日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 501
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沖永良部島における水環境と水環境に対する認識の変化
*元木 理寿萩原 豪
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抄録

1.はじめに
水と生活における人との距離が遠くなっていると言われて久しい。地域の水環境おいては、上・下水道が、さらには灌漑用排水路などが整備されたことで、地域住民でさえも本来の水と地域とのかかわりについての理解が少なくなってきている。とりわけ、水が生活や生産の様式を制約する地域では、上水道の普及や生活様式の変化により、住民の水環境に対する認識が変化してみていると考えられる。
本研究では、鹿児島県沖永良部島を対象として、島内の水環境と水利用の現状を明らかにし、島民の水環境に対する認識について考察することとした。

2.研究対象地域
鹿児島県沖永良部島は、鹿児島市から南に約540km離れたところに位置する。島全体は隆起珊瑚礁で生成され、石灰岩で覆われている。島内には河川は少ないものの、湧水の数は多く、また石灰岩と基盤との間に地下河川(暗川)が形成されている。
和泊町と知名町の2つの自治体から成り、人口約14,071人(2009年10月現在)と、奄美群島では奄美大島、徳之島に続き、人口規模3番目の島である。沖永良部島ではテッポウユリ(えらぶゆり)の球根栽培が盛んであったが、近年では菊やグラジオラス、フリージアなどの切り花栽培が主要産業となっている。このほか、サトウキビやじゃがいも、たばこなどの農業や、エラブ牛などの畜産業が行われている。

3.水環境および水利用の変化
隆起珊瑚礁の島である沖永良部島では、水は生活に関わる重要な問題であった。現在は上水道が整備されているので、生活用水はほぼ水道水を用いているが、かつては湧水や暗川と呼ばれる地下河川から汲み上げたものを使っていた。
上水道ついては、1950年代後半より生活用水の安定供給が進められ、1990年代には水道普及率は99%を越えるまでとなった。沖永良部に位置する和泊町、知名町においても、近年生活形態が従前の農漁村形態から都市型へ移行しつつある。また、核家族化も進み、給水量は増加傾向を示している。
沖永良部島にある暗川や湧水群などでは、「平成の名水百選」に選ばれた知名町瀬利覚字のジッキョヌホーのように現在でも利用されている場所がある一方、灌漑用水のための地下水揚水による湧水の枯渇、花卉栽培や畜産業に伴う水質悪化、あるいは湧水の放棄など整備や管理が行き届いていない実態が見られた。

4.飲料水に対する認識の変化
1)沖永良部島の水道水は、かつてはそのまま飲水せずに、沸かす、あるいは貯めておいてから少し時間をおいた後に飲水してきた。未だこれらの方法をとっている住民も多い。一方、1990年代以降日本全国において、飲料水を上水道ではなく購入による水に頼る例が多く聞かれるようになったが、沖永良部島においても、上水道を利用せずに、水を購入する機会が増えているとの声が聞かれた。
2)知名町幼稚園では、保護者が園児に水筒を持たせて登園させおり、近年園児たちは、設置されている水道からは飲水していないことが認められた。また、水筒を忘れた場合、園児は水道水を飲水せず、教員から水道水以外の飲み物をもらっている。この水道水を忌避する行動は、小学校中学年あたりまで続くが、高学年以降は水道水を直接飲水するようになる。また、知名町の幼稚園では同様のケースが見られることが明らかになった。しかし、和泊町の幼稚園ではこのような実態は見られず、園児たちが水筒を持ち歩くのは通園途中の水分補給のためであり、幼稚園においては園児たちは水道水を直接飲水している。
聞き取り調査において、(1)地下水が汚染されていることに対する水道水の忌避、(2)島内出身ではない住民は、水道水を飲む習慣自体がなく、島外の習慣を持ち込んだことによるものであること、(3)水道水がおいしくない、石灰分を多く含んでいる、などがその原因として考えられるが、知名町と和泊町と地域的差異については今後の課題としたい。

5.おわりに 
沖永良部島の島民にとって地域の水環境や水利用については元来、生活に密接した問題であった。また、豊富な地下水脈と湧水群、そして暗川などは地域の文化的資産であったが、上水道敷設に伴う水利用の変化や地下水汚染などよって、水に対する意識が薄れ始めていると考えられる。

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