プロセスから明らかにしようとするものである.具体的には,沖縄県浦添市を対象とする.浦添市では,学童保育は保護者会運営であり,実施場所として民間賃貸アパート・民間施設内が多い(22か所中14か所).民間施設の賃料補助やひとり親世帯への保育料補助が,市単独事業として行われている.さらに2000年代以降には,新設される児童センター内への移設が進んでいる.こうした供給体制の背景を,関係アクターへの聞き取り,行政資料及び浦添市学童保育連絡協議会(以下,浦添連協)の定例会議資料や記念誌,浦添市議会会議録から分析した.
3. 浦添市における学童保育の政治過程
 浦添市では,1970年代後半以降,那覇都市圏の外延化にともなう人口増の結果,学童保育需要が顕在化した.1980年代,共働きの母親同士により共同運営の学童保育が開始され,情報交換や対市交渉の団体となる浦添連協が発足し,革新系政党を中心とした運動が展開された.結果,当時の厚生労働省による補助金が適用されたが,保育場所は民家・アパートなどの民間施設であり,家賃等は保育料で負担する必要があった.
 1990年代に入ると,浦添市の学童保育では,離島出身の保護者が運動において中心的な役割を担うようになる.浦添市には宮古島出身者が多く居住しており,学童保育の保護者として運営に携わると同時に,郷友会等のつながりから親睦やネットワークを強めたためである.この時期に市への運動方針は協調的なものへと変化した.2000年代,浦添連協では宮古島出身の父親が会長に就任すると同時に同郷の市議会議員が当選し,学童保育に関する発言を市議会で行うようになった.
 他方で,1990年代以降,浦添市の財政環境は変化した.95年に日米間の「沖縄県における施設及び区域に関する特別委員会(SACO)」が設置され,米軍基地(キャンプキンザー)を抱える浦添市では,児童センター等の公的施設建設へのSACO予算投入が決定された.子育て支援に積極的な首長選出と相まって,浦添市では児童センター建設が推進されることになった.
 浦添市と浦添連協の歩み寄りが決定的になったのは,2000年代初頭における市独自の学童保育事業の失敗であった.市は当初,連協への対応に消極的で,婦人会主催による学童保育事業を開始した.しかし児童数が増えず,2年あまりで事業は中止された.これ以降,市と浦添連協の定例会の開始,学童保育への家賃補助やひとり親世帯への保育料補助が実現したほか,児童センター内に学童保育を設置する計画が進められている.
 以上のように,浦添市では,待機児童問題,離島出身者のネットワークによる運動展開といったローカルな背景と,国による学童保育補助や法制化,SACO合意等のマクロな制度環境が絡み合いながら,学童保育供給体制に影響を及ぼしていた.
【文献】
Pinch, S. 1987. The changing geography of preschool services in England between 1977 and 1983, Environment and Planning C: Government and Policy, 5: 469-480.

[付記]本研究は科研費補助金(基盤研究(B))「労働力の女性化がもたらす女性の就業と生活への影響に関する研究」(課題番号20300295,研究代 表者:由井義通)の一部を使用した.
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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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