日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P925
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誰が内戦の犠牲者なのか?
東ネパール、オカルドゥンガ郡におけるマオイスト運動の軌跡
*渡辺 和之
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抄録

 1996年、ネパール共産党の毛沢東派(以下マオイスト)は、政府に対して武力闘争を開始した。以来、2006年の停戦に至るまでの10年間で民間人を含め、13000人もの犠牲者を出した(小倉2007)。
 マオイスト運動は、ネパールのなかでも中西部のロルパ郡やルクム郡に端を発し、2000年前後から全国展開した。たとえば、東ネパールでも、2001にはソルクンブー郡のサレリで郡役所長が殺され、2002年にはオカルドゥンガ郡のルムジャタールで国軍のキャプテンが殺されるなど、大規模な襲撃事件が起きている。ただし、それらの事件を伝える報道記事のほとんどは政府発表の情報をもとにしており、マオイスト側の情報は限られていたが、2006年の停戦以降、マオイストは首都や地方の郡庁所在地のある町に政党事務所を構え、公然と政治活動をするようになった。
 発表者は、2008年にオカルドゥンガ郡にあるマオイストの政党事務所を訪ね、聞き取りをすると同時に、内戦の犠牲者に関するリストを入手することができた。このリストは内戦によるマオイスト側の犠牲者に対する補償を政府から要求する目的で作られたものである。
 オカルドゥンガ郡の政党事務所はこれをもとに『オカルドゥンガの戦士たち』という犠牲者を追悼する本を出版した。本のなかには、マオイスト側の犠牲者(死者、行方不明者)1人1人に対し、1頁以上を割き、死亡年月、死亡地などのほかに、本名、民族集団、党内での通称、出身地、生年月日、学歴、入党した年、党内における役職、死亡時の状況などの情報が書き込まれており、どのような人がマオイストになり、犠牲者になっていったのかを示す資料となっている。
 この本の記述を分析したところ、次のことがわかった。犠牲者の民族集団・カーストにでは、高カーストがもっとも多く、中間カースト(チベット=ビルマ語系の民族集団)や低カーストはあまり多くなかった。これは郡内の人口構成とほぼ等しい。また、男女比でいうと、男性8割に対し、女性が4割だった。死亡時の年齢では、15歳から25歳の間に集中しており、女性の場合、15-19歳、男性の場合は、20-24歳が最も多かった。学歴では小学校から数えて7-9年がもっとも多いが、人民解放軍の将校や政治部門の活動家には10年以上や大学卒業者も含まれており、その一方で人民解放軍の兵卒には未就学の人が多くみられた。マオイストに入党した年は、2001年以降に急増している。死亡した年では、1999年まではゼロで、2000年以降急増し、政党部門では2002年、人民解放軍では2004年にピークを迎えている。
 次に、マオイストの郡事務所で活動する幹部に聞き取りをした所、2000年頃から政党に対する弾圧が厳しくなり、マオイストに転向する人が増えたこと、また政治とは全く無縁だった人が政府の治安部隊に捜査や拷問を受けたり、家族や親族を殺されてマオイストになった人がいたことがわかった。

文献
小倉清子2007『ネパール王制解体』NHKブックス
オカルドゥンガ郡マオイスト政党事務所2008『オカルドゥンガの戦士たち』(ネパール語)

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