抄録
1.研究目的:ルーマニア中央部,南カルパチア山脈の北麓に位置する対照的な二地域,農村集落ジーナ(Jina)と人間活動の及ばないチンドレル(Chindrel)山地において,河川・湖と地下水の水質に与える人為的影響を明らかにすることを目的に現地調査を実施した。調査時期は2003年,2004年,及び2011年の何れも8月~9月である。
2.調査対象地域の概要:ジーナはドナウ川支流チビン(Cibin)川の源流域に立地する人口約4,200人の農村集落である。ルーマニアの欧州連合への加盟(2007年1月)以降,集落内では土地利用の改変が認められ,水利用の面でも野外に公共給水栓が設置されるなど,近年の変貌が著しい地域でもある。これに対し,チンドレル山地は,森林限界を超える標高約2200mに達する山岳地域であり,ヒツジの移牧に伴う草原の利用の他には人間活動が認められない。
3.水質にみられる人為的影響:チビン川上流部における河川水の溶存成分濃度は,最上流地点において最高値を示し,流下に伴い,支流の合流による希釈を受けて濃度がしだいに低下する。生活雑廃水に由来するNa+とCl-の占める比率が高い点も河川水質の特徴である。これらの事実は,尾根部に立地する集落における人間活動が河川水質を決定づける典型的な事例であり,生活の基盤を牧羊に置く人間活動の影響が水文環境に現れた例と言える。湧水には比較的高いNO3-濃度が認められ,牧畜によるヒツジ・牛の屎尿の影響が示唆される。
4.欧州連合加盟後の河川環境の変化:2004年の調査では,初夏に刈り取られる羊毛を製品化する前処理として,地域住民が渓流や河道内の岩場を利用して洗浄する行為が行われており,このことに起因する河川水の局地的な著しい水質汚染が生じていた。しかし,その後の欧州連合への加盟に伴い,水質の監視体制と水質基準の遵守が強化された結果,河川水の水質は改善されつつある。
5.準平原面の水質特性:チンドレル山地は,ヒツジの移牧に伴う草原の利用を除けば人間活動の認められない地域であり,湧水は標高1880~2110mの高位に分布する。湧水の電気伝導度は21~42μS/cmと比較的低く,人間活動の影響が顕著なジーナ地域との差が明瞭に読み取れる。圏谷底に位置する氷河起源の閉塞湖では,湖岸に堆積するターミナルモレーンの空隙から湖水の漏出が認められ,下流域への小河川が発生している。湖水の電気伝導度は20μS/cmと低く,涵養源は降水に大きく由来すると考えられる。流域を異にする河川水の電気伝導度は37~55μS/cmの範囲にあり,チビン川とは対照的に自然状態が保持されていることが認められた。以上のように,準平原面において水質が良好に保持されていることは,牧童が飲料水を確保する上で重要な要件であり,夏期にヒツジを最上位の地形面で飼育する移牧の一因になっていると指摘される。