日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 601
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苧環型蛇聟入伝承の変化の過程における住民の環境知覚変化と景観変化について
福島県いわき市好間町の蛇岸淵伝承を事例に
*渡邉 佳奈絵
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抄録

I はじめに
 景観とは,人間の環境知覚によって特定の意味を付与された場所のことである.ここでは地域の景観を知る手がかりとして,地域の伝承の変化を読み解くことを提案したい.なぜならば地域の伝説や昔話は長年にわたって住民の環境知覚を反映し続けているため景観研究において有効だと考えられるためである.
 本研究では,ある地域を研究する手がかりとして苧環型蛇聟入(おだまきがたへびむこいり)伝承を取り上げた.蛇聟入伝承は,蛇聟と人間との婚姻譚であり,三輪山伝説のような神話,英雄の出生を語る伝説,節句の儀礼の由来としての昔話のようにそれぞれの形をとって存在している.その理由として佐々木(2007)は,特に苧環型の蛇聟入伝承が,地域の豪族によって自らの支配の正当性を主張するために用いられ,戦国時代に豪族が没落するにつれて神話の聖性を失い,昔話へ変化したためであると主張している.
 本研究では,佐々木の考え方を参照しつつ,苧環型蛇聟入伝承が語られる地域の伝承の変化と景観との関係について考察を加えるものである.研究対象地域の苧環型蛇聟入伝承は昭和から平成にかけて急速に変化を遂げており,戦国時代の権力者の没落という文脈では捉えきれないと考えられる.

II 対象地域と調査の概要
 研究対象伝承として,福島県いわき市好間町の好間川に伝わる蛇岸淵という伝説を取りあげた.好間川は昔から暴れ川として周辺の地域に飢饉などの甚大な被害を及ぼしている.しかし現在では,昭和10年から20年頃行われた河川改修工事によって洪水被害は起こらなくなっている.さらにこの工事によって蛇岸淵そのものが消滅しており,1988年には蛇岸淵のすぐ近くを常磐自動車道が通るようになった.
 実際の調査は蛇岸淵伝承の掲載された民話集,伝説集を収集し,年代ごとに傾向をまとめた.また蛇岸淵周辺の住民12人,地域の伝承を編纂した委員会の方,伝説に登場する家と寺院の方に聞き取り調査を行った.

III 結果・考察
 好間川の河川改修工事が行われた昭和10年から20年に採集された伝承と蛇岸淵周辺の住民への聞き取り調査,また昭和10年に蛇岸淵で行われた法要の記録から,河川改修工事が行われる前には蛇岸淵の蛇には好間川の流れを支配する神としての信仰があったと考えられる.民話集の発行年が河川改修工事以後の昭和50年以降になるとそれまでの伝承に加えて,蛇が好間川の流れと関係しない伝承が存在するようになる.さらに平成14年に好間町で結成されたよしま民話集編纂委員会による『よしまの民話と伝説』の中には,蛇が人を攫う,食べるなど,かつては神として崇められていた蛇が妖怪化した描写が見受けられる.
 さらに,好間町では民話集に記されたものとは別に,蛇岸淵の周辺だけで語られている話が現存している.聞き取り調査によると,蛇岸淵のすぐ近くのある家は好間川が氾濫してもなぜか水が上がらなかった.その家の女性とその子どもの顔のつくりが普通とは違っていたため,蛇と結婚して子どもをもうけたのだろうという噂があったという.さらに,この話に登場する家は常磐自動車道建設の際移転したものの現在でもまだ存在している.この際,この家を移転させるために補助金が支払われたことについて,当時周囲の人々の間では,さぞ儲かっただろうという噂が流通していたともいう.これらのことから,蛇岸淵周辺では洪水の被害に遭わない奇妙なこの家に対し,あまり良い印象が持たれておらず,同家が洪水に際して自分たちよりも得をし,自分たちの富を奪う家,という住民の意識が生成されるようになったことが伺われる.
 こうして好間川河川改修以後の好間町では,住民の持つ景観の違いに対応して伝承が変化してきたと考えられる.すなわち,蛇岸淵から遠い場所に住む人々は,河川改修工事によって,神の棲み処としての好間川と洪水の被害を受けない奇妙な家,という「ふたつの景観」を失ったことにより,伝承を続けていくための創作が必要になった.対して,蛇岸淵の近くに住む人々は,現在もかつて伝説のモデルとなった家の場所を認知しており,「洪水の被害を受けない奇妙な家」という「景観」が残像している.しかし,神の棲む川という景観が消滅し,蛇の聖性だけが失われたことにより,神と結婚したために洪水の被害を受けなかった家から,蛇と結婚し奇妙な顔の子どもを生んだ家,蛇を祀る家という伝承の変化が起こったものと考えられる.

参考文献:佐々木高弘 2003.『民話の地理学』古今書院.

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